【離島ポスティング:玄海原発10キロの小川島へ】

玄海原発反対からつ事務所から呼びかけられている「離島チラシ・ポスティング」。12月24日は唐津市呼子町の小川島へ6人で行ってきました。
玄海原発からは約10キロ、約150世帯338人の住む小川島は、呼子港から北へ20分。江戸時代に捕鯨で栄えた島です。

避難計画では、原発事故が起きて放射能が1時間あたり500マイクロシーベルトを超えると、初めて「避難指示」が出されます。
住民は島外へ逃げるために船に乗らなければなりませんが、まず小川島小中学校へ行くことになっています。
港近くに固まっている集落から学校へは、坂道を歩いて登って20分程かかりました。
学校の体育館にある放射線防御施設“シェルター”の蛇腹式テントに、港に避難船が来るまで待機。
テントやフィルター装置は住民自身が設置しなければなりません。

船が来たら、また坂を下って、港へ移動。
集落の中は人とバイクが通れるほどの細い道しかなく、4輪自動車は港と学校でしか見かけませんでした。
住民は放射能がすでに到達している屋外を行ったり来たりしなければならないのでしょうか。
学校からさらに先に、もう一つの屋内退避所として、宿泊交流施設“めぐりあいらんど”がありましたが、こちらは放射線防御対策がまだ施されていないようでした。敷地には九電寄贈の新しい「避難支援車両」がポツンと置いてありましたが、狭い道ばかりの島で、いざという時に機能するでしょうか。

安定ヨウ素剤が備蓄されている島で唯一の診療所。祝日のため開いてませんでした。医師がいるのは月、火、水、金の週4日の9~16時までだけだと掲示されていました。医師不在の時に事故が起きたら、ヨウ素剤の配布と説明は誰がするのでしょうか。
そして、全島民が避難できるだけの船は迅速に手配できるのでしょうか。船に放射線防御対策は施されていません。

・・・具体的に見れば見るほど、避難計画が放射能被ばく必至の“机上の計画”になっていることが分かりました。

 

全戸に配布しながら、お会いできた住民にお話を聞きました。
ほとんどの人は「原発で事故が起きたら、逃げられない」「みんな、原発はいらんと思っている」と言われました。
しかし、同時に「でも、上の人が原発を動かすって決めてしまうから、仕方んなか」...と諦めておられました。
他にも...
「島外の孫から、どうする?と聞かれるが、逃げられないから、『私は逃げないでここに残る』と言っている」
「「自分の家の船でそれぞれ逃げるんじゃないか。うちは博多港までいくよ」」
「学校に避難するまでに被ばくするよ」
「(ヨウ素剤のことは聞いていますか?)聞いていない」
「九電職員が来た時に、原発いらないといってやったよ。でもあの人にいってもねえ~」
「事故時の危なさは玄海町もここも同じなのに玄海町民だけがお金をもらっているのは納得がいかない」
「我々の意見を言う場がない」
「議員や行政に意見を言っても、回答がない」
・・・といった声を聞きました。


こちらから「自分たちが声を出さなきゃ止まらないですからね。諦めないで、頑張りましょう。チラシに本当のことが書いてあるので、ぜひ読んでください。」と言うと、
「わざわざ、ありがとうございます」と言っていただく方、
ミカンや飲み物をくださる方もおられました。

 

原発を容認している首長や議員は、島の人達の命の安全・安心を切り捨てているとしか思えません。
島だけでなく、すべての地域が風次第で同じような被ばく被害を受ける可能性があります。
住民に本当のことを知らせ、声をあげるよう、ポスティングを続けていきたいと思います。
一緒に歩きませんか?ご連絡をお待ちしています。