5月31日、福岡高裁(久留島群一裁判長)にて、玄海原発控訴審口頭弁論(全基差止第7回と行政訴訟第6回)が開かれました。
今回、いつも以上にみんなで傍聴呼びかけを強めたところ、初参加の方も多く、約70名が門前集会から集まりました。
法廷では控訴人側から、地震、火山、避難計画に関する準備書面を提出。弁護団がそのポイントを陳述しました。
避難計画については、市民団体として取り組んだ避難受入先自治体アンケート結果報告書を証拠として提出。自治体が放射能基準を知らされていないことなど、避難計画の実効性のなさを数字で明らかにしました。
また、控訴人の松原学さんと荒木龍昇さんが意見陳述を行いました。
松原さんは、2011年3月11日まさにその日に佐賀地裁MOX裁判の法廷で意見陳述を行った時のことを振り返りながら、ひとりひとりが当事者意識を持つことの大切さ、裁判官にも自分のことと思って判断してほしいと訴えました。
20年間、福岡市議会議員を務めた荒木さんは事故直後の福島に調査に行かれた時のことや、放射能汚染がれき受入問題などを議会で追及してきたことを触れながら、理不尽な原発の廃炉を訴えました。
この日、原発の60年超の運転延長を認めるGX法が国会で可決されました。福島事故の教訓を踏みにじり、将来に大きな禍根を残す暴挙を断じて許すことはできません。
裁判傍聴することも「原発反対!」の意思表明。裁判官に対して私たちの意志をさらに強く示していきましょう。
次回以降も、多くのみなさんの傍聴・注目をよろしくお願いします。
◆今後の口頭弁論日程
2023年10月4日(水)14:30~
2024年1月17日(水)14:30~
4月24日(水)14:30~
◆裁判書面(行政)
◆裁判書面(全基)
◆控訴人意見陳述
陳 述 書
2023年5月31日
宮崎県延岡市
松原学
私は宮崎県延岡市に住みます原告の松原と申します。
今日は、私の意見を述べる場を頂き、ありがとうございます。
私は12年前の2011年3月11日に佐賀市にあります、佐賀地方裁判所にて、プルサーマル裁判の原告として、意見陳述をしていました。
その中で、放射能の危険性、原子力発電所の危険性、もし、事故があった場合には取り返しのつかないことを訴えていました。
陳述を始めるときには、たくさんいたマスコミ関係者が、一人二人といなくなり、陳述が終わったときには、誰もいなくなっていました。
何があったのだろうと、不思議に思いながら会場を移すと、津波が押し寄せる様子がテレビ画面に映っていました。
その夜から「安定ヨウ素剤はないか」「ガイガーカウンターは無いか」と私に問い合わせが入り始めました。
当時、私は九州大学の航空宇宙工学科に勤務していました。住まいも糸島市にあり、福岡の方で、小さな子供さんを持つお母さんたちに安定ヨウ素剤をお配りしたり、ガイガーカウンターを作って、放射線を測定する勉強会をしたりと活動をしていました。
福島の原発事故は、私が原子力発電所の危険性を指摘したから起こったのではないかと思った事もありました。
さて、その12年前に起こった福島第一原発事故はなぜ、起こったのでしょうか。
当時、原発推進者は「原発は五重の壁に守られているから、放射能は絶対に外に漏れない」と豪語していました。
「どんなことになっても、安全に原発は止められる」と言っていました。
現実はどうでしょうか。
今現在、12年前に何が起こって、原子炉はどうなっているか、わかっていません。
なぜ、安全装置は働かなかったのか。なぜ、放射能の閉じ込めが出来なかったのか。何一つきちんと検証されていないのではないでしょうか。
安全装置は、原子力発電所に無数に走る配管がすべて健全であることが大前提となっていて、地震の振動によって、配管が破断してしまえば、制御できなくなるのは当たり前ではないのでしょうか。
配管の破断は無かったのでしょうか。あったのでしょうか。なぜ、福島原発はメルトダウンしたのか、その解明は終わったのでしょうか。
福島第一原発の事故の検証が終らないままに、国は安全基準の引き上げとか言った適当な言葉で、実質、何もしないまま、原発を再稼働させています。
航空機の世界では、重大な航空機事故が発生した場合には、同型の航空機の運航を止め、事故原因が判明し、対策が取れるまで運行は再開させません。
多くの人命を守るための当然の措置です。
墜落した機体からは、墜落直前の機体の状況、コクピット内の会話の様子を記録したフライトレコーダーやボイスレコーダーが回収され、墜落の事故原因の解明に大きな役割を果たします。
そのような、徹底的に事故原因を追究する姿勢が、航空機の安全性を高めることにつながっています。
原発では、どうでしょうか。
「メルトダウンは絶対に起こらない」と豪語していたことが実際に起こったのです。であれば、その事実を真摯に受け止め、なぜ、メルトダウンが起こったのかを徹底解明するのが先ではないのでしょうか。
その事故の検証が済まないうちに、他の原発を再起動させることは、全く、無責任なことではないのでしょうか。
裁判官のみなさん、「マーフィーの法則」という言葉をご存じでしょうか。
ピーナッツバターを塗ったパンは、悔しいけど、バターを塗った側を下にして落ちるのです。
事故を起こす可能性があるものは、必ず、事故が起こるのです。
原発の場合、事故が起こっては、困るのです。事故が起こってからでは遅いのです。
ですから、私たち原告は、社会に訴え続けているのです。
航空機や船や橋など、物を作るときには、安全余裕を設計時に設けています。
航空機の場合は、1.2倍です。船の場合、2倍から5倍、橋の場合も2倍以上です。
それは、設計者として「絶対に人命を守る」という意志の表れではないでしょうか。
一方、原発ではいくつでしょう。プルサーマルでは1.01倍つまり安全余裕が1%と聞いてあきれています。
2011年5月に、静岡県の浜岡原発は止まりました。それ以来、稼働していません。それは、なぜでしょうか。
東京に近いからでしょうか。真下に活断層があるからでしょうか。
止めていても、国からお金をもらえるからでしょうか。
今の理由の中に、そこに住む住民の視点がまったく、入っていません。
そこに暮らす人の視点に立てば、危険極まりない原発は稼働してはならないのです。
裁判官のみなさん、どうか、今一度、放射能の危険性を認識し、それによって被害を被る全世界の人々のことを考え、即時、原発を止めてください。
私も含めて、この国のみなさんが当事者意識を持つことで、社会が変わって行くのではと思っています。原発を止める力を持つ、裁判官のみなさんにも、どうか、他人事ではなく、自分のことと思い、危険極まりない原発を止める手立てを考えてください。
また、こんな重要な裁判は、是非とも、日曜日に開いて欲しいと思います。
「司法改革」という言葉が随分前にありましたが、相変わらずの平日の昼間で、裁判所が市民にとっては遠い存在となっています。日曜日に裁判を開き、家族連れで裁判の様子が見られるようにして頂くことで、市民に開かれた司法になり、社会もより良くなっていくのではと思います。
ありがとうございました。
陳 述 書
2023月5月31日
福岡県福岡市
荒木龍昇
私は福岡市議会議員を5期20年努めました。
東日本大震災が起こった直後の2011年5月に2度福島県と宮城県を調査に行きました。現地は津波による甚大な被害があり、街や田畑の至る所で自動車や小型漁船が打ち上げられ、撤去中の瓦礫が積まれていました。津波の被害は大変なものでしたが、原発事故による放射性物質の汚染の問題はより深刻でした。郡山市の避難所ビッグパレットで出会った富岡町の被災者は、11日地震直後は近くの避難所に避難したが2,3日で自宅に戻れると思っていた、ところが12日に突然10km圏内の住民は避難するように避難指示があり、着の身着のままで川内町に避難し、その後郡山市ビッグパレットに避難したと言っていました。
震災後、瓦礫処理の問題が大きな問題となり、政府は全国で震災瓦礫処理の受入を検討していました。問題は原発事故による放射性物質による汚染にあり、受け入れる自治体がなかなか見つからない状況でした。一部自治体の受入がありましたが、最終的には現地で焼却処分となりました。事故当時東北や関東地方の自治体では飲料水の汚染や焼却灰での高濃度の汚染があり、今日まで汚染された焼却灰や下水道汚泥の処理に苦慮していることが報道されています。
私は2011年6月議会で、汚染された瓦礫受入問題について質問を行いました。福岡市は焼却場でセシュウムなど放射性物質の処理ができないことから、閉鎖水域である博多湾内にホットスポットができ、海水淡水化施設や漁業に被害が出る恐れがあることを理由に汚染された瓦礫は受け入れしないとしました。
また、私は議会で玄海原発と福岡市の地理的関係は福島県飯舘村と極めて似ていることから、玄海原発の廃炉を求めるとともに原子力災害の対策について質問をしてきました。福岡市は2013年に国が暫定的に決めた「緊急防護措置を準備する区域(UPZ)」50km 圏内の40 才未満の市民1回服用分の安定ヨウ素剤を備蓄することにしました。その後も議会で不十分な対策について同僚の森議員が質問を継続し、現在は50キロ圏内の全ての住民が1回服用できる量を公民館等に分散備蓄するようになりました。
その後2016年7月に福島の現地の調査に行きました。現地の市町村では除染した汚染土のフレコンバックが至るところで山積みとなっていました。また飯舘村に汚染土壌を減容のために焼却する施設の視察に行き、飯舘村役場を訪問しました。対応した職員の話では原発事故当時の状況について、地震の被害についてはいずれ復興できると考えていたが、4月22日に国から突然全村退避の指示があり、避難誘導およびその後も大変だったと語っています。訪問した当時飯舘村の状況はようやく村の庁舎が再建され、商業施設としてコンビニエンスストアが1軒と高齢者施設、小学校が整備された状況でした。当時村に戻ってきている住民の多くは高齢者でしたが、避難指示解除後も子育て世代はあまり戻っていないと報道されています。
いまも福島原発事故の非常事態宣言は解除されず原発の廃炉処理のめどは立っていません。汚染水処理問題や除染した土壌の処理のめどもたっていないこと、帰還困難区域指定を解除されても年間20ミリシーベルト以下という高いレベルでの影響を懸念する子育て世代が戻っていません。福岡市は玄海原発から最も近いところで37キロ、最も遠いところで約60キロです。もし玄海原発が過酷事故を起こせば私たちの日常生活はたちまち奪われます。私たちは原発を望んでいないし、原発がなくても電気は足りている状況で、原発を稼働することで事業者は利益を得ても,私たちは一方的にリスクを負わされることは極めて理不尽だと憤りを持っています。
地方自治の本旨は住民の福祉を増進することであり、議員として福岡市が原発の廃炉を国や事業者に求めるよう働きかけてきました。
この理不尽な状況を是正すべく、原発廃炉の判断をされることを求めます。