あれから2年の「3.11」。
10日の日曜日には裁判の会のメンバーも、全国の仲間達も、世界中の人々も「原発いらない」の声をそれぞれの地でいっせいに挙げました。
佐賀では「3.11」当日にも、まっすぐ私達の意志を示そうと、佐賀県庁前で11時から17時までの間、「忘れないで3.11〜脱原発佐賀行動」と称して座り込みを行いました。
14時46分に一同黙とう。平日なので今日この場にこれなかった、たくさんの仲間とも、気持ちはつながって、祈りをこめて「脱原発」への誓いをあらたにしました。
15時半に、古川康・佐賀県知事に対して「県民の声に真摯に耳を傾け、玄海原発の再稼働を認めず、ただちに廃炉とすることを求める要請書」を提出。一人の人間として、また責任ある知事として、すべての被災者・避難者、そして佐賀県民と真摯に向き合うこと、再稼働は認めないことなどを強く要請しました。事前にもちろんアポをとりましたが、要望書をわたすだけなのに県庁は「人数制限」をかけてきました。どこまで、肝の小さい人なのでしょう。制限はとっぱらわせました。
リレートーク、マイクアピール、集った仲間同士の即席座談会で、想いを出し合いました。福岡や宮崎からも仲間がかけつけてくれました。
佐賀県庁の横を通る方たちに声をかけて、玄海原発再稼働に賛成か反対か、その場でシールを貼って投票もしてもらいました。
結果は「賛成」6票、「反対」100票、「わからない」15票でしたが、いろいろな出会いがありました。
「いいよいいよ、おれは賛成だから!」と手を振りながら早足で立ち去った、60前後とおぼしきスーツの男性。
わざわざ遠回りして避けるように歩く人。
顔をしかめて首を振りながら通り去る人。
足を留めて話を聞いてくれた、犬を連れたご夫婦。
お昼過ぎに、近くの小学校から帰宅する子どもたちに声をかけてみました。4人の男の子たち、制服の名札には「4年」の文字。
「君たち、原子力発電所って知ってる?」
「うん、知ってるよ!今、学校で習ってまーす。」現在運転を止めていることを知ってる子もいました。
「動かした方がいいと思う?それとも止めたままでいい?」と聞くと、「ぼくは止めたままでいいと思う」はっきり答えてシールを貼ってくれました。
近くの高校から帰宅途中の女子生徒2人。どう思うかたずねると、二人とも時間をかけて真剣に考えてくれました。
一人は正直に「わからない」にシールを、もう一人は「中途半端はいやだ」と、「賛成」にシールを。
逃げずに一生懸命に考えてくれた二人。どうかこれからもずっと真剣に考えて続けて欲しいです。
十代の若い男性、仲間の話を時間をかけて聞いてくれて、反対の方ににシールをはってくれました。そのあと、
「あの、、、佐賀大学はどう行けばいいですか?」
道順を教えると、長崎県の大村から来た、というその男の子は
「明日、入試なんで下見に来たんです。」
受験生なのに話を聞いてくれてありがとう。合格を心より祈ります!
同じく十代の男性が真剣に話を聞いてくれました。そして、古川知事あての手紙を書いてくれました。
「この手紙を書いて、何か役に立ちますか?」と聞かれたので
「知事に後日渡すので、思っていることを書いてください」と言ったら、時間かけて書いてくださいました。
「自分の親から古川知事は立派だ、といつも聞かされていた。原発のことは本当のところはよく解らないが、3.11原発事故で悲しんでいる人がいる事はよく解っている。知事の立場はあるかも知れないが、この人達(私たちのこと)の話も聞いてあげてください」と書いてくれました。
十代の女性はいっぱい話した上で、こんなメッセージをのこしてくれました。
「これから産まれてくるたくさんの新しい命が奪われるのは辛いです。きれいな空気で自然と育ってたくさん学んだりして生きてほしいと思います。だから、再稼働するのは反対です。どんなに頑張ってもできないことがありますが、可能性は無限です。だから反対します。」
石丸初美代表は1日の行動の締めくくりに「私達のチカラは小さいですが、みんなのチカラをあわせれば、子ども達のために原発を止めることができます。これからも行動を続けていきましょう」と訴えました。今後も、このような座り込み、シール投票は続けていきたいと思います。
今できることを一歩ずつやっていけば、必ず出会いがあり、手ごたえがある。
必要なのは一人ひとりの覚悟と、想いを分かち合える仲間とつながっていこうとする意志。
私達は福島を忘れず、原発をなくしたいと願う全国の人々とともに、まっすぐに行動を続けていきます。
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