「逃げられん。どがんもされん」 離島・神集島を訪問して
玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会
2017年5月31日作成
5月29日、玄海原発から12キロに位置する唐津市の離島、神集島(かしわじま)を訪ねてきました。古来、神々が集まって、海上の安全を祈ったといわれ、万葉集にも歌われた歴史のある島です。唐津市議の伊藤一之さんにも同行していただき、6人で島民にお話を聞かせていただきながら、ポスティングをしてまわりました。
島民は「電気は足りとるし、事故が起きれば逃げられん、どがんもされん、10分で放射能が来る」「原発はないほうがましに決まっとる」と、みなさん原発の被害を受けるのは自分たちだということをしっかり分かっておられました。
しかし、島民の中には玄海原発の下請け会社に勤めている人もいて、「原発いらんと言えん」と近所同士ではなかなか話せないようでした。玄海町と同じ雰囲気を感じました。
また、原発問題以前に、離島での毎日の生活は政治から見捨てられているという現状がありました。まして、原発事故が起きたら、避難もできず、誰も助けてくれない...そんな状況になりかねない現実がありました。
私たちは3月26日に馬渡島(まだらしま)を訪ね、同31日の全国の市民団体共同の政府交渉を踏まえ、4月7日に唐津市に、同10日に佐賀県に対してそれぞれ、離島等へ安定ヨウ素剤事前配布を求める要請を行いました。
唐津市からは「これまで島民の方から直接的・間接的に事前配布の要望が寄せられたことがなかった。しかし、今回の要請時に、離島住民から事前配布のお声があることをお聞きし、早速、県と離島への事前配布について協議を行っている。今後、定期的に開催されている離島代表者会議で各離島の区長の意見を伺うなど事前配布について検討していく」との回答がありました。今後、佐賀県、唐津市など行政への働きかけと、住民に知らせていく活動をさらに強め、安定ヨウ素剤の事前配布という住民の命を守る最低限の備えを確保させるとともに、再稼働反対の世論形成につなげていきたいと思います。
以下、仲間のメモを基に、見聞きしたことをまとめて報告します。
以下、仲間のメモを基に、見聞きしたことをまとめて報告します。
●300人が住む離島
島の人口は住民登録で350人とされているが、実際は約300人が居住。75歳以上の方が120人、そのうち一人暮らしの方が36人いるそうだ。
保育園1人、小学生4人がいるが、島の学校は廃校になり、本土の学校へ船で通学している。
島で唯一のお店「神集島購買部」では、食料から生活備品全般を置いている。月曜と木曜の週2回、惣菜を製造・販売し、多くの島民がここで購入するという。
40年前に購入した冷蔵庫が故障し、ネットで支援金を呼びかけたところ、100万円の資金が集まり、新調できた。そんな風に島内外にたくさんの人たちが島に思いを強く持っている。(購買部で注文していた手作り弁当をいただいたが、魚のスリミ天、きんぴらごぼうなどボリューム満点でおいしかったこと!)
●“この島の銀座通り”
玄海原発で事故が起きれば、船で本土へ避難することになっている。原発へ近づく方角だ。
悪天候等で船が出なければ島内に2か所ある「放射線防御施設」(旧神集島小学校体育館と神集島公民館)に屋内退避することになっている。
島の世話人が言う。
「10分で放射能が来る。逃げられん、どがんもされん。原発に賛成する人はおらんが、電気が足らんのじゃから反対ばかりも出来んさ…。」と。
先日、50年ぶりの大火事があり、住民でつくる消防団で消火活動にあたった。風が強くて、隣の家まで焼けた。朝で、男達が漁に出る前で、人がいたからまだよかった。
「火事があっても消防車があっても若いもんがおらん。消火活動が出来んのよ。」と、消防車の車庫をガラガラと開けて、見せてくれた。原発事故が起きても、市職員のいない島では、すべて島民自身がやらなければならない。「明日の米代の方が心配じゃ。道路も40年前のままじゃ。ここはこの島の銀座通りさ、あれが六本木ヒルズさ!」と、神集島購買部を指さす。
その銀座通りに沢山のこいのぼりの飾り物が風にたなびく。でも若者が居ない。子どもが居ない。何とも皮肉な風景だ。
●体育館の避難シェルター
「避難シェルターが設置されたが、事故の時には自分達で組み立てなければならない。4人がかりで30分かかった。あんな役に立たんシェルターなんか要らん。」と世話人が言っていたシェルターを見に行った。
廃校となった体育館の南京錠をやっとのことで開けて中に入ると、蛇腹式テントが4つ設置されている。1つのテントに16人が入る想定で、トイレもこのテント内につくり、間仕切りカーテンで仕切るだけだ。
事故時には蛇腹を引き出して、フィルターや換気装置を間違えないように接続しなければならない。
マニュアルは表示されているが、職員もいない、詳しい人もいない中、島民だけでそうした作業をして組み立てるのは、そう簡単ではないだろう。そして組み立てられたとして、こんな狭い空間にどれほどの時間留まることができるだろうか。
世話人「離島の原発施設対策では7島で20億もかかった。我々にとっては今日と明日の生活が大事だ。あんな施設をつくるぐらいなら、そのカネを島民に配ってくれ。道路も40年前のまま。広場も未整備だ。防災無線も各家庭にない。島の実情をわかってほしい。」
原発以前に、日常の生活が大変な状況だった。毎日の暮らしの中での政治不信も強く感じられた。
●もう一つの屋内退避施設、神集島公民館
公民館は収容可能人数375人とされているが、通路スペースなど全部計算に入れての話だ。とてもそれだけの大人数がここに寝泊まりできるとは思えない。
放射線防御対策として、二重窓と換気装置、電源が整備され、原発事故時には密閉されることになる。食料備蓄は数日分あるにはあるというが、風呂はない。
玄関前が狭くて、車の出入りがしにくかったので、明日から拡幅工事が始まるという。スロープも付ける。今まではなかなか予算がおりなかったが、原発関連ということでお金がすんなりおりたそうだ。
その場にいた島民に「原発の話とかされますか」と聞くと
「いやあ、九電にお勤めしている方もいるし、なかなか話はできないですね、しないといけないんでしょうが」と。
●神集島診療所
島で唯一の診療所、神集島診療所を訪ねた。
今年4月から医師が非常勤となり、月水木金に本土から通ってくる。火土日や夜間は医師不在。
医師:「安定ヨウ素剤はここで備蓄しているが、詳しい説明は聞いていない。いざという時はマニュアルを見ないとできない。」
こんな状態では、いざ原発事故が起きた時に、放射能が襲う前に安定ヨウ素剤を正しく服用するのは困難であろう。やはり事前説明の上、島民一人一人に事前配布しておくしかない。
受診に来ていた70代女性や50代男性に話を聞いた。
「どこに逃げるか知っていますか」
ヨウ素剤のことももちろん、ほとんど聞かされていない。
「砂屋が海底の砂を根こそぎ取ったので底引き漁ができなくなり、原発温排水もあり、魚がいなくなった。島には何もなか」と水産業の衰退を憂う声も。
「橋ば作って欲しか」という声も聞いた。橋を架けることは不可能な距離ではない。橋が架かればどんなに便利に安心できる生活になるだろう。
原発のためでなく、税金はこんなことに使ってもらいたい。
●島のあちこちで
広場でゲートボールしていた3人の高齢女性達が話してくれた。「息子が配管の仕事で、潜水で全国の原発をまわっている。だけど、電気は足りてるし、原発動かす必要はなか」
「何も潤っていない。1年に4,000円程度の協力金だけさ」...などと、みな原発はいらないと思っている。
「息子が消防団長。男は漁でいないことも多いので、女子消防隊もあってオイチニ、オイチニの訓練やっとるがあんまり機能しとらんよ。男42歳、女33歳が年齢上限。今は50過ぎても入ってないといけなくなった」「原発は危険じゃけど原発の廃棄物はコンクリートで固めてるから危のうないらしいよ」と、そんな話が垂れ流されているのにびっくりもした。私たちも住民に本当のことを知らせていかなければならない。
ある家を訪ねた時に「裁判もやっているんですけど」と声をかけると、「13日のことでしょう?」と仮処分決定のことを知っている方がいた。関心持ってくださっていたことは嬉しかった。
個別訪問、ポスティング、続けていきたいと思います。