【「知らされない原発問題座談会」をしませんか?】

私は、原発は「命とくらし」の問題と思っています。
原発事故は電力会社の事故です。一企業が起こす事故で、どうして住民が家を捨て放射能から逃げなければならないのか、理不尽極まりないのが原発です。
それまでの生活を、一度の事故で根こそぎ奪うのが原発です。
2009年4月から、玄海原発の状況を知ってもらいたいと思い、「一人からでもいいので、座談会を開きませんか?」と呼びかけ、教えてもらった事や運動してわかった事実を伝える活動をしてきました。これまで数百回になります。
以下、先日開いた福岡市内で学校の先生たちのグループが開いた座談会の参加者からのアンケートを紹介します。(石丸)


◆Aさん:私のまわりでは、原発問題について語り合う機会は、組合に入るまで皆無といっていいほどで、私たちの意識はほんとうに低く、何も知らなかったのだと、今日気づかされました。腫れ物に触るみたいな、触れてはいけないものみたいな、原発ってそういう感じがします。こんなに、自分たちの生活に関わるのに・・・なんだかもやもやとした思いが残ります。でも、その「もやもや」に気づけたことが、最初の一歩かなと思いました。

 

◆Bさん:4,5年前に第五福竜丸展示館と福島に行きました。郡山の教員に案内してもらいましたが、事故当時、30分ルールというのがあって、外での活動は30分しかできなかったのが、1年も経つと、なし崩しになって、不安に思いながら体育の授業をしていたという話がありました。
基準もどんどん変わって、国ぐるみで原発事故をなかったかのようにしようとしていることが、本当に人のいのちをなんだと思っているのかと怒りがわいてきます。石丸さんの怒りが伝わってくるお話でした。草の根で広げていくことしかできないですが、行動していきたいと改めて思いました。ありがとうございました。

 

◆Cさん:遠方から起こしいただき、「熱い」お話を聞かせてもらいとても勉強になりました。昨年は水俣病について学習とフィールドワークをしましたが、日々懸命に生活している市民が、人間の手によってその命や健康を奪われていく理不尽さは共通するような気がします。常に利便さや利益を追い求める社会、その中で恩恵を受けているのも事実ですが、隠されている真実がいつの間にか人々の生活を破壊する恐ろしさと、知られずにそれを進めていく狡猾さを改めて知りました。
一番納得したのは、核のゴミや除染した土壌などの捨て場所を確保するために安全基準をいつの間にか下げてしまい、ことをすんなり進めようとするおかしさです。あまりにも単純なやり方であっても、それをわからないようにやっていけば多くの人は気づかずに過ごしていきます。そしていつか人間にとって大きな被害となった時に、また大騒ぎをするのかもしれません。この点も水俣に通じるものがあるようです。人が生きていくということを本当に大事にできる社会を創ることが教育の務めだと思います。そんな姿勢でまた学ばせていただきます。フィールドワークでもよろしくお願いします。

 

◆Dさん:知らないことは恐ろしいと思いました。都合の悪いことは知らされないし、隠されることの理不尽さを感じました。日本は「潜在的核保有国」であることを改めて思いました。

 

◆Eさん:原発は電気、経済の問題ではなく、暮らしと命の問題という石丸さんのはじめの言葉がとても印象に残りました。母親として子ども達の未来を守るために反原発に取り組む姿勢に敬服しました。
今、私たちが知らされていることは、一部の人にとって都合のいいことばかりなのだということを再認識しました。今日はありがとうございました。

 

◆Fさん:とてもよかった。知ること→伝えること→何らかの行動をすること、が大切だと思いました。お話、ありがとうございました。