6月8日、玄海原発プルサーマル裁判の会は、提訴3周年活動報告会を行いました。会の名称も変更し、新たな気持ちで、また一歩、歩みを進めることができました。もりだくさんな内容を、簡単に報告いたします。
開会挨拶に立った石丸初美代表(原告団長)
「福島のことを知るたびに、つらくてならないです。再稼働の動きがあるが、嘆いてばかりはいられませ。これ以上、子ども達に放射能におびえた生活をおしつけるわけにはいきません。自分達にできることを、一つずつでもいいから、実行していきましょう」と呼びかけました。そして、「当初は原発反対といっても理解が得られないような世の中でしたが、まずはプルサーマルを止めようということで運動を始めました。しかし、最初から『原発なんて危ないよね』とみんな同じように思ってました。3.11を経て、原発すべて止めようという方向へはっきり打ち出して運動と裁判を進めてきました。その延長線上に、みんなで議論して『玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会』(略称:玄海原発裁判の会)という新名称を決めました」と発表しました。
於保泰正事務局長からの活動報告
裁判の進行状況を振り返りつつ「裁判を続けるためにも会費やカンパの納入にご協力をよろしくお願いします」と訴えました。 また、規約改正報告と役職の紹介も行いました。
武村二三夫弁護士より
続いて、前日に第10回目の公判を終えたばかりでしたが、弁護団の武村二三夫弁護士から「裁判の経緯とこれからの展望」と題して、特にMOX燃料使用差止裁判の論点についてお話いただきました。福島事故で起きたような燃料棒の溶融、圧力容器の破損が起きかねない燃料棒の内圧問題について、九電の主張の変遷をたどりながら、「九電は安全だというのなら、データを秘密にせず、安全基準を満たしていると具体的に明らかにすべきだ。それができなければ運転は差止しなければならない。そのために、裁判の中でも、外でも、声を上げていこう」と話されました。
谷次郎弁護士より
3月の公判から弁護団に加わったばかりの谷次郎弁護士。「学生時代に武村さん達の取り組んだ関電高浜原発訴訟に関わった。去年12月に晴れて弁護士になれた。子どもの頃、鳥栖に2年間いたことがあるし、名前は佐賀の千代田町の作家、下村胡人の『次郎物語』からとられたなど佐賀にはゆかりがある。新名称のとおり、『みんなで』一緒にがんばりたい」と抱負を語っていただきました。
スライドショー&トーク
次に、石丸代表と江口美知子副事務局長から、この1年の活動をスライドショーをまじえて、トークで振り返りました。東京、大飯、鹿児島、伊方、福岡、佐賀、玄海と、走り回ってきました。(スライドはこちら)
小山英之さんより
そして、美浜の会代表であり裁判補佐人を務めていただいている小山英之さんから「原発と核燃料サイクルの現状をめぐるあれこれ」ということで、六ヶ所、もんじゅ、大飯原発活断層問題の現状などをお話いただきました。「玄海原発使用済み燃料プールも、あと2.7回分の運転サイクルで満杯になるが、運びだし先の六ヶ所も、ほとんどいっぱい。六ヶ所では再処理工場の試験が行われたが、12月に向けて、絶対に動かさないよう全国的な運動を大きくして、核燃サイクルみんなで止めよう。アメリカのショーラム原発は防災計画の矛盾を突いた住民の運動で廃炉となった。みなさんの力の結集が必要です!」と呼びかけました。
「裁判を支える会」会長、澤山保太郎さんより
「裁判を支える会」会長、澤山保太郎さんからは「橋下の従軍慰安婦発言など、アジア太平洋戦争における加害性を否定しようとする動きがあるが、原発問題も自分達が被害者になるとともに、加害性というものも意識しなくてはならない。それは福島原発事故により放射能が世界中にばらまかれているということと、さらにアジア・アフリカ諸国への原発輸出で迷惑を世界中にかけるということだ」とお話いただきました。また、高知県東洋町長時代の実践を触れながら、“核”にたよらないまちづくりはできると強調されました。
座談会
後半は座談会とし、荒川謙一副代表の進行のもと、それぞれの方からの発言をいただきました。まずは2人のゲストから。
●去年の鹿児島県知事選で20万票を集めた向原祥隆さん、MOX裁判からの原告ですが、鹿児島からかけつけていただきました。「『1票が大事』なのではなく、一人ひとりが人に伝えていく、社会と関わっていくということが、未来を手にすることになるんです」と振り返られました。そして「国の地震調査委員会は、川内原発付近を通る活断層が、これまで九電の発表してきたものよりもずっと長く、起こりうる地震の規模も最大11倍になったことを明らかにした。この再調査なしに再稼働などありえない。また、桜島など火山の噴火による影響も再調査しなければならない。川内原発も全国各地の原発も、1つ1つの問題に食い下がって、再稼働を1つ1つ阻止していこう」と訴えました。
●福島から家族で避難されてきた木村雄一さん。佐賀に来られたのは、ちょうど2年前の6月でした。昨年4月の「玄海全基停止裁判」の第1回公判では意見陳述をしていただきました。この2年間、何も変わらない現実の中で、東日本への支援活動などをやってきたことを振り返りながら、「3.11前から一生懸命やっていた石丸さんはじめみなさん、本当にありがとうございます...。今は原発を止めるために、一人一人が立ち上がる時。被害者である自分も、こうやって訴えていくことが脱原発につながればと思って過ごしてきた。自分の娘のために、子ども達を救うために、まずは原発事故子ども被災者支援法をただちに実施させること、そして脱原発へ向けて一緒にがんばりたい」と決意をお話されました。
●フリートークの時間は、廃炉後の問題、中間貯蔵施設、電気料値上げは九電の脅し、といったことから、政治とどうかかわるのか、活動をどう市民に広報するのか、また、急浮上している「国際リニアコライダー」の問題まで、いろんな話題が出ましたが、時間切れとなってしまいました。みんなで議論する時間をまたじっくりと持ちたいところです。
宣言採択
最後に「玄海原発みんなで止める!6.8宣言」(下)を採択しました。荒川副代表は閉会挨拶で「九電はこれまで真摯に何も答えていない。裁判を通して、裁判官に真実を考えさせ、公にさせなければならないということで闘っていきたい。そして、運動としてみんなに訴え、みんなで止めよう。原発のない社会をつくりましょう」と呼びかけ、会を終えました。
玄海原発みんなで止める!6・8宣言
2010年8月9日の玄海原発MOX燃料使用差止提訴から3年、公判も昨日で10回目を迎えました。
2006年、科学者間でも意見が対立する中、古川康佐賀県知事は玄海原発プルサーマル計画について「県民の理解は得られた」として、住民の反対の声を踏みにじり「事前了解」を強行しました。
同年、私達は県民投票署名運動に奔走し、49609筆を県議会に提出。翌年2月の臨時県議会で「間接民主主義からの逸脱」、住民には判断できないという理由で、あっけなく否決されました。
私達は「プルサーマルを理解も納得もしていない。人類と共存できない放射能を生み出し、その処理方法も何も決まっていない原発は止めるべきだ」と運動を続けてきました。
2010年2月21日、「普通の生活を守るため」に裁判を決意、「玄海原発プルサーマル裁判の会」を結成しました。
同年8月9日、佐賀地裁に提訴。12月1日、初公判。
12月9日、プルサーマルの3号機でヨウソ漏れ事故。私達は、徹底した原因究明と安全対策を求めて走り回りました。
そして、第2回目の公判を迎えた2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故。
おそれていた大事故が起きてしまいました。
あらゆる警告を無視し、対策を怠り、事故を起こした電力会社、政府、被曝を拡大させた学者らの責任が問われないまま2年以上が経ちました。
事故収束作業は見通しのつかないまま続いています。空気と水と大地、食べ物は放射能により汚染されました。子ども達の健康被害、除染の行きづまり、原発労働者の使い捨ても明らかになってきました。
「佐賀は蛇口の水がそのまま飲めるからいいですね。福島では思いっきり深呼吸もできません」
「今も線量計を見ながら、子ども達に“今日も外で遊べないね”と話しています」
「福島は東京に電気を送ってきた。その福島の俺達は、日常のすべてを奪われてしまったんだよ!」
福島の人達の声です。子ども達を放射能汚染の中から、一刻も早く救い出さなければなりません。
仮に事故が起きなくても、原発を動かせば必ず核廃棄物を生み出します。未来永劫に放射能の管理をしなければならないのに、その方法すら決まっていないのです。
福島の大きな犠牲に学ぶということは、原発をすべてなくすこと以外にありません。
2011年6月、事故からまだ3ヵ月というのに、玄海原発に再稼働の話が浮上しました。
私達は佐賀県庁や九州電力に連日のように行動を起こしてきました。市民の怒りは、古川知事の「やらせ」事件をも誘発しました。ストレステスト実施とあいまって、再稼働をいったん阻止できました。
しかし、古川知事と九州電力はいまだにこの時の反省をなんらせずに、福島事故がなかったかのように、住民の命を軽視して、カネのために再稼働を狙っているのです。
再稼働を阻止するために、いまあらためて覚悟を決めなければなりません。
私達は、2010年8月9日「玄海3号機MOX使用差止」提訴、2011年7月7日「玄海2・3号機再稼働差止」仮処分申請、2011年12月27日「玄海全基運転差止裁判」提訴、この3つの裁判で具体的危険性を追及しながら、法廷外でも玄海町や市町村を訪ね歩いたり、国、県、九電と交渉したり、座談会、集会を開いたりしてきました。すべては種まき、いずれ花となり実となることを願って、1つ1つ取り組んできました。
この活動の延長線上に、このたび、会の名称を「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」と改称することとしました。
普通の生活を守るために、子ども達の笑顔がいつの時代にもつづくように、全世界の仲間達とつながりながら、みんなでチカラをあわせて、玄海原発を、そして世界中の原発をすべて止めるための行動を続けていくことを、ここに誓います。
2013年6月8日
玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会