本日、玄海全基差止裁判第23回口頭弁論が開かれました。
今回は、唐津市の原告で、
田口さんは学校での原発避難訓練などで、
プルサーマル県民投票署名運動が反原発行動のきっかけとなったこ
ぜひ全文をお読みください。
裁判の進行については、当初、今回は証人尋問の予定でしたが、
◆九電上申書と原告意見書はコチラ→
https://saga-genkai.jimdo.com/
2号機について九電はまだ再稼働申請をしていませんが、
来週15日には行政訴訟口頭弁論があります。
原発から40キロの平戸市生月島在住の伊福規(ただし)
ぜひ傍聴におこしください。
陳 述 書
2017年9月8日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀県唐津市厳木町
氏名 田口 弘子
(1)
私は唐津市内、玄海原子力発電所からは32kmほどの距離にあるところに住んでいます。標高410m、いわゆる山間僻地といわれるところです。
私は、今年3月まで唐津市と多久市の小学校で教諭として子どもたちとかかわりを持ってきました。私が教員になったのは中学校の教員をしていた父の影響もあったと思いますが、子どもたちの成長に関わり見守ることのできる教員という職業に魅力を感じたからです。しかし、実際、学校に勤務するようになってからは、被差別部落や解放運動と出会ったことで、それまで自分の見てきた世界とは違う厳しい社会の現実と出会い、自分の認識の甘さ・視野の狭さを感じました。そして、市民運動・社会運動に関心をもつようになりました。それまでの私は、国や県は私たち市民にとって悪いことはするはずがない、と信じていましたから、何でも鵜呑みに受け入れていたように思います。また、そうするものだと思い込んでいたように思います。
原子力発電についてもそうです。巷にあふれている原子力発電についての情報は、どれもいいことばかりですから、なぜ、反対するのか逆に反対の理由がわかりませんでした。まさか、そんな危ないものを作るわけないでしょう、とか。現に、原子力発電で潤ってるでしょう、とか・・・。そんな私にとって、プルサーマル実施に関しての県民投票を求める署名活動が、私の原子力発電についての認識を変える大きな契機となりました。そのころ、署名を集めるために県内のあちこちで学習会が開かれ、そこでいろいろな情報を得るなかで原子力発電と放射能被害について自分や命との関わりを意識するようになりました。そして「原子力発電所」はそこにあるだけで、もう凶器ではないかと思い始めたのです。そのころ、「安全なら、東京に原発を作るべき」という科学的データに裏付けされた劇映画「東京原発」を観たのも大きかったと思います。
また、学校では8月6日・9日を平和教育の節目のひとつとして、いろいろな取り組みをしていますが、子どもたちと学習する中で、広島原爆のウランと長崎原爆のプルトニウムがどちらも原子力発電所の燃料として使われているということを改めて認識し、「原爆」「原子力発電所」「放射能」が私の中でつながり、「原子力発電は怖い」と思うようになったのです。北朝鮮がテポドンを打ったとニュースが流れたとき、あれが原子力発電所に落ちてきたらどうなるのだろうと本気でどきどきしていました。
そして福島での事故が起きたとき、私はインターネットの画像で事故が起きる様子が流れるのを見ていました。よそ事のように。にわかには信じられませんでした。でも、本当に大変な事故が起きていました。そのとき、アメリカから即座に救助に駆けつけた軍隊がすぐには福島には行かず、日本海のほうに回り道をしたというニュースを見ていて、なぜだろうと思っていたところ、それが被ばくを恐れてのものだったという情報がとても衝撃的でした。一方で、そのとき、事故が起こった報道はあっても、放射能についてはあまり公にされていなかったような気がします。また、ここで避難している人たちはこの情報をどうやって得るのだろう?我が家みたいにテレビも持たず、携帯も圏外になるような場所だったら、どうやってこの情報を得たらいいのか?など、わが身と考えたら、なす術がないことにも身が縮む思いをしました。また、うちのように積雪や土砂崩れで山から下りることがままならぬ事もある地域で、うまく避難ができるかどうかも不安です。
(2)
小学校では、2ヶ月に一度避難訓練を行なっています。火災、地震、風水害、不審者対応、原子力防災など、安全教育の一環として非常時の避難の仕方を学ぶものです。学校ごとに避難計画が作られそれに基づいて、実施しています。
原子力災害についてはここ数年で行うようになりました。最初は学校ごとに作った計画で進めていましたが、昨年は教育委員会からマニュアルが届きそれに準じた計画が求められ、今年はそれに基づいて避難訓練が行われるでしょう。これまで、原子力災害といえば、とにかく屋内退避(目には見えない放射性物質を払い落として立てこもる)を行なっていましたが、熊本での地震をきっかけに職員間で問題になったことがあります。それは、地震の際は屋外に退避するのが基本ですが、同時に原子力災害が起こった場合どのように避難すべきなのでしょうか。福島の事故はまさに複合災害となり、甚大な被害をもたらしたのです。
また、原子力災害に関わらず、災害時に子どもたちを保護者に引き渡しをする場合も想定して引き渡し訓練も行うようになりました。ここでまた、疑問。引き渡しをする体育館の出口から保護者の車まで放射能で汚染された空気の中を移動することになるけど、大丈夫なの?車を誘導する職員は汚染された空気の中で誘導可能なの?「今だったら移動してもいいよ」と誰が判断するの?学校に線量計があるわけでもなく、委員会からの報告待ちということになるのでしょうが、現場で子どもを預かる職員にとっては不安の種ばかりです。
学校の職員は原子力災害の実際や放射能汚染について、あまり詳しく知りません。特別に意識のある職員以外は、文科省から配布された「原子力読本」による情報ぐらいしか持たないと言っていいと思います。当然、子どもたちの持つ原子力災害や放射能に関する知識もその程度です。その「原子力読本」は、福島での事故後に出されていますが、放射能は事故がなくても一定量自然界にあることや、医療現場で放射線を浴びていることなどを引き合いに出して危険ではないということをアピールしています。でも、実際には福島は高濃度で汚染され、事故の際の放射能が原因と思われる疾患が現れていることを小児科の医者たちが報告していました。
学校の現場は、学力向上の掛け声のもと、職員は休憩も取れないほどの忙しさの中で児童の安全を確保しつつ教育活動を展開しています。天災は避けようがありませんから、そこから身を守ること、また、身を守る術を学ぶことは生きる力を学ぶことでもありますが、原子力災害は、原発が無ければ起こりようがないのでそれを取り除くことで、避けられるのではないでしょうか。多忙な教育の現場に、さらにこのように煩雑で先の見えない原子力災害避難訓練の計画や実施に時間を割くのは本末転倒している気がします。
(3)
国と県が行った原子力災害避難訓練を昨年と今年と見学しましたが、原子力災害であっても、自然災害であっても危険から遠ざかる・逃げるよりほかに術がないのは明白です。ただ、原子力災害において最も危険な要因が放射能であることを考えると、どんなに綿密な避難計画・防災計画を立てたところで住民や地域の安全確保は難しいのだと感じました。一番の防災は危険要因である放射能を取り除くこと、すなわち原子力発電所の撤去しかありません。原子力発電所を稼動するということは、事故が起ころうと起こるまいと悪魔の物質プルトニウムを生産し続け、放射能汚染の危険を抱え続けるということを忘れてはいけません。
放射能は、目に見えません。音も臭いもありません。触ることもできません。日常の生活の中で汚染が起きたとしても、それを知ることは難しいし、自分の体に変調をきたして初めて汚染されていたのだなと気づくことになることを考えるとき、放射能と切っても切れない原子力発電所の近くで子や孫を育てることは、大きな不安を伴います。自然の中でのびのびと育てたいのにそれができない環境にしてはいけません。
(4)
私たちの子どもや孫の命のためにも、一刻も早く原発を止めてください。いえ、先に書いたように、原子力発電所は稼動していなくてもあるだけで凶器である、と私は思っていますので、一刻も早く撤去されることを願っています。
以上