1月24日 玄海原発行政訴訟初公判に際していただいた全国の仲間からのメッセージです!
「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」へのメッセージ
今回、384名で新たに国を相手に裁判を起こされたことに心から敬意を表します。すでに九州電力相手の3つの裁判を抱えながら、いよいよ本丸に迫ろうという意気込みがひしひしと伝わってくるようです。
国は、福島原発事故による汚染水が新たな深刻な様相を見せているにもかかわらず、その実態をオリンピック誘致の陰に隠し放置して、もっぱら原発の再稼働審査に邁進しています。エネルギー基本計画では、福島原発事故などまるでなかったかのように、原発・核燃料サイクルの全面推進を打ち出しています。みなさんの意思は、このような方向に重要な一撃を与えるに違いありません。
いま、審査の過程で、基準地震動をどう評価するかという根本的な問題が浮上しています。基準地震動を武村式によって評価し直せという主張は、玄海原発行政訴訟でも中心的な論点となっています。国との交渉などを通じても、これを大きく問題化していきましょう。
また、具体的な避難計画なしの再稼働はあり得ません。この点でも、佐賀・福岡等の運動と福井・関西の運動は密接に情報交換しています。実際には避難計画など立てられないことを、住民や自治体に働きかけていく具体的なプロセスを通じて明らかにしていきましょう。
私たちは関西の地で、大飯原発訴訟を闘い、また避難計画ではおおい町や高浜町、さらには関西の各府県への働きかけを強めています。
九州と関西の運動はいっそう密接に協力して、運動の重要な軸を形成していきましょう。全国各地の運動と連携して、原発の再稼働を許さない闘いを前進させていきましょう。
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)
福島からのメッセージ
「福島=福の島」には、命を育てる、たくさんの「福」がありました。おいしい水、空気、食べ物。人間が生きて行くのに必要なものは、自然界の中にあります。それらを、原発事故は全て奪いました。
福島原発事故から、3年が経とうとしています。この間、福島県民が、どれ程の苦しみを味わったことか。子どもたちが、障がい者が、高齢者が、妊産婦が、母親が、父親が、お祖母ちゃんが、お祖父ちゃんが、突然、放射能に汚染されたこの土地で将来の不安を抱えています。ここで、生きていくことを選択するべきか、避難するべきか、未だに迷い悩み続けています。
放射能が決して安全ではないと分かっていても、どうすることも出来ないこの理不尽な仕打ちに、私たちはどう立ち向かっていけばいいのでしょう。
福島切り捨てを決め込んだ日本政府に怒りと、絶望ばかりがこみ上げてきます。福島で生きることがどれ程過酷なことであるか、想像してください。
2010年、福島第一原発3号機にMOX燃料が使われてしまいました。老朽化している原発を稼働するだけでも危険きわまりない中、更に追い打ちをかけるようなこの暴挙に、福島で反対の声を上げたのはわずかでした。そして、翌2011年に原発事故が起こったのです。最悪のシナリオが起こってしまいました。事故が起こったときに、多くの人が後悔しました。「もっと反対の声を上げればよかった」と。
原発がなくとも、日本の電気が足りていることも、再生可能エネルギーで十分賄えることも、原発は事故が起こらなくとも、環境を汚染していることも、既に多くの人々が知っています。福島では、再生可能エネルギーを市民の手で広めていく行うプロジェクトも始まっています。これから、原発は、時代遅れの発電となることは間違いありません。
福島が失った「福」と引換えに、これからが生きて行くために、私たちが、今何をすればいいのか考えるきっかけをもらいました。大きな代償でしたが、これ以上同じ過ちは繰り返すことがあっては決してなりません。
人類は、自然の恵みなしでは生きることが出来ないことに気づいてください。命が一番大切なのだということを一人ひとり自分の事として受け止めて下さい。そして、貴方の出来る事を一つ始めて下さい。未来は、そこから変わっていくのです
いのちのせんたくひろば代表 佐藤幸子
「玄海原発プルサーマルと全基をみんなでとめる裁判の会」を闘うみなさまへ
原発事故は私たちの「普通の生活」を瞬時に奪います。
東電福島原発事故から3年、未だに14万人が家を追われ、暮らしを奪われています。事故を起こした原子炉からは毎時1,000万ベクレルの放射性物質が大気中に放出され、汚染水は海に漏れ続けています。
4号機の燃料取り出しも始まり作業員の被曝は夥しいものがあります。
除染により出てくる放射性の廃棄物は大きな袋に詰められ、家の敷地に置かれたり庭に埋められたり、耕作できない田んぼに大量に積み上げられたりしています。公園に積まれた袋の上で子どもが遊んでいたという報道もありました。
18歳以下の子どもたちの甲状腺検査では今のところ23万人中58人が癌または癌の疑いと言う結果が出ています。今、福島では、新たな放射能安全キャンペーンと帰還政策が大変な勢いで推進されています。今福島で起きている、命をないがしろにしたこの人権侵害は、日本中で起こり得るものです。
みなさんが、勇気をもって起こされた裁判は本当に大切な取り組みだと思います。
ともに手をつなぎ、明るい未来を創って行きましょう。
福島原発告訴団 武藤類子
思いは一つ、全原発廃炉。佐賀の皆さまの粘り強い活動に敬意を表します。
原発という暴走機関車は、懲りることなく再発進の準備をしているようですが、止められるのはその正体を知っている市民。粘り強く呼び掛けて、もっと大きな輪を作っていきましょう。
南方新社 向原祥隆(鹿児島県)
原告団のみなさま
「原発さよなら四国ネットワーク」の大野恭子と申します。
みなさまの不屈の精神にいつも励まされ力をいただいているものです。
国への行政訴訟に踏み切られたことに対し心からの敬意と感謝をこめて
連帯のご挨拶をさせていただきます。
私どもの地にある伊方原発3号炉もプルサーマル炉であり
再稼働が一番手と言われ規制委員会の審査が急ピッチで進められています。
福島の事故の原因究明も収束もされないまま、
過酷事故を前提とした規制基準の審査など許すことはできません。
住民の命を犠牲にし、実現不可能な避難計画作成に周辺自治体が振り回される現実に
怒りと不安は日々膨らむばかりです。
日本で初の原発行政訴訟を闘ったのは、伊方の地でした。伊方原発が建設される前の1973年でした。
愛媛の西の端の半島に住む住民により、設置許可の取り消しを求め提訴されたのですが、裁判が続けられる中で
1977年に1号炉が運転され、そして1978年には2号炉の増設許可取り消しを求める裁判が提訴されました。
しかし1982年には2号炉の営業運転も開始されました。
2000年の敗訴結審まで長い闘いでした。
裁判の中で、原告住民と支援する学者たちは原発の危険性を訴え続けました。
現実社会ではその論拠を証明するかのようにスリーマイル事故が起き、チェルノブイリ事故が起き、伊方原発から800メートルのところに
米軍ヘリコプターが落下炎上したのです。
中央構造線活断層による大地震、津波の危険性も指摘し続けました。
そして、2011年3月11日福島原発事故が起きました。
あの時、あの訴訟の中で正しい判決が出ていれば福島の事故は起きなかった!
地震大国日本で原発など運転できないのだということを国が認めていれば・・・
と、何度も何度も自分の怠慢を責めながら思ってきました。
私自身は、チエルノブイリ事故のあと、小さな子供たちの手を引き、裁判の傍聴席でおっぱいを飲ませながらの日々でした。
今は亡き原告の方々の「子孫に禍根を残してはいけない。核と人類は共存できない。」
と、訥々と語っておられたお姿が目に焼き付き、後に続きたいと願い今日に至っています。
伊方訴訟の原告の皆様が、闘いの中で有形無形の力で私たち住民を守ってくれ導いてくださっていると思っています。
福島原発事故を起こしてしまったのですから、司法は変わるべきです。
伊方原発訴訟のときのような国を擁護する判決など許されません。
佐賀の皆様の地を這うような日々の活動が、地元の人々の心を知らず知らずのうちに動かしてこられたように
困難な行政訴訟においても、強力な弁護団、支援団の方々と共にきっと大きな岩を砕いていかれることと拝察しています。
私たちも皆様に学びながら、一日も早い廃炉に向けて力を尽くしたいと思います。
どうかよろしくお願いいたします。
原発さよなら四国ネットワーク 大野恭子
2006年耐震指針の改訂にあたって、地震学者の一致した見解により、「設計を超える揺れに襲われて過酷事故となり、放射能災害をもたらす可能性」(=「残余のリスク」)がゼロではないということを認めておきながら、それに対して行政は何ら指導も規制もしませんでした。そればかりか、地元自治体にも住民にも、従来の安全神話とは180度異なるこの新しい見直しの意味するところを、説明すらしなかったのです。
せめて住民に説明されていれば、原発にもプルサーマルにもストップがかかり、全国の原発は止められていたかもしれません。そうすれば3.11福島原発震災は未然に防げたのです。
事故後も平然として罪に問われず、すべての責任を電力会社のみに押し付けていますが、保安院、安全委員会など、およそ規制とは言えない、原子力推進を優先としてきた行政の罪は何倍も深いといえます。この困難な提訴に踏み切られたことに心より感謝します。
「故郷(くに)を返せ」は、福島のことだけではありません。「列島を返せ(元へ戻せ)・地球を返せ」と叫び続けます。
東電株主代表訴訟原告 東井怜
玄海原発を運転させない裁判の初公判に向けて
玄海原発の息の根を止めるべく、4つ目の裁判を立ち上げた佐賀の皆さまに、改めて敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。
国内初のプルサーマルに「NO!」の声を上げ、これを止めるためのあらゆる努力を惜しまずに続けて来られた佐賀の皆さまの活動には、いつも勇気づけられ、元気と刺激をいただいて来ました。
それから既に7年は経っているでしょうか。ふるさとを放射能から守りたいというその純粋で熱い情熱は、衰えるどころかますますパワーを増して全国の人々にも玄海原発反対運動の名を轟かせています。皆さんのことを恐らくは直接知らない人までも、佐賀や九州ではこんなことやっているよ、とネットの記事等を見つけて時々私に教えてくれます。それにはかならず皆さんのパワフルな運動に瞠目し感嘆する言葉が添えられています。名古屋でも頑張らなくちゃ、そんな思いでつい人に伝えたくなるのでしょう。きっと皆さんが想像する以上に玄海原発の再稼働と裁判の行方は広く注目されているはずです。
福島原発事故の今も続く深刻な被害を目の当たりにし、原発を進めて来た人たちの無責任・無反省を見せつけられた私たちは、もう「安全性が確認された原発」なんて言葉を信じることはできません。だから「再稼働などあり得ない」のです。皆さんと同じ思いを持った人たちが全国に大勢います。私たちも、浜岡原発の廃炉まであとひと踏ん張りしないといけません。玄海原発もきっと皆さんの力で止めて、今度はぜひ脱原発のトップバッターになってくださいね。
初公判での意見陳述、頑張ってください。未来に生きる人たちもきっと応援してくれています。
核のごみキャンペーン・中部 安楽知子
今九州に何故いるのかを時々悩ませます。
福島で原発事故に会い被ばくし、避難先佐賀に安心を求めて来たにもかかわらず原発の再稼働ありきの国や電力会社原発事故被害者であり、避難者の立場からあの事故で「全国の原発は即時廃止」になると思っていました。
しかし福島の原発事故以降も電力会社も国も推進派の科学者もウソばかり。
国の政策はいまだ原発を捨て去る勇気を持っていません。
福島でもまだ多くの県民は放射能の恐怖におびえながら、目や耳を覆うようにして生活を続けています。
国ぐるみで県民を騙し、放射能で汚染された土から野菜を作らせ、汚れた海の魚も食えという。
いまだだれも責任を取らず、事故の収束もままならない中、全国の電力会社は事故の重大さを認識出来ないでいます。
九州電力も同じ様に他人事の様な無責任な言動、佐賀県もいまだに県民と向き合いながら原発について話し合う機会さえも与えない。
福島からの避難者として、玄海原発を廃炉にするための長年の努力に頭が下がります。
あらゆる訴訟を起こされている、石丸様はじめ関係者のみなさま本当にご苦労様です。
みなさまの活動は推進している佐賀のみなさまの命や健康を守る運動である事は間違いありません。
福島の事故以降、原発立地圏は福島とおなじ気持ちでなければいけません。
あの事故は福島が犠牲になり、多くの事をみなさまへ知らせるきっかけになった事故でもあります。
どうかこの日本から原発が一日も早くなくなる事を切に願っております。
皆様の活動が多くの県民のみなさまに支えられます様願って止みません。
未来ある子どもたちへ安心出来る環境を手渡せる様に共に頑張って参りましょう!
福島原発事故被害者 木村ゆういち(長崎県長崎市)
3.11以降、日本政府やマスコミの行動がとてもおかしいことが、だれの目にも如実にわかるようになりました。
これは、今まで政府は私たち国民を保護するものばかり思っていた私たち多くの善良な市民の勝手な勘違いでした。
今こそ、私たち一人一人が真の市民としての自覚を持ち行動すべき時になりました。
私たちは、これ以上原子力が持つ負の遺産・放射能を世界に拡散しないために、これらと決別することを誓います。
そして、そのためにできることをなんでも致します。
マスコミが如何に世論を誘導しようとも、政府が如何に原子力を推進しようとも、私たち市民は、断固、これを拒否します。
そして、一人一人が手を取り合って、原発の再稼働を許しません。
この国は、民主主義国家です。国民一人一人が主権を持っています。
私たちの国を守るため、この裁判も応援します。
自然養鶏の松原農園 松原学(宮崎県延岡市)
訴訟には参加していないのですが、 Facebook で応援メッセージ募集を見て、メッセージを送ります。
絶対に責任を取れない原発は、必要性が仮にあったとしても、やってはいけません。
ましてや、必要がないことが分かっているのだから、直ちに辞める以外の選択肢はあり得ません。
米国のNRCの前委員長や、GEまでもが原発は辞めるべきだと表明しています。
世界最大級の原発事故を起こした当事国の日本が、原発を続けるなんてあり得ません。
他の国に対して、未来の日本に対して顔向け出来ません。
今すぐ玄海原発を、いや、全ての原発を止めて下さい。
石堂太郎(兵庫県)
地球上の全ての生命を脅かす原発に 私達は頼るべきではありません。もうこれ以上、安全神話は通用しません。金権腐敗政治がもたらした原発だったと気付いた国民は一刻も早い廃炉を願っています。子どもたちの未来を破壊するか 守れるのか 今生きている私達大人は試されています。わが国は国民主権国家であり 三権分立が保障された国家であるはず。立法府や行政府が金権腐敗に汚されていても 司法府、裁判官こそが最後の砦です。裁判官は多くの国民の願いと未来へ続く子どもたちの命を お金と天秤に掛けず、裁判官として正義を貫いてください。
これ以上国民を絶望させないで下さい。私は 幼い孫の笑顔を見るたびに 何が何でもこの国の未来を守らなければと思いを強くし 命の続く限り訴え続けます。
玄海原発プルサーマル裁判の会の皆様の血のにじむような努力に感謝します。
R.T(神奈川県)
団長 石丸初美さま
日ごろよりこの運動のため、ご尽力くださり本当に感謝しております。
一度、Aさんとそちらの事務所を訪ねたことがあります。多分お忘れでしょうが・・
『福島の事故を忘れない。子どもたちに負の遺産はこれ以上残したくない。二度と原発を動かすことがあってはならない。』との思いで小さな声を上げ始めたひとりで、ただのこどもを持つ母親です。
24日はいけませんが、「心はともに」。あります。
ありがとうございます。
初美さんを勝手に母のような存在に(気持ち悪いですよね・・すみません(汗))思わせて頂いているいち母より。
お身体もご自愛くださいませ。
中野和美(福岡県福津市)
裁判についてのメッセージ
2012年の核発電ゼロは、子どもの日に始まり、6月の再稼働決定で終わった。
2013年の核発電ゼロは、敬老の日に始まり、2014年1月現在も続いている。
子どもと胎児が放射能に敏感なことは言うまでもないが、免疫能力の低下しつつある高齢者も別の意味で放射能に脆弱であり、こうした原発ゼロの開始日は象徴的である。
去年の秋ごろまで「再稼働レース」の先頭は伊方だと言われていたが、いまは川内または玄海だと言われている。
プルサーマル運転は、関電と東電の脱落で、九電が先頭に立たされた。
核発電ゼロが半年以上続いたあとの再稼働でも、九電を先頭に立てようとしている人たちがいる。
石油、石炭、天然ガス、ウランは、シェールガス「革命」を考慮しても、あと100年ないし200年で枯渇する。
努力しなくても日本と世界で「再エネ100%」は23世紀ころには実現するだろう。努力すれば再エネ100%は2050年ころに実現可能だろう。
ウランが枯渇するのに、原子力ムラは1000年単位で続けると主張する。その根拠は次世代技術への期待である。すなわち高速増殖炉、トリウム核発電、核融合発電である。
高速増殖炉は軽水炉より早く研究が始まったのに実用化の見通しはなく、すでに破綻している。
トリウム核発電は、放射線が強くてテロリストに盗まれにくいことが「メリット」だと推進派が告白している。
核融合発電は果てしなく困難である。原爆から核分裂発電への距離は近かったが、水爆から核融合発電への道は果てしなく遠い。
3つの次世代技術はどれも展望がない。
人類が始まったのは、700万年前(類人猿と猿人の分岐)であり、20万年前(現生人類の成立)である。人類の終焉は10万年単位、100万年単位の未来だろう。1億年後に人類が存在している可能性は低い。太陽の核融合が暴走して赤色巨星となり、地球が終焉を迎えるのは数十億年後である。それよりだいぶ前に地球生態系は終焉するだろう。
人類史の大半は再エネ100%だった。化石燃料とウランの時代は数百年にすぎない。そのあとは再び再エネ100%になる。もちろん過去への逆戻りではなく、高度技術を伴う再エネ時代である。高レベル放射性廃棄物の後始末期間は、法律によれば、10万年(フィンランド)あるいは100万年(ドイツ、アメリカ)である。役に立つのは200年以内、後始末が10万年以上とは、非効率な技術である。
振り返ると、核兵器は通常兵器よりも効率がよいが(時間あたりの破壊力)、核発電は火力発電よりも効率が悪い(熱効率)。安全性、経済性、効率性からみて、核文明は幻想だった。
再稼働と核発電輸出と核燃料サイクル(潜在核武装)の幻想にしがみつく安倍政権の暴走を止めるために、玄海をとめることが非常に重要である。
戸田清 長崎大学環境科学部教授
玄海原発3・4号機停止命令訴訟応援のことば
残余のリスクはどこへ?
3.11福島原発爆発事故によって、地震国日本の原発の安全性は180度変わりました。原子力安全委員会を引き継いだ原子力規制委員会は、発足にあたり次のように述べています。
原子力に対する確かな規制を通じ、人と環境を守ることが
原子力規制委員会の使命である、と。
この尊い使命感を成就する前提である「確かな規制」とは、当然、3・11を覚えていれば、「地震・津波に対する確かな規制」こそが最も望まれます。しかし、基本方針の「地震・津波の評価の厳格化」において、「活断層の認定基準を厳格化すること」が決められています。
一体これはどうしたことでしょう?
1995年、突如発生したマグニチュード7.3の地震によって阪神・淡路大震災が発生したことを省みて、2006年に5年余の歳月をかけて改訂された新耐震設計審査指針の規定を軽視、あるいは無視しています。これでは、原子力規制委員会は地震に無知だとしか考えられません。
新指針改定の議論の中で明確になったことは、活断層の認められていない所で大地震が起こること、その大地震がいつ、どこで、どんな大きさなになるのか、地震学者らにはさっぱり分からなくなったことではなかったのですか。将来起きる地震を予知することは不可能であり、起きてはじめて分かるのが地震だということを、政府が選んだ地震学者らが認めたということです。
そこで、原子力安全委員会はインチキをやりました。残余のリスクを新指針に入れたのです。残余のリスクというのは、「策定された地震動を上回る地震動の影響が施設に及ぶことにより、施設に重大な損傷事象が発生すること、施設から大量の放射性物質が放散される事象が発生すること、あるいはそれらの結果として周辺公衆に対して放射線被ばくによる災害を及ぼすことのリスク」です。福島原発で起きたシビアアクシデントとそっくりでしょう。さらに、「施設の設計に当たっては、残余のリスクの存在を十分認識しつつ、それを合理的に実行可能な限り小さくするための努力が払われるべきである」としています。ここで原子力安全委員会は、「バックチェックする既設の原発には問題なし」と したんです。まあ、なんというか、呆れた話ですが、原子力規制委員会の規制基準には、残余のリスクについて一言もありません。原子力規制委員会の、尊い使命感はどこへ行ったのでしょうか?
3.11までに、活断層のない所で起きた地震には、
① 2000年10月・鳥取県西部地震・マグニチュード7.2。
③ 2005年8月・宮城県沖地震・マグニチュード7.2。
③ 2007年3月・能登半島地震・マグニチュード6.9。
④ 2007年7月・新潟県中越沖地震・マグニチュード6.8。
の4つがありますが、いずれも、原発の基準地震動を超えた地震です。そういう地震の発生確率は、1万回に1回、あるいは10万回に1回でした。それがわずか8年間に4回も起きているのです。
とりわけ柏崎・刈羽原発を襲った地震は大きく、原発は危機一髪で、あわや残余のリスクが現実に起きる所だったのです。島村英紀さんは、「この時に原発をやめる決断をしていれば、3.11は起きなかった」と言われています。
本当にそうですよね。少しでも生命とか子どものことを考える力があったなら、「残余のリスク」がある原発は、地震国日本には無理と分かったはずです。
その残余のリスクを無視して、どこにあるか分からない活断層の認定基準を厳格化するって、
一体どういう事ですか?
規制基準では、シビアアクシデントが起きたら30㌔圏内の全ての住民を、子どもも赤ん坊も、妊婦も障害者も高齢者も外国人も、すべての人を数時間から1日以内に避難させろ、としています。そんなこと不可能でしょう。通常時ならいざ知らず、地震が原因なら、福島原発事故で経験済みです。出来ませんよ。
広島で金曜日に「2人デモ」を続けている哲野イサクさんは言います。「原発は電気を作るためにあり、電気は人々の生活を豊かにするためにある。その原発が重大事故を起こすと、人間が避難させられる。それは本末転倒ではないか。そんな原発ならいらない」と。
私もそう思います。
原子力規制委員会が「人と環境を守るという尊い使命」を果たすために、玄海原発はもとよりすべての原発の再稼働をやめ、直ちに原発ゼロを実現するように要請します。
九州電力は、玄海原発が地震で壊れる前に撤退せよ!
小田美智子(東京)