11月30日(金)、佐賀地裁にて「第8回MOX燃料差止公判」「第7回2・3号機仮処分審尋」「第3回玄海全機運転差止公判」が行われました。(告知はコチラ)
開廷前には地裁の敷地の外で『ストップ!プルサーマル』など会の当初からの横断幕などをたくさん掲げながらアピール行動。
そして、今回久しぶりに『MOX裁判完全勝利へ!』の青い横断幕を先頭にして、一同入廷しました。
MOX公判が始まると、裁判官の声がマイクを通して、大きくはっきり聞こえるので、まずびっくりしました。これまでマイクはあったものの、音が小さすぎてとても聞き取りにくかったので、要望を出していたのですが、やっとかないました。
裁判長「一番の争点は、ギャップ再開の具体的危険性ということだが、裁判所として論点を整理したいので、それについて意見を出してほしい。その際に専門家に非公開の形できてもらう」前回公判で裁判長から打診のあった「専門家を招いての会合」が本決まりとなりました。
冠木弁護士は記者会見で「2003年の名古屋高裁でのもんじゅ控訴審(国敗訴)では、半日かけて専門家の説明を聞いた。今の段階で立ち止まってもう一度よく検討してみようということ。裁判官の意欲が感じられる。ネックは企業秘密だが、これについても裁判官が判決を書こうと思えば、"白抜き"も出しなさいとなって、話が進むだろうと思う。また、どこまですれば住民にとって安全なのかということを、裁判所として自信をもって打ち出してほしい」と話されました。
全機停止公判では、今回は訴状について立ち入ったやりとりはあまりなかったのですが、意見陳述では、福島原発事故後に東京から福岡に家族で避難された清水亜矢さんが陳述を行いました。
冒頭、「裁判官に話を聞いていただけるとのことで、喜んで参りました」と言われ、声をつまらせました。この1年8ヶ月の思いがよぎったのでしょう。でも、その後、お気持ちをつぶさにしっかりと語っていただきました。
2011年3月、東京で臨月を迎えていました。そこへ、3.11。突然襲う地震と原発事故。 ちょうどその日、プルサーマル裁判の第2回公判で傍聴に来られていたお母様から「福島原発事故が危ないらしいけん、東京を離れた方がいいかもしれん」と連絡。その日から、すべては変わってしまったのです…。その日のうちに、福岡に避難。10日後、お連れ合いも、苦悩の末に決断、移住。4月6日に、福岡で元気な男の子を無事出産。東日本から避難されたママ達パパ達に共通する思いを、法廷内で語っていただいたことの意味は大きいと思います。この日、法廷には1歳7ヶ月の男の子も一緒に来て、最後までおりこうさんにしていました。
※全機停止公判の準備書面はこちら(2012年11月16日提出分)
裁判の会のロゴマークのように使っている家族のイラスト、これは1年前に肥田舜太郎講演会のチラシで初登場したのですが、実は、避難直後から九電交渉など行動の場に駆けつけていた亜矢さん達家族がモデルだったんです。
意見陳述の最後の言葉を紹介します。若い裁判官もまっすぐ聞き入ってくれたように見えました--「裁判官のみなさん、お子さんがいらっしゃいますか?子どもさんが、幸せそうに笑いかけてくれる時の気持ちを思い出してみてください。そして希望を持って、一番ご自身で納得の行く、子どもさんに誇れるご判断をお願いします」(意見陳述全文はコチラ)
記者会見での石丸初美団長の発言を最後に紹介します。「亜矢さんの陳述を聞いていて涙が出てきた。原発について、すべて語ってくれた。
私達が裁判を起こしたのも、経済とかエネルギーとかいう前に、命の問題だからです。田んぼも海も山もだめになるのに、どうしてわからないのか。
弁護士さん、小山さん達はもちろんのこと、目の見えないところでもたくさんの人達に支えられてきた。明後日12月2日はプルサーマルが始まった日。私達はあきらめません。
判決も出るだろうが、それで終わりでない。いつか原発のない世の中が来る時まで続けなければならない。
辛い闘いだが、原発なくして、子どもの笑顔が戻るまで一緒に闘っていきましょう」
次回公判は3月1日(金)14時からとなりました。