「玄海原発みんなで止める!12・2大集会」報告

古川・佐賀県知事の「県民の理解は得られた」発言を受けて、2009年12月2日、玄海3号機で始められてしまったプルサーマル。

私達は納得も理解もしていません。

玄海が始まり、伊方3号機、そして福島3号機もプルサーマルでした。プルサーマルが始まったことで、私達は運動の延長線上に今3つの裁判中です。

私達は、この12月2日を忘れないために毎年12・2行動をしてきました。

3回目の今年は、参加者の中から20名の方々にリレートークで、それぞれの思いを自由に語って頂きました。


遠くからはカナダ在住の方や、またイラストレーターの橋本勝さんも急遽、神奈川からかけつけてくれ、「脱原発憲法」紙芝居を熱演していただきました。

橋本勝さんの-脱原発憲法

橋本さんは「事故は絶対!起きるまでは起きないんですよ!」と力強くおっしゃいました。


2010年10月に福島第一3号機で始められたプルサーマルに反対の声を挙げたお一人、宇野さえこさん。

さえこさん「その4ヶ月後の、3.11...。なんて愚かなことでしょう。本当に伝えたいことが、伝えたい人のところに届かなかった。悔しくてなりません...。しかし、どんなことがあっても、これは間違っているんだと、声をあげている私達がいるからこそ、こうやって運動が広がってきたのです。支えあって行動していきましょう」


集会後、九電~県知事公舎~佐賀県庁とデモ行進をしました。

佐賀は歩いている人も少ないのですが、参加者のみんなのエネルギーがさわやかで力強いデモ行進でした。


私達は

「恐怖と背中合わせの原発はいりません」

「放射能はいりません」

「核のゴミをこれ以上増やしてはなりません」 とこれからも訴え続けます。

私達は福島の人に教えてもらったことをこれから先も忘れないで、皆さんと共に行動して行こうと思っています。みなさん、これからもよろしくお願いいたします。

佐賀新聞記事

朝日新聞記事 

西日本新聞記事

玄海原発みんなで止める!12・2大集会 集会宣言

 2009年12月2日は、玄海原発3号機で日本初のプルサーマルが始まった日です。私達は、納得も理解もしていません。この日を忘れないために、今日、ここに集まりました。

 2006年、科学者間でも意見が対立する中、古川康佐賀県知事は「県民の理解は得られた」として、住民の反対の声を踏みにじり「事前了解」を強行しました。同年、県民投票署名運動で49609筆を県議会に提出。翌年2月の臨時県議会で「間接民主主義からの逸脱」、住民には判断できないという理由で、あっけなく否決されました。

 私達は、人類と共存できない放射能を生み出し、その処理方法も何も決まっていない原発は止めるべきだと今日まで運動を続けてきました。2010年2月、その延長線上に裁判を決意しました。


 2011年3月11日、福島原発事故。福島3号機はプルサーマルでした。

 原発が爆発した直後、甲状腺を守るための「安定ヨウ素剤」は住民に与えられませんでした。福島県民の多くがSPEEDIの情報を知らされないままに、放射能が高い地域に避難してしまったり、知らぬ間に被曝してしまったりしたのです。政府の情報非公開は殺人的な行為で、無責任極まりないものです。

 そして、政府は事故直後から「直ちに人体や健康に影響はない」「放射線の影響はニコニコしている人にはありません」と言って、「原発安全神話」から「放射能安全神話」に力を注ぎ、人々の命を守らず、電力会社の利益のために邁進してきたのです。


 6月、原発事故後まだ3ヶ月しか経たない非常事態の最中、玄海原発に再稼働の話が浮上しました。私達は佐賀県庁や九州電力に連日のように行動を起こしてきました。そして、菅首相が全原発のストレステスト実施を指示、再開に最も近いとされていた玄海の再稼働に待ったがかかりました。市民の怒りは、古川知事のやらせ問題をも誘発しました。

 今年6月、野田首相は「子ども達の未来のためにも、福島のような事故は決しておこさない。豊かで人間らしい暮らしを送るために」と大飯原発再稼働決定。そして「2030年代に原発稼働ゼロをめざす」と言ったかと思えば、大間原発工事再開と、支離滅裂です。昨年末には「事故収束宣言」しておきながら、原子力規制委員会人事を、今も「原子力非常事態宣言発令中」であることを悪用し、首相の権限で国会の同意も経ず多くの国民の反対にも耳を傾けずに決めてしまいました。本当に許せないことばかりです。


 福島県民の多くは今もなお、放射線管理区域以上の環境の中に閉じ込められ、過酷な暮らしを強いられています。このような国の酷い対応に、国民はいろんな方法で知恵を出し合って、福島の人達に救いの手を差し伸べています。私達は国に対し、年間1ミリシーベルトを守るようにこれからも言い続け、子ども達を放射能汚染の中から、一刻も早く救い出してあげなければなりません。


 「空気に脅えて生活しています」「牛乳を飲む?飲まない?洗濯や布団を干す?干さない?戸を開ける?開けない?泳ぐ?泳がない?」と、福島は苦悩の日々です。

 「花や草木、自然の生き物と一緒に暮らしてきたのに、今まで当たり前だった環境が楽しめなくなった」「佐賀は蛇口の水がそのまま飲めるからいいですね。福島では思いっきり深呼吸できない」

 私達は自然に守られているんだということの意味を、福島の人に教えてもらいました。 


 2010年8月9日提訴「3号機MOX使用差止裁判」、2011年7月7日提訴「2・3号機再稼働差止仮処分」、2011年12月27日提訴「全機運転差止裁判」、この3つの裁判を闘いながら、法廷内外で、全国の仲間達とつながりながら、私達は覚悟をもって誓います――

 フクシマの犠牲を忘れず、この国の不条理の現実を踏まえ、子ども達を守るために大自然をどう未来へ渡せるのかを、大人が諦めずに一歩ずつ行動していきましょう。

 みんなの力で原発をなくして、かけがえのない自然を、子ども達を放射能汚染から守りましょう。

 70年前に世界初の原子炉が誕生し、3年前に日本初のプルサーマルが始まった、12月2日、この日に。


2012年12月2日

第3回玄海原発みんなで止める!12・2大集会 参加者一同

集会宣言PDFファイルはこちら

ダウンロード
玄海原発みんなで止める!12・2大集会 集会宣言
2012.12.2大集会集会宣言.pdf
PDFファイル 315.2 KB