12月21日、玄海原発全基差止裁判第28回口頭弁論と、行政訴訟第20回口頭弁論が佐賀地裁(達野ゆき裁判長、田辺暁志裁判官、久保雅志裁判官)で開かれました。
鹿児島、熊本、長崎、そして先日訪ねた壱岐でお世話になった仲間など各地から傍聴にかけつけてくれました。
福岡県飯塚市の山口明美さんと鹿児島県いちき串木野市の高木章次さんがそれぞれ意見陳述を行いました。
山口さんは、2011年3月11日プルサーマル裁判でこの佐賀地裁にいて、東京で臨月を迎えた娘さんと「避難した方がいいよ!」とやりとりした時のことを克明に触れながら、「子や孫に自分たちでつくった有機野菜を届ける時にこの上ない幸せを感じる。放射能の心配のない暮らしがしたいと」訴えました。
「核のゴミキャンペーン」などで活動する高木さんは、高レベル放射性廃棄物の地層処分計画の問題点を指摘し、「たった数年運転して、その後の人間が100万年以上廃棄物の心配をしなければならないという異常な原発。この瞬間も死の灰がつくられている。世代責任としても原発を止める判決を」と訴えました。
裁判の進行としては、今回は下記の書面(地震動、火山、重大事故対策、判断枠組み等)が出されました。行訴では裁判所が判決を見据えてプレゼンの場を持つことなどを打診していますが、国が消極的な姿勢をとっています。全基では裁判長が「これまでの主張を次回期日までに短くまとめてほしい。目安としてA4で10枚程度だ」と双方に求めてきました。
裁判は大詰めです。動き始めてしまった原発を何としても止めるために、傍聴席をいっぱいにして、私たちの意志を示し、世論を高めていきましょう。
ご注目とご支援をよろしくお願いいたします。
◆次回期日 3月22日(金)佐賀地方裁判所
13:20~入廷前アピール行動
14:00~行政訴訟第21回口頭弁論
14:30~全基差止第29回口頭弁論
15:00~記者会見・報告集会
◆次々回期日 7月12日(金)佐賀地方裁判所
◆福岡高裁・再稼働差止仮処分抗告審は審理終了。3月以降に決定が出る見通し。
※この活動は一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの助成を受けています。
■行政訴訟 意見陳述
陳 述 書
2018年12月21日
住所 福岡県飯塚市
氏名 山口 明美
自己紹介
私は1951年に原爆の投下された広島県で生まれ、現在67歳です。3人の子どもに恵まれ3人の孫がおり、来年5月にはもう一人孫が生まれる予定です。
私に一人目の子ども(娘)が生まれたのは1980年。当時様々な環境汚染が表面化し、それによる健康被害が出てきていました。私が農薬や食品添加物などの化学物質による体への影響を心配し、不安を抱くようになったのもこの頃です。
その不安から情報を集め学んでゆく中で、夫と私は娘のためにも体をつくる元になる食べ物は自給したいと、住まいを東京から夫の実家のある飯塚市へと移しました。
畑を耕し、鶏を飼い、味噌やパンを作るという私達が思い描いていた生活が始まりました。
私達の野菜作りには農薬はもちろん化学肥料も使いません。枯れ木などを集めて燃やした後の草木灰、私達の出した排泄物、鶏糞、枯れ草、枯れ葉を畑に入れ、後は自然にお任せする、というのが農業経験のない私たちの野菜作りでした。
5〜6年が過ぎ、我が家流の野菜づくりと言えるものが定着しかけた頃、1986年4月26日、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起こりました。この事故を知ることで、私達は原発を止めたい!と強く思うようになったのです。
チェルノブイリ原発事故から学ぶ
チェルノブイリ原発事故で放出された放射能はジェット気流に乗って地球規模の汚染をもたらしました。
後で知って大変な衝撃を受けたのですが、当時1300km以上離れた旧西ドイツのミュンヘンでは、子どもが砂場で遊ぶのにも放射線防護服を着なければならない程の放射能(ヨウ素131)汚染があったのです。1300kmといえば福岡から北海道までの距離で、日本列島のどこかで原発事故が起これば、風向き次第で自分の住む町が汚染地域になりかねないということです。
私達の住む日本はチェルノブイリから8000km離れていますが、各地でチェルノブイリからの放射性ヨウ素131が観測されました。その中でも千葉市では雨水1リットル中13300ピコキュリーが観測されたのです。日本政府は「原子力発電所周辺の防災対策について」の中で、1リットル当たり3000ピコキュリー以上汚染された水を飲んではならないと定めています。この時千葉市に降った雨はこの規制値の4倍以上、まさに非常事態だったのです。この事を一体どれだけの人が認識できていたでしょうか?
放射能の雨は畑や田んぼを汚染し、野菜も汚染しました。
放射能の影響は幼いものほど大きいと言われています。だから大人よりも子ども、子どもよりも幼児、胎児のほうが影響は大きい、そんな大事なことを私は知りませんでした。
当時私には3番目の子どもがお腹にいました。原発事故が遠くで起こり、朧気ながらの不安はあっても、放射能に関する知識はありませんでした。政府からの「野菜は念のためよく洗ったほうが望ましい」と言う発表があった時も、それ以外の情報はあまりなく、「大丈夫かな?」と疑いながらも、とりあえず普段よりは丁寧に洗ったのを覚えています。食卓の上に並ぶのはそれまで通り野菜中心でした。よく洗ってもヨウ素131の落ちるのはせいぜい2割と知ったのは、半減期の短い(8日)ヨウ素131の毒性を気にしなくても良くなった10月末の頃でした。
物理学者だった故藤田祐幸さんの著書を読むと、そこには次のような言葉が並んでいました。打ちのめされました。「僕は5月4日から6月22日まで野菜を食べなかったんです。政府の出した6月6日の安全宣言までに放射能は10分の1に落ちました。それでも僕は我慢して100分の1に落ちるのを待ちました。大人にとってはこの放射能による被曝はたいしたものではなかったのですが、乳児や胎児にとっては無視できる状況ではなかったと今でも確信しています。」この藤田さんの確信を、3番目の子どもが生まれた9月29日の後に知りました。藤田さんが1ヶ月半食べなかった野菜を、5歳と2歳の子ども達に食べさせ、妊娠中の私が食べたことによって胎児にも食べさせたのです。子ども達を“被曝させた”のです。
福島原発事故に学ぶ
2011年3月11日、その日私はこの法廷にいました。プルサーマル裁判が始まるのを待っている時、東京にいる臨月を迎えた娘からメールが入りました。「お母さん、今大きな地震があったけど、私もお腹の赤ちゃんも大丈夫だから」と。「ああそうなんだ」と普通に受け止めただけで、原発事故、メルトダウンがこれから始まろうとしているとは予想もしていませんでした。
裁判が終わって次の集会が始まる頃、情報は次々に入ってきました。全電源喪失、燃料棒むき出し、メルトダウンの可能性・・・。集会の終わるのも待ちきれず会場を後にし、佐賀から自宅のある飯塚市へ帰りつくまでの3時間半はすべてが上の空。頭の中は娘とお腹の赤ちゃんを被曝させたくない、ということばかり。
福島から東京までは約200km。その距離は何の安心材料にもならないことはチェルノブイリの教訓です。自宅に着くなり娘に電話。「避難したほうがいいよ!」。娘にとっては唐突で現実感の薄い話だったかもしれません。でも私も必死でした。福島がチェルノブイリ事故のようになるかも・・・と。
結果的に、娘夫婦は原発の爆発を見て飯塚への避難を決めました。
避難はしましたがそれで安心ではありません。福島から飯塚までの距離は約1000km、放射能がやって来ないとは限りません。私達は飯塚の放射能汚染の可能性を考え準備しました。まず食料です。大量の玄米を買い、畑の野菜は(まだ放射能が来る前だったので)全て収穫して冷凍、水はヨウ素131の毒性が落ちるまでを考えて汲み置きするなどです。娘たちを被曝から守るためです。避難時の被曝を防ぐための装備として雨合羽、ゴム手袋、防塵マスクなどを買い揃えました。早朝から夜遅くまでテレビにかじり付き、娘の夫はインターネットから情報を集める、原発事故を中心にすべてが回る異常な日々でした。
私達が守るべきもの
原発事故は一瞬で食べ物を食べられないものに変えてしまいます。食べ物は人にとって最も大事なエネルギー、このエネルギーをダメにしてしまうのです。
原発が動く限り放射能は生み出され続けるのです。その量は1日に広島原爆3〜4発分。出てくる放射能のゴミは10万年の安全管理が必要です。その技術は未だできていません。この事実は事故があろうとなかろうと、いずれは私達の、そして未来の子ども達の暮らす環境中に出てくるだろうということです。
だからこそ、放射能を増やすこと、それ自体を止めなければなりません。
最後に
私達は明日につながる今日であって欲しいのです。
子や孫に野菜を届ける時この上ない幸せを感じます。
だから放射能の心配など必要のない暮らしがしたいのです。
裁判長、私達の今の暮らしを続けられるよう、どうか公正な判断をお願いします。
■全基差止 意見陳述
陳 述 書
2018年12月21日
住所 鹿児島県いちき串木野市
氏名 高木 章次
1、はじめに
私はイラスト、デザインなどの仕事をしてきた一市民です。1951年の東京生まれ東京育ちの67歳ですが、2014年から川内原発から約15キロの鹿児島県いちき串木野市に住んでいます。1988年に原発そして再処理工場の事故の影響と範囲、そして高レベル放射性廃棄物の処分問題の深刻さを知り、傍観者でいられる時代は終わったと思い、原発と再処理を終わらせる取り組みを一市民として続けています。「核のゴミキャンペーン」をつくり、2007年まで3回の全国知事アンケートの実施や申し入れ、経済産業省主催のシンポジウムへの参加などの取り組みをしてきました。
今日は、現在進められている高レベル放射性廃棄物の地層処分計画の問題点を述べさせていただきます。
2、使用済み核燃料の毒性の広報がされていません。
電力会社は高さ幅約1cm、約10グラムの核燃料のペレット1個で、一家庭の半年分の電気をまかなえると宣伝してきました。しかし、その毒性は住民に知らせてきませんでした。
原発の核燃料は3~5年間燃やすと使用済みになりますが、放射能量は約1億倍に増え、ペレット1個で少なくとも約60兆ベクレルの放射性物質となり、一般人の約1億7000万人分の摂取限度量の猛毒物質です。
1トンあたりだと、燃料取り出し時には放射能は100億ギガベクレルに増えます。ウラン鉱石レベル(1トンあたり約1兆ベクレル)まで放射能が減衰するのでも約10万年、100万年後でも約500ギガベクレルあります。100万kwの原発は1年間で約21トンの使用済み核燃料が発生しますが、日本では2013年10月末現在約17000トンもの使用済み核燃料が存在しています(ガラス固化体を除く)。
原発はたった数年運転して、その後の人間が100万年以上廃棄物の心配をしなければならないという異常な発電施設です。これほど危険なものを原発は生み出すことを広報すべきです。 ※ギガは10億。
3、九州電力には発生者責任の自覚がありません。
2018年6月28日の朝日新聞紙面において、池辺社長は最終処分場について「直接的な関わりは難しいかもしれない。いろんなところで機会があれば最終処分場についても話していくべきだろう」と発言しています。しかし、再処理工場へ使用済み核燃料を搬出して再処理した場合の高レベル放射性廃棄物ガラス固化体も九電の所有物であり、原子力発電環境整備機構(NUMO)は処分を請け負うという形です。
池辺社長は続けて「国民みんなで場所を探し~みんなで力を合わせて処分場ができるように努力することが大事」と発言していますが、国民に責任を押しつける暴言です。資源エネルギー庁でさえこんなことは言いません。
もともと使用済み核燃料は株式会社九州電力が作った産業廃棄物です。世代責任と言って国民に責任転嫁し、経済的利益は九電が得るということは許されません。
玄海原発3号機でのプルサーマル運転後の使用済みMOX燃料は発熱量が高く、その扱いは2010年頃から検討するとなっていましたが、いまだに目処が立っていません。
廃棄物発生者としての自覚が持てないのですから、原発を運転する資格はありません。
4、地層処分に関する科学的特性マップの公表は、原発再稼働のバックアップが目的のひとつと感じています。文献調査の公募を凍結しなければ、国民との冷静な議論は難しいと思います。
資源エネルギー庁が2017年7月に発表した地層処分に関する「科学的特性マップ」は、長年言い続けてきた「日本には処分場の適地が広くある」というものから基本はさほど進んでいないと思います。
処分場の文献調査への自治体からの応募を求める公募制度は2002年からスタートしました。唯一高知県東洋町長が議会や住民の同意を得ず独断で応募し、住民の猛反対の末の町長選挙で反対派が当選し応募は撤回されました。以来、応募はありません。
マップ公開は原発再稼働に反対する理由の一つである高レベル放射性廃棄物処分問題が、解決に向かって進んでいると思わせるイメージ作りと考えています。
5、現在の地層処分計画は課題が山積みで、埋めたことになっていません。処分場の場所を探せる段階ではありません。拒否、反対が国民の責務と考えています。
エネルギー庁でも、平成 30 年度~平成 34 年度までの「地層処分研究開発に関する全体計画」が始まっています。NUMOが2018年11月に発表した、「包括的技術報告書レビュー:わが国における安全な地層処分の実現 -適切なサイトの選定に向けたセーフティケースの構築-
」の結語の中で「また,設計に基づいて処分場を建設し,操業・閉鎖するために必要な個別技術の実証が着実に進められていることから,既存あるいは今後の技術開発によって近い将来に実用化できる見通しを得ている。」と書いています。
しかし、現状を考えれば実用化できる見通しはまだ得られていないと書くべきです。現状での応募は、政治判断で場所を決めることになりかねず、それは原発の立地場所決定のようになるのではないかと危惧します。
まだまだ多くの課題を克服しなければ埋めたことにならない例の一つとして、坑道の埋め戻し問題があります。
NUMOの「包括的技術報告書レビュー版-4.5 地下施設の設計」に以下の記載があります。
「埋め戻し材は周辺岩盤と坑道周囲のEDZなどの透水性を考慮して,坑道内が卓越した地下水の流動経路にならない低透水性を確保できるものとする。」
つまり、処分坑道が岩盤より透水性が高くなれば、廃棄物容器から漏れ出た放射能は岩盤でなく坑道を伝って急速に地上へ出現し、埋めたことになりません。処分区画と地上から地下300m以深へのアクセス坑道の接続部に止水プラグ(栓)を設置するとしていますが、機能するのか課題となっていて、実証も必要です。実験もなされていますが不十分で、このままでは坑道が確実に水みちになると思わざるを得ません。
NUMOは、坑道が水みちになった場合、何が起きるのかを発表しようとしません。発表すれば、今までの処分計画の破綻を示すものだからと考えています。
6、原発の運転をやめ、使用済み核燃料を増やさないことが、世代責任です。
原発の運転をやめれば、やっかいな使用済みMOX燃料を生み出さずに済み、100年かかるとしている処分事業を延長せずに済み、処分のための経費を減らすことができ、地下の処分場の面積・処分坑道の長さが少なくなるため、断層や地下水脈にぶつかるなどのさまざまな安全上のリスクがより少なくなるなど、不安と不信に満ちた状況にブレーキをかけることができます。
今、この瞬間も死の灰が作られています。世代責任としても、原発を止める判決を1日も早くと心から期待します。