2020年8月28日、佐賀地裁にて、九州電力と国を相手に玄海原発運転差し止めを求めた2つの裁判(行政訴訟と全基差止)が結審しました。
2021年3月12日に判決が言い渡されることとなりました。
コロナ禍の影響で傍聴人数が制限されたにもかかわらず、各地から多くの仲間が集まりました。
法廷では、石丸初美原告団長が最終意見陳述に立ち、プルサーマル阻止から始まって、みんなで力を合わせて闘ってきた10年間を振り返りながら、「すべての生き物を犠牲にしてまで押し通す原発は"暴力"」だとして、運転停止を毅然と訴えました。
弁護団からは争点である地震、火山、配管、重大事故対策の問題点を凝縮した最終準備書面を提出。特に地震動の「ばらつき」の問題は、鋭く追及してきたので、大注目です。書面をぜひお読みください。
3.11から丸10年経つ日の翌日。
福島の犠牲を受け止め、脱原発へ大きな一歩となる判決を、ともに勝ち取りましょう!
★玄海原発裁判 判決
2021年3月12日(金)佐賀地方裁判所
12:30 佐賀地裁前集合 原告傍聴券受け渡し
13:05 一般傍聴整理(抽選)券配布開始 (~13:30)
裁判所1F中庭へ建物東の外からまわってください。
13:30 抽選 (コロナ感染対策のため人数制限あり)
13:45 門前集会
14:10 入廷行動(西門外→正門)
14:30 行政訴訟 判決言い渡し
旗出し(西門)
15:00 全基差止 判決言い渡し
旗出し(西門)
16:00 記者会見・報告集会
サンシティオフィスビル5F(佐賀駅北口正面)
佐賀市神野東2-1-3 TEL:0952-31-8888
<判決争点紹介チラシ>
<2020年8月28日結審>
陳 述 書
2020年8月28日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀市
氏名 石丸ハツミ
私は佐賀市に住んでいます。69歳です。これまで41名の原告がそれぞれの立場から陳述をしてきましたが、最後に原告を代表して陳述を致します。
1 「プルサーマル安全宣言」が運動の始まり
2006年2月7日、古川元佐賀県知事は「プルサーマル安全宣言」を発表。突然の発表に県内主婦らが運動を立ち上げ、直後の勉強会で「原子炉で大量の放射性物質が作られること、原発は実験なし住民がモルモット、原発も原爆も原理は同じ」と、そもそもの話を聞き衝撃を受けました。
私は、どこまでも平野が続く佐賀が好きで、四季に恵まれ安全な国だと暮らしてきました。しかし、その勉強会で「玄海原発で事故が起きれば佐賀がだめになる」と未来への恐怖を感じた事を忘れません。私は、その日から運動に参加しました。学んで知っていく度に「原発は電気だけの問題ではない。隠された巨大権力構造の下、ふつうのくらしが犠牲になる」と解ってきました。
2 住民投票をめざした
その年「プルサーマル計画受け入れの賛否を問う佐賀県民投票条例制定請求」の署名運動を実施し(06/10.3~06/12.3)、必要署名数(県有権者の1/50以上)の3.5倍49,609筆を県議会へ提出しました。しかし、あっけなく臨時県議会で否決。それを受け古川元県知事は「条例は必要なし、議会制民主主義が機能している以上は、県民からの負託を受けた長と議会とが責任を持って県政を運営していくべき」を理由とし、県民投票は実現しませんでした。運動は続けていきました。
3 住民が力を合わせて闘ってきた10年間
09年12月2日、九州電力は住民の反対の声を無視し、玄海3号機で国内初のプルサーマル発電を強行しました。危険性は現実的になったと思いました。裁判という未知の運動に進むか否か何度も議論を重ね、10年2月「玄海原発プルサーマル裁判の会」を結成、裁判を決意しました。10年8月9日、九電相手にMOX燃料使用差止で提訴。翌3・11は奇しくも第二回口頭弁論当日でした。
私たちは、福島原発事故への国と東電の理不尽な対処と甚大な犠牲から学び、市民が声を上げなければと4つの裁判を闘ってきました。3・11後、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」と改名し、法廷外では街頭活動・要請行動、戸別訪問、また約200回の座談会など、市民にできる活動を続けてきました。会の名が示す通り「原発を止め、命とくらしを守るために」みんなで力を合わせてきた10年です。
① 玄海3号機MOX燃料使用差止(被告九電)控訴審不当判決:終了
② 玄海3・4号機再稼働差止仮処分(債務者九電)抗告審不当決定:終了
③ 玄海原発全基差止訴訟(被告九電)
④ 玄海3・4号機運転停止命令義務付け訴訟(被告国)
4 住民は蚊帳の外
原発の是非は佐賀県知事と玄海町長の二人だけで決まると知り、要請・質問行動をしてきました。しかし、佐賀県知事、玄海町長は話し合いの場にさえ出てくることはなく、住民は常に蚊帳の外です。また、九電はCSR憲章に「地域の皆さまへ丁寧な説明を行う」と記しているにもかかわらず、九電交渉では、私たちには人数制限・動画撮影禁止、マスコミにも冒頭以外は撮影禁止するなど公開の原則は守られていません。
「原子力災害避難計画」は、責任たらい回し法律で住民を被ばくから守るものには決してなっていません。九電は「避難計画は支援します」と信じられない言葉が返ってきます。私たちは「貴社のために家やふるさとを捨てて逃げていいと、承諾などしていない」と九電に言ってきました。
原発の問題を伝えるため戸別訪問を続けています。玄海町で暮らす住民の声を聞いてきました。その一部です。しっかり受け止めてください。
・町内で原発の話はできん。
・事故が起きても逃げられんから仕方がない。
・息子が原発で働いているから話はできない
・何を言っても無理、偉か人の言う通りにしかならん。
・原発はない方がいいに決まっとる。
・男は漁に出ておらん。家にいるのは年寄りと女ばかり、事故が起きたらどうにもならん(島民)
ほとんど住民の話は同じです。初対面の私たちに、周りを気にしながらも本音を話してくれます。「玄海原発で、 もし事故が起きたら・・・」と、地元にしかわからない不安を日ごろから抱えているのがうかがえます。佐賀県知事、玄海町長は住民の不安の心を知ろうとしているようにはみえません。九電は時折玄海町民へ戸別訪問をしていますが、「安全です」というだけで放射性物質の危険性について誠意ある説明に努めていません。なぜなら、私たちの話を聞いて「はじめて聞いた」と住民から返ってくるからです。チラシはほとんど受取ってくれます。
5 原発事故被害者(その切り捨て)
福島第一原発事故により大量の死の灰がくらしに降りました。何百年も昔から受け継いできた人々のくらしや、文化や営みが一瞬にして壊され、9年半経つ今も「原子力緊急事態宣言発令中」です。
東京電力、加えて国策を推し進めてきた政治家、官僚、許可してきた原子力保安院、科学的な助言をしたと思われる専門家たちが引き起こした事故だとも言えます。しかし、3・11後、健康被害や第一次産業への被害が出て司法へ訴えても、因果関係を否定する判決が続いています。目の前に加害者がいても、被害者は泣き寝入りの国です。加害者を救済し、被害者を切り捨てるという信じがたい裁きです。理不尽極まりないことがまかり通るようなことで、私たちは安心して暮らせません。
6 原発稼働による日常的な被害
原発が稼働すれば、燃料を海水で冷やし続けなければなりません。100万kw級の原発1基で1秒間に70㌧の海水を7℃上げて海に戻しています。海の生態系がおかしくなるのは当然です。排気筒からは、放射性気体廃棄物を放出。原発は事故が起こらなくても日常的に放射性物質を海や空に放出しています。玄海原発3キロ圏内で「北部地区住民検診」が実施されましたが(1973?2010年)、結果データを住民には知らせず九電には情報提供するという非道なことが起きています。健康被害が出ても住民は何もできません。「国民の知る権利と子どもたちを守る人権」を奪っています。
私たちは「原発に絡む不公平と理不尽への怒り」を裁判に訴えています。
7 被ばく労働
14年前、写真家・樋口健二氏の「隠された被ばく労働~日本の原発労働者~」という動画を見ました。原発が差別的社会構造となっていることを撮ったドキュメンタリー番組です。労働者の話で「自分たちを品物か工具のように、なりふり構わず使い捨て切り捨て扱いにしてきた。日本の国は先進国だ、豊かだ、民主主義だというが、絵に描いた餅だと思う」とあります。幾重にも重なる下請構造の下、不当な賃金と権利や安全がないがしろにされている人権問題と知りました。私は、この動画を見るまで原発は科学技術の進んだ産業で労働者には模範的な職場環境だと、漠然と想像していました。私がこれまで使ってきた電気も「このような被ばく労働者の上に成り立って作られてきたのだ」とわかり、言葉にならない衝撃を受けました。
8 未来への被害
原発はウラン発掘/精製から、原子炉稼働、廃炉、放射性廃棄物の最終処分に至るまで被ばく労働は避けられません。ウラン輸入先のアメリカやカナダ、インド、オーストラリアなど他国の原住民や鉱山周辺の子どもたちも健康被害で苦しんでいます。廃炉には何十年、何百年、最終処分には何十万年と誰も責任を負えない未来にまで「核=死の灰」の後始末だけを押しつける事になっています。
九電と国ができることは、その「毒物」をこれ以上増やさないことぐらいしかないのです。
今すぐ原発をやめることに取りかかるのが、未来へのせめてもの誠意です。
9 まとめ
私は、子育ての中で「自分が嫌だと思う事はお友達にもしないんだよ」と言ってきました。
全てのいきものを犠牲にしてまで押し通す原発は「暴力」です。
子どもたちを守るのは大人です。
これからも、私たちにできることをしていきます。
「裁判所は、公平な裁判を通じて、憲法で保障されている私たちの権利や自由を守る、大切な役割を
担っている」とあります。(内閣府大臣官房政府広報室・政府広報オンラインより)
裁判所には、子どもたちの人権を守る砦となって、後世の子どもたちへの大人の責任を果たして欲しいと願っています。