【「苦しみを未然に防ぐこと!後悔のない判決を!」佐賀地裁でアイリーンさんと玄海町の青木さんが意見陳述】

9月11日、佐賀地裁で玄海原発行政訴訟と全基運転差止裁判の口頭弁論が行われ、原告2人が意見陳述を行いました。

行政訴訟では、玄海町で農業をされている青木一さん(77歳)が「玄海町の住民として誰かが言葉を出さなければいけない」との思いで、陳述を行いました。
青木さんは、玄海に原発が立地された後から、周辺の海で奇形魚が釣れるようになったこと、「協力金」という形で各戸あたり約100万円が町内全戸に配布されたこと、また、反対運動に奔走した若いリーダーがその後、町に居れなくなって消え去ってしまったことなど、原発ができたことによる地域社会の歪みを克明に語りました。また、最近、老人会の研修会で小城市の避難所まで研修旅行に行った時に参加者が口々に「逃げるぐらいないら、死んだ方がましたい。避難しなきゃならんなら、原発はつくらん方がよかばい」と言っていたことを紹介。人間だれしも恐怖におびえることなく、心おきなく生活できるよう、理不尽な原発をやめることを訴えました。

全基差止裁判では、京都の市民団体、グリーンアクションのアイリーン・美緒子・スミスさんが意見陳述を行いました。
写真家ユージン・スミスさんと共に水俣病を世界へと告発したアイリーンさんは長年にわたり脱原発を訴え、全国と世界各地を奔走されてきました。玄海の裁判も一貫して支え続けてくださっています。アイリーンさんは1973年3月20日に水俣病患者が加害企業を相手取った裁判で初めて勝利した時のことが忘れられないとして、「地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防ぐ」ことの重要性を謳った判決文を紹介。また、関西電力MOX燃料データ不正事件を市民で追及した時のことを振り返りながら情報公開の重要性や、アメリカの科学者、エドウィン・S・ライマン博士のMOX燃料の危険性への警告などを紹介し、後悔のない判決を出すよう訴えました。

地元だからこその苦しみを抱えた青木さんの訴えと、グローバルかつ普遍的な視点を持ったアイリーンさんの訴えは、私達の心を打つ素晴らしいものでした。裁判官の胸には届いたでしょうか。

また行政訴訟では、国は提訴から2年、今頃になって「原告適格」が認められないと長々と書面を出してきました。(「被告第5準備書面」)
私達は、国・原子力規制庁が出した放射能拡散シミュレーションをベースに独自に試算、全国に散らばる原告すべてがICRPの公衆被ばく限度の年間1ミリを被ばくする可能性があるとして主張を出していました。(「原告準備書面2」)
これに対して国は「原告らが年間1ミリシーベルトを超える放射線量を被ばくをしたとしても、それだけではもんじゅ最高裁判決にいう『その生命、身体等に直接かつ重大な被害を受ける』」ことが想定される範囲の住民に該当しない」と、ICRP基準さえも公然と無視。さらに、国自らが出した拡散シミュレーションさえも「現実におこりうる可能性のある事象を予測したものではない」と、自己否定しました(このシミュレーション発表後、避難計画作成の範囲は30キロとされた)。なりふり構わない、滅茶苦茶な言いようです。

こうした主張にバッサリ反論しつつ、行政訴訟、被告九電の全基差止裁判ともに、基準地震動問題、重大事故対策、汚染水問題等々、中身の主張を堂々と展開していく予定です。


次回、次々回の日程が決まりました。
玄海再稼動の動きも加速されていく中、重要な時期の裁判です。傍聴をお願いします!

●11月20日(金) 佐賀地方裁判所
 10:30行政訴訟第7回弁論/ 11:00全基差止第14回弁論 /11:30仮処分第17回審尋
●2月5日(金) 佐賀地方裁判所
 10:30行政訴訟第8回弁論/ 11:00全基差止第15回弁論 /11:30仮処分第18回審尋

【MOX控訴審第2回口頭弁論もあります】
●12月7日(月)11:00~福岡高等裁判所


裁判書面

過去の書面はコチラから

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玄海全基被告準備書面5
20150910玄海全基被告準備書面5.pdf
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行政被告第5準備書面
20150904行政被告第5準備書面.pdf
PDFファイル 3.3 MB

陳述書


2015年9月11日

佐賀地方裁判所 御中

佐賀県東松浦郡玄海町
青木 一

 

私は玄海町に住む青木一と言います。昭和13年1月生まれの77歳です。
玄海原発から6キロほどの集落に住んでいます。玄海町の住民として誰かが言葉を出さなければいけないとの思いで、今日は陳述させていただきます。

 

1.私は唐津市枝去木という集落の農家に生まれ、昭和33年に玄海町に来て、地元の商事会社に入社しました。
  原発については、昭和50年には1号機が、56年には2号機が運転開始されました。
  1・2号機のそばに八田という内海がありますが、ここに原発の中を通ってきた冷却水が排出されます。この高温の排水で海水温がどんどん上がって、今まで釣れなかった魚がどんどん釣れるようになりました。隣の家のおじさん達も週に4回ぐらいは魚釣りに行って、ハマチとかボラとかチヌなどを釣っていました。
  ところが1年のうちに、骨が曲がったり、目が片方なかったりという奇形魚が出るようになり、町民の中でも釣り人の中でも「原発は危なかぞ、原発の稼働で魚がこやんこつ、どんどん釣れよる」という話が飛び交うようになりました。原発の温排水に何か危険なものが混じっている、魚介類に影響しているのは間違いないと思いました。

 

2.3・4号機の増設の話が出てきた昭和53年頃、国が協力金を出すからということで、みんなが飛びつきました。町内では1戸あたり100万円ぐらいの協力金が全戸に交付されることになって、そのお金は町が管理して、部落の運営費などに使うことになりました。漁業関係者には漁業権の補償ということで1戸約1000万円がわたったと聞いています。子どもが1万円札をちらつかすような状況がありました。
  出稼ぎなどで町外で生活している人が、いったん玄海町に帰って、籍をおいて、漁業権をとって、協力金をもらうといったこともありました。悪質なエゴが生まれてしまいました。
  交付金が来て、町は裕福になるかと思いましたが、公共事業でハコモノばかりがどんどん増える一方で、漁業は衰退していきました。

 

3.玄海原発で事故が起きたらどうなるのでしょうか。
  放射能はどこへでも風に乗って飛んでいきます。原発は町の北西の端にありますが、原発から吹いてくる北西の風、冬はこれが一番多いのです。春先から夏にかけては南風、秋から冬にかけては北風も西風も吹きます。西風なら、まっすぐ唐津、糸島、福岡方面に吹いて、唐津まで降りた風は海岸の北風にのって、佐賀方面に流れることもあります。上空に舞い上がった風が、西日本全域に流れることもあります。
  爆発ということになれば、風に乗って、放射能は九州一円に広がり、どこに住んでいても被ばくを免れないと思います。
  県と町が避難計画をつくっていますが、万が一の時にどこへ逃げるのか、避難場所だけは確認しておこうと、今年4月に老人会でバスを貸切にして30キロ圏外の小城市の避難所まで研修旅行に行きました。参加メンバーに、玄海町から避難所まで車で逃げていけるかと聞いたら、「おいどんは、こやんか道路、行ったり来たり、人の後をついて行き来らん。逃げるぐらいなら、死んだ方がましたい。避難しなきゃならんなら、原発はつくらんほうがよかばい」と、みな口々に言っていました。
  もしも大事故が起きたら、それは一企業である九州電力が起こした事故なのに、なぜ住民がふるさとを捨てて逃げなくてならないのか、理不尽きわまりないことだと思います。

  かつて3・4号機の建設予定が打ち出された時、「それは反対しなければ」という声もあちこちの部落で飛び交いました。
  そうした中、町民の過半数の署名を集めれば交渉をもてるということで署名運動が展開されました。消防団の幹部で指導員をされていた、私より6歳下の青年が旗振り役となりました。私も消防団をやっていて、彼の言っていることはその通りだと思いましたが、仕事上、反対の行動には参加できませんでした。
  中心で動いた彼は、増設決定後、町にいられなくなり、いつの間にかいなくなっていました。今どこにいるかも分かりません。そういう地域社会なのです。今、彼がどこかで生きているのなら、裁判でこうして訴えていることを応援してほしいと思っています。
  町内では今なお、「原発はもういらない」という話をしても、仕事の関係などでそう言えない人、しっかりした判断をできずにそのまま聞き流してしまう人が多く、絶対反対と唱える人はなかなか出てこないのが現実なのです。

 

4.2011年3月11日、福島原発事故が起きてしまいました。
  玄海原発でも、もしも事故が起きたら、玄海町は人の住めない廃墟の村になってしまいます。仮に事故が起きなくとも、使用済み燃料をどこへ持っていくのかも決まっていません。全部廃炉となって、原子炉を取り壊すことになったとしても、近辺の数キロはお墓と同じで、もう誰も住めないのです。
  長崎にはプルトニウム爆弾が落とされました。原爆で苦しんだ人類が、国策によって原子力の「平和利用」として、危険な原発、プルサーマルを続けてきました。しかし、原発はやめて、放射能を出さないエネルギーで電気をまかなえる状態をつくっていけばいいと思います。
  私も「原子力の電気にたよらないで生きていけるよ」という証のために、2年前に太陽光パネルを設置しました。これであと10年、原子力をつかう九電にお世話にならずに生きていけます。「原発よ、さよなら」と言わせてもらいたいです。

  本年1月、原発30キロ圏の伊万里市で八十路の女性が語りかけてきました。「あなたは玄海の人なら、ぜひ原発を止めてください。私は3.11以来、原発が怖くて眠れない日もあります」と。恐怖の心の病に悩む方でした。こうした人々は30キロ圏内だけではないと思います。人間だれしも心おきなく生活できる環境こそ最大に幸せです。
  何卒、幾多の人々の苦心に応えて頂きますようお願い申し上げます。
以上

陳述書

2015年9月11日

佐賀地方裁判所 御中

京都市

アイリーン・美緒子・スミス

 

私はアイリーン・美緒子・スミスです。京都市の市民団体、グリーン・アクションの代表です。年齢は65才です。佐賀県の玄海原発でMOX燃料の使用が計画されていると発表された2004年頃から、佐賀県に来るようになりました。

 

1.
私の第二の古里は、九州です。今でも九州に渡るとほっとします。原発問題との関わりの原点も、九州です。
20代の始め、3年間水俣で暮らし、夫のユージン・スミスと水俣病の写真を撮っていました。その中で、一生忘れられない日があります。1973年3月20日です。水俣病患者の皆さんが、加害企業チッソを相手取った裁判で初めて勝利した日です。法廷の中で裁判官が判決文を読み、語った言葉は一生忘れることはありません。判決要旨には次のように書かれています。「・・・安全性に疑念を生じた場合には直ちに操業を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するものといわなければならない。」この日、司法の重要性、ありがたさを心の底から感じました。この体験は、私の人生と仕事を毎日支えています。
この陳述で語る内容は、全て私が体験したことです。正直に、ありのまま語ります。

 

2.
1999年、関西電力高浜原発4号機のMOX燃料の装荷前、英国のBNFL社のMOX燃料製造施設MDFで、品質保証の不正・ねつ造が行われたことを市民と弁護士などが中心になり、暴きました。私はその市民の追求追及に大きく係わっていました。この経験を通して確信したことは、情報公開が肝心かなめであるということです。
関西電力と国は、品質保証データに不正・ねつ造があったことについての情報を入手していても、それを当事者の市民や自治体から隠し通そうとしました。国が隠していた事実は、国会の委員会の尋問で議員の追求追及によりあばかれ、証明されています。関西電力が隠した事も証明されています。しかし、今にいたっても、国も関西電力もこのことについて一言も詫びていません。

 

3.
玄海3号機ではMOX燃料を使用することになっています。裁判ではMOX燃料については別裁判になっていますが、玄海3号機が動くということはMOX燃料がたかれるということですので、その関係でも発言します。このMOX燃料を製造している会社はメロックス工場はメロックス社を子会社とするアレバ社(アレヴァエヌシー)の施設です。この燃料の品質は、公正な当局の監視もなければ、必要な品質保証データの公開もありません。フランスの市民団体とグリーン・アクションが協力して得た、フランスの原子力安全局ASNの2010年3月31日に発行された書簡には、「ASNは、日本向けの製造品質の監督には従事しておりません。」と書かれています。一方、日本政府のいわば「監督」は品質保証の生データにアクセス出来ない中で行われており、監督にならず、玄海原発3号機のMOX燃料の品質を保証するものではまったくありません。
顧客である関西電力に生データを要求しても、アレバ社から品質保証に関する生データは入手出来ないと言われました。アレバ社は、自分の顧客にすらこのデータを公開しないのです。アレバ社この会社は歴史的にフランスの核兵器のプルトニウム供給に長年携わってきており、軍事産業に深く係わって来た独占企業であり、秘密主義が濃厚な会社です。

いったいどのような品質のものが玄海原発3号機に装荷されているか、アレバ社しか知りません。九州電力は、多くの住民を巻き込んで福島事故後も、得体の知れない燃料の利用を続投しようとしているのです。
アレバ社は最近、品質保証の欠落で国際的に大問題を引き起こしています。自社が製造した幾つもの原子炉圧力容器の材質が不良品であることが発覚されたのです。フランスの原子力安全局ASNの審査プロセスにより品質の欠落が見つかったのは、深刻なことに、建設中の原発に設置された後でした。
アレバ社はMOX燃料に関して、今まで日本側からウラン燃料と同様の品質を要求されても、それでは不合格ロットの頻度が高くなることが予想されるとし、要求を拒否しています。このように、アレバ社で作られた玄海原発3号機のMOX燃料の品質は、深く憂慮すべきものです。

 

4.
 さらに、MOX燃料は使用済燃料プールとの関係でも深刻です。
今年の7月21日、米国の「憂慮する科学者同盟」の上級科学者で佐賀にも来ている、エドゥィン・S.ライマン博士が福井県の高浜町を訪れて下さり、高浜原発のMOX燃料利用に関して、高浜町の防災安全課の課長と会って下さいました。博士は、MOX燃料の安全性について、数多くの未解明問題があり、もっと研究が必要だと訴えました。そして日本の原子力規制委員会は福島事故の教訓に耳を傾け、情報のない中で、日本でのMOX燃料使用を認可してしまうことのないようすべきであると熱心に語りました。
 私にとって特に響いている内容があります。日本の規制当局がMOX燃料に関して1998年に認可を下ろした後、事故時のMOX燃料の振舞いに関する実験などが国際的に行われていることを博士は紹介し、にもかかわらず、当局はこれらを考慮せず、MOX燃料の使用を進めようとしていると言ったことです。
ライマン博士は、憂慮する科学者同盟が最近情報公開法に基づく請求を行った結果公開された米国政府の2011年3月25日日付の資料も紹介しました。それは3月11日直後、米国政府は福島事故が最悪の展開をした場合、東京の米国大使館を始め米国市民の避難がどのように必要になるかについて、サンディア国立研究所に分析を依頼したときの内容です。公開されたのは、使用済み燃料プールが破壊される最悪事故になれば、首都圏まで巻き込む驚異的な広さの地域が避難しなければいけないことがわかる地図等でした。
福島事故の一つの教訓は、使用済み燃料プール事故の恐怖です。博士は資料に基づいて、使用済み燃料プールに使用済みMOX燃料が多く入っている状態でプールの冷却水喪失事故が起こった場合、普通のウランの使用済み燃料の場合より速く対策を取らなければ大惨事へと進む、つまり大惨事が起こり出すまでの時間がもっと短いのだと説明しました。情報公開された米国政府の資料にも、使用済みウランと使用済みMOX燃料の比較研究を行うよう提言が書かれています。
これを聞いた高浜町の防災安全課の課長が、炉の中のMOX燃料の危険性については聞いていたが、使用済み燃料プールの話は初めて聞いた、と発言したことがとても印象的でした。日本は福島事故が起きたのに、あまりにも国際的な最新情報を取り入れないまま、今プルサーマル利用に突入しようとしているのです。
企業が、営業されている地域で取るべき姿ではないと思います。とても心配です。

 

5.
2011年3月11日、福島原発事故の悲惨な状況をテレビで目撃したその瞬間、これからの40年、50年、そしてそのまた先の苦しみが頭の中を走りました。九州電力の玄海原発による事故被害、とりわけ3号機にはMOX燃料が使用されることにより起こりうる被害、その苦しみが起こらないよう絶対に未然に防ぎたい。その気持ちで私は今日この法廷に立っています。自分の立場から、原発の大事故が再び起こらないよう努力する義務があると思っています。後悔したくありません。一昨日昨日2才になった孫の顔を見ながら痛感します。
でも、裁判官、次の大事故を防ぐための人手が全然足りません。知識や社会的力を持つ人達のあまりにも多くが沈黙しています。
人々と自然を原発の運転再開からくる脅威から守って下さい。とりわけMOX燃料を使う3号機を動かさないようにしてMOX燃料利用の脅威から守ってください。後悔のない判決を出してください。誇れる判決を出して下さい。


意見陳述本文はコチラから