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第11回口頭弁論(2024年10月2日)における意見陳述です。
第10回口頭弁論(2024年7月3日)における意見陳述です。
第9回口頭弁論(2024年4月24日)における意見陳述です。
第10回口頭弁論(2024年4月24日)における意見陳述です。
第8回口頭弁論(2024年1月17日)における意見陳述です。
第9回口頭弁論(2024年1月17日)における意見陳述です。
第7回口頭弁論(2023年10月4日)における意見陳述です。
陳 述 書
2023年10月4日
福岡市
吉良文江
私は吉良文江と申します。福岡市城南区に住む主婦です。
福島原発事故があった時は、私の仲間の福岡市議会議員選挙の真っただ中でした。選挙終了後、政治とは何か、生活とは何かを考えさせられました。福島を自分の目で見て考えようと、2012年11月に福島県田村市と、福島市の中通りを訪れました。先に福島から福岡に避難してきていた人に相談して、福島を案内してくれる人を紹介してもらいました。
田村で会った人は、障がい者を支援するNPOのスタッフでした。福島原発事故が起こった時、施設利用者の人たちを帰せる人は帰し、他の人は一緒に避難をしました。しかし、避難所で過ごすには不便すぎるのでホテルに避難したそうです。その後、一時避難の後、NPOの人たちは近辺の放射線の測定を始めました。他にも、たくさんの人が野菜など大丈夫だろうかと検査しにやってきました。その事務所の近くに山がありました。原発事故があった時、その山の木々はすべて葉を落とし、翌年には木々に大きな葉っぱ、肉ぶとの葉っぱなど、いつもと違う形の葉っぱができていたと話してくれました。
福島の中通りを案内してくれた人は廃炉に向けての活動をしていた人で、原発事故が起こった翌日に大きな集会を予定していたそうで、「遅かった」と悔やんでいました。また、一番の後悔は、断水で人々が給水車の水を待っている時に放射性プルームが来て雨が降り出し、雨の中で給水を受ける間にたくさんの人たちが被曝したということでした。
中通りでは、小学校の通学路や放射能に汚染されやすい場所、がれきの処理をするのに防護服やマスクもせずに機械で粉塵を上げている人たち、家の庭にためられたフレコンバッグを見ました。その家の住人は、いつ持っていってくれるんだろうか、不安でたまらないと話していました。それらの場所を線量計で測りながら案内してもらいました。
避難については、人々に逃げろと呼びかけましたが、自分は老いた父親が施設にいて、逃げられる状況ではなく、逃げられなかったと話してくれました。
中学生の子を持つお母さんから話を聞くこともできました。中通りには阿武隈川が流れているのですが、その土手は人々の散歩道でもあり、中学校のマラソンコースでした。しかし、その土手の道の端に看板が立っていて、「ここから下は危険なので中に入ってはいけません」と書かれてありました。放射線量が高かったからです。お母さんは中学校にこの土手のマラソンコースでの練習は止めてくれとお願いしました。しかし中学校は「土手で走らない子はグラウンドを走るようにしています。そこで練習して下さい」と言われました。お母さんは、こんなに放射線量が高いのにと思いましたが、子どもが友だちと一緒に土手を走ると言うのであきらめました。でも、中学校に対する怒りはおさまらないようでした。
その11年前と今で、状況は変わっているでしょうか。壊れた原子炉建屋の処理や溶け落ちたデブリの回収は未だにできていませんし、決まった廃炉処理の工程もほとんど進んでいません。
福島第一原発事故で福岡県に避難してきた人々の中には、関東からの人もたくさんいました。その中に千葉からの人がいました。彼女の避難の理由は、子どもの鼻血でした。近所の子どもたちの多くが事故前に比べ多くの量の鼻血を出していたそうです。それでここに居ては危ないと、福岡に越してきたのです。千葉は福島第一原発から100キロメートル圏内のところです。一方、福岡市は玄海原発から50キロ圏内です。玄海原発で事故が起きて放射能が西風に乗れば、福岡も大きな被害となり、さらに本州まで被害は及ぶでしょう。
原発は維持、管理にとても手が掛かります。老朽化の問題も加わります。核のゴミの処理はいまだ解決策も見出されていません。さらに大きな問題は汚染水の海洋放出です。壊れた原子炉や燃料デブリに触れた水を海洋に流すのは許されないことです。このことはすべての原発に関わる大きな問題です。
そして今、原発はなくても電気は足りています。この状況で玄海原発が稼働することは反対です。避難計画も国や県の指示待ちで、実効性があるものとは思われません。玄海原発の配管ひび割れによる放射能漏れや度重なる火災事故など九州電力の対策や説明に十分納得できません。
子や孫やずっと未来の世代に負の遺産を残したくありません。
再び事故が起こったら取り返しがつきません。すぐに原発を廃止してください。
よろしくお願いいたします。
第8回口頭弁論(2023年10月4日)における意見陳述です。
陳 述 書
2023年10月4日
福岡県糸島市
田中雅之
私は、田中雅之と申します。
私が原発反対運動を始めた動機は、子や孫の世代に使用済み核燃料を残してはいけないと思ったからです。使用済み核燃料は、10万年間保管しなければなりません。今から10万年の間の子や孫の世代からうらまれ、ろくに管理できない原子力を弄んで金儲けをする現代人は軽蔑されるでしょう。
私は、福岡県糸島市に生まれました。唐津市と福岡市の間に位置します。糸島市の人口10万人のうち、15%が玄海原発30キロ圏内に属しますので避難計画があります。逆に言うと85%の住民は30キロ圏外に属し、避難計画が実質的にありません。実質的にという意味は、避難計画の中には30キロ圏外のことも触れてありますが、その避難計画は原発事故時には臨機応変に対応すべしと記されているのみだからです。
更に30キロ圏外には、福岡市とその近郊の都市や北九州市がありますが、実効性のある避難計画があるのでしょうか。福島の事故時の放射能の7割は、偏西風により太平洋に飛んでいきました。日本地図の玄海町を福島市に合わせると、偏西風により山口県から中国地方にも放射能汚染が広がることがわかります。北部九州の要の、福岡市と北九州は、ほぼ避難区域となるでしょう。九州の経済だけではなく、日本全国の経済にも壊滅的な打撃を与えるでしょう。
次に「原発のメリットとデメリット」についてお話しします。
原発のデメリットは、前述した経済的影響は二次的なものであり、一次的には、人が汚染されることです。人の生死に関わることです。特に玄海原発3号機はモックス燃料を使用しています。モックス燃料は使用済燃料に含まれるプルトニウムを消費するために、通常のウラン発電により生成されたプルトニウムと減損ウラン(劣化ウラン)を混合して作られるものです。現在、日本中の原発で生成されたプルトニウムは約47トンあり、これは長崎に投下された原爆を4,000発分作る量にあたります。プルトニウムは原爆の材料です。大量のプルトニウムを少しでも減らしているという姿勢を国際社会にアピールするために、モックス燃料を作って使用しています。
モックス燃料使用は、石油ストーブにガソリンを入れて使用することに例えられるほど危険です。
一方メリットですが、原発発電コストは安いと政府が主張しています。
日本の「電源別発電コスト」
資源エネルギー庁が2021年発表したコストによれば、
電源種類 |
2020年試算 発電コスト(円/kWh) |
2030年試算 発電コスト(円/kWh) |
石炭火力 |
12.5 |
13.6~22.4 |
LNG火力 |
10.7 |
10.7~14.3 |
原子力 |
11.5~ |
11.7~ |
石油火力 |
26.7 |
24.9~27.6 |
陸上風力 |
19.8 |
9.8~17.2 |
洋上風力 |
30.0 |
25.9 |
太陽光(業務用) |
12.9 |
8.2~11.8 |
太陽光(住宅) |
17.7 |
8.7~14.9 |
2030年コストでは、原子力発電コストと再エネ発電コストはほぼ同じだと主張しているのであろうと思います。
米国の「電源別発電コスト」
IEA(国際エネルギー機関)、米国政府、調査会社、投資会社のほぼ全てが「原発より再エネのほうが大幅に安い」としています。米投資会社Lazardが公表した発電コストのグラフでは、太陽光発電コストは2009年から急落して2021年には、原子力発電コストの四分の一程度になっています。日本政府が発表した数値はダイナミックに変化している技術や市場を十分に反映していません。原発の建設費や使用済み核燃料の処分費については、欧米に較べ低く見積もられています。
「再エネのほうが原発より安い」が世界のスタンダードです。
総括原価方式・地域独占により高い電気を買わされる企業は他国との競争に後れを取ります。市民は高い電気料と消費税により苦しんでいます。
東京電力は福島事故後も存続していますが、九州電力は福岡市等の北部九州が汚染された時に存続できるでしょうか。私は、無理だと思います。市民の生活を壊し、自らの会社も存続できない。誰の得にもならない原発はすぐに廃棄するべきです。
裁判官の皆様、技術的に不完全であり、危険でコスト的にも割の合わない原子力発電をすぐに止めてください。お願いいたします。
第6回口頭弁論(2023年5月31日)における意見陳述です。
陳 述 書
2023年5月31日
宮崎県延岡市
松原学
私は宮崎県延岡市に住みます原告の松原と申します。
今日は、私の意見を述べる場を頂き、ありがとうございます。
私は12年前の2011年3月11日に佐賀市にあります、佐賀地方裁判所にて、プルサーマル裁判の原告として、意見陳述をしていました。
その中で、放射能の危険性、原子力発電所の危険性、もし、事故があった場合には取り返しのつかないことを訴えていました。
陳述を始めるときには、たくさんいたマスコミ関係者が、一人二人といなくなり、陳述が終わったときには、誰もいなくなっていました。
何があったのだろうと、不思議に思いながら会場を移すと、津波が押し寄せる様子がテレビ画面に映っていました。
その夜から「安定ヨウ素剤はないか」「ガイガーカウンターは無いか」と私に問い合わせが入り始めました。
当時、私は九州大学の航空宇宙工学科に勤務していました。住まいも糸島市にあり、福岡の方で、小さな子供さんを持つお母さんたちに安定ヨウ素剤をお配りしたり、ガイガーカウンターを作って、放射線を測定する勉強会をしたりと活動をしていました。
福島の原発事故は、私が原子力発電所の危険性を指摘したから起こったのではないかと思った事もありました。
さて、その12年前に起こった福島第一原発事故はなぜ、起こったのでしょうか。
当時、原発推進者は「原発は五重の壁に守られているから、放射能は絶対に外に漏れない」と豪語していました。
「どんなことになっても、安全に原発は止められる」と言っていました。
現実はどうでしょうか。
今現在、12年前に何が起こって、原子炉はどうなっているか、わかっていません。
なぜ、安全装置は働かなかったのか。なぜ、放射能の閉じ込めが出来なかったのか。何一つきちんと検証されていないのではないでしょうか。
安全装置は、原子力発電所に無数に走る配管がすべて健全であることが大前提となっていて、地震の振動によって、配管が破断してしまえば、制御できなくなるのは当たり前ではないのでしょうか。
配管の破断は無かったのでしょうか。あったのでしょうか。なぜ、福島原発はメルトダウンしたのか、その解明は終わったのでしょうか。
福島第一原発の事故の検証が終らないままに、国は安全基準の引き上げとか言った適当な言葉で、実質、何もしないまま、原発を再稼働させています。
航空機の世界では、重大な航空機事故が発生した場合には、同型の航空機の運航を止め、事故原因が判明し、対策が取れるまで運行は再開させません。
多くの人命を守るための当然の措置です。
墜落した機体からは、墜落直前の機体の状況、コクピット内の会話の様子を記録したフライトレコーダーやボイスレコーダーが回収され、墜落の事故原因の解明に大きな役割を果たします。
そのような、徹底的に事故原因を追究する姿勢が、航空機の安全性を高めることにつながっています。
原発では、どうでしょうか。
「メルトダウンは絶対に起こらない」と豪語していたことが実際に起こったのです。であれば、その事実を真摯に受け止め、なぜ、メルトダウンが起こったのかを徹底解明するのが先ではないのでしょうか。
その事故の検証が済まないうちに、他の原発を再起動させることは、全く、無責任なことではないのでしょうか。
裁判官のみなさん、「マーフィーの法則」という言葉をご存じでしょうか。
ピーナッツバターを塗ったパンは、悔しいけど、バターを塗った側を下にして落ちるのです。
事故を起こす可能性があるものは、必ず、事故が起こるのです。
原発の場合、事故が起こっては、困るのです。事故が起こってからでは遅いのです。
ですから、私たち原告は、社会に訴え続けているのです。
航空機や船や橋など、物を作るときには、安全余裕を設計時に設けています。
航空機の場合は、1.2倍です。船の場合、2倍から5倍、橋の場合も2倍以上です。
それは、設計者として「絶対に人命を守る」という意志の表れではないでしょうか。
一方、原発ではいくつでしょう。プルサーマルでは1.01倍つまり安全余裕が1%と聞いてあきれています。
2011年5月に、静岡県の浜岡原発は止まりました。それ以来、稼働していません。それは、なぜでしょうか。
東京に近いからでしょうか。真下に活断層があるからでしょうか。
止めていても、国からお金をもらえるからでしょうか。
今の理由の中に、そこに住む住民の視点がまったく、入っていません。
そこに暮らす人の視点に立てば、危険極まりない原発は稼働してはならないのです。
裁判官のみなさん、どうか、今一度、放射能の危険性を認識し、それによって被害を被る全世界の人々のことを考え、即時、原発を止めてください。
私も含めて、この国のみなさんが当事者意識を持つことで、社会が変わって行くのではと思っています。原発を止める力を持つ、裁判官のみなさんにも、どうか、他人事ではなく、自分のことと思い、危険極まりない原発を止める手立てを考えてください。
また、こんな重要な裁判は、是非とも、日曜日に開いて欲しいと思います。
「司法改革」という言葉が随分前にありましたが、相変わらずの平日の昼間で、裁判所が市民にとっては遠い存在となっています。日曜日に裁判を開き、家族連れで裁判の様子が見られるようにして頂くことで、市民に開かれた司法になり、社会もより良くなっていくのではと思います。
ありがとうございました。
第7回口頭弁論(2023年5月31日)における意見陳述です。
陳 述 書
2023月5月31日
福岡県福岡市
荒木龍昇
私は福岡市議会議員を5期20年努めました。
東日本大震災が起こった直後の2011年5月に2度福島県と宮城県を調査に行きました。現地は津波による甚大な被害があり、街や田畑の至る所で自動車や小型漁船が打ち上げられ、撤去中の瓦礫が積まれていました。津波の被害は大変なものでしたが、原発事故による放射性物質の汚染の問題はより深刻でした。郡山市の避難所ビッグパレットで出会った富岡町の被災者は、11日地震直後は近くの避難所に避難したが2,3日で自宅に戻れると思っていた、ところが12日に突然10km圏内の住民は避難するように避難指示があり、着の身着のままで川内町に避難し、その後郡山市ビッグパレットに避難したと言っていました。
震災後、瓦礫処理の問題が大きな問題となり、政府は全国で震災瓦礫処理の受入を検討していました。問題は原発事故による放射性物質による汚染にあり、受け入れる自治体がなかなか見つからない状況でした。一部自治体の受入がありましたが、最終的には現地で焼却処分となりました。事故当時東北や関東地方の自治体では飲料水の汚染や焼却灰での高濃度の汚染があり、今日まで汚染された焼却灰や下水道汚泥の処理に苦慮していることが報道されています。
私は2011年6月議会で、汚染された瓦礫受入問題について質問を行いました。福岡市は焼却場でセシュウムなど放射性物質の処理ができないことから、閉鎖水域である博多湾内にホットスポットができ、海水淡水化施設や漁業に被害が出る恐れがあることを理由に汚染された瓦礫は受け入れしないとしました。
また、私は議会で玄海原発と福岡市の地理的関係は福島県飯舘村と極めて似ていることから、玄海原発の廃炉を求めるとともに原子力災害の対策について質問をしてきました。福岡市は2013年に国が暫定的に決めた「緊急防護措置を準備する区域(UPZ)」50km 圏内の40 才未満の市民1回服用分の安定ヨウ素剤を備蓄することにしました。その後も議会で不十分な対策について同僚の森議員が質問を継続し、現在は50キロ圏内の全ての住民が1回服用できる量を公民館等に分散備蓄するようになりました。
その後2016年7月に福島の現地の調査に行きました。現地の市町村では除染した汚染土のフレコンバックが至るところで山積みとなっていました。また飯舘村に汚染土壌を減容のために焼却する施設の視察に行き、飯舘村役場を訪問しました。対応した職員の話では原発事故当時の状況について、地震の被害についてはいずれ復興できると考えていたが、4月22日に国から突然全村退避の指示があり、避難誘導およびその後も大変だったと語っています。訪問した当時飯舘村の状況はようやく村の庁舎が再建され、商業施設としてコンビニエンスストアが1軒と高齢者施設、小学校が整備された状況でした。当時村に戻ってきている住民の多くは高齢者でしたが、避難指示解除後も子育て世代はあまり戻っていないと報道されています。
いまも福島原発事故の非常事態宣言は解除されず原発の廃炉処理のめどは立っていません。汚染水処理問題や除染した土壌の処理のめどもたっていないこと、帰還困難区域指定を解除されても年間20ミリシーベルト以下という高いレベルでの影響を懸念する子育て世代が戻っていません。福岡市は玄海原発から最も近いところで37キロ、最も遠いところで約60キロです。もし玄海原発が過酷事故を起こせば私たちの日常生活はたちまち奪われます。私たちは原発を望んでいないし、原発がなくても電気は足りている状況で、原発を稼働することで事業者は利益を得ても,私たちは一方的にリスクを負わされることは極めて理不尽だと憤りを持っています。
地方自治の本旨は住民の福祉を増進することであり、議員として福岡市が原発の廃炉を国や事業者に求めるよう働きかけてきました。
この理不尽な状況を是正すべく、原発廃炉の判断をされることを求めます。
第6回口頭弁論(2023年2月9日)における意見陳述です。
陳 述 書
2023年2月8日
佐賀市川副町
江口美知子
本日は陳述の機会をいただきありがとうございます。
私はこの裁判の会の立ち上げメンバーの一人で、原発のない世の中を目指しています。
2、30代の頃の私は海外への好奇心しかなく、社会の事など考えてもいませんでした。そんな私に一人の友人が原発問題を話してくれました。私は何も考えられず「事故が起こったら外国に逃げるからいい」と安易に答えました。「あなたみたいな人がいるから日本はだめになるのよ」と怒られました。その言葉は社会に目を向けるきっかけになりました。1986年チョルノービリ原発事故当時、私は初めての息子の母乳育児中でした。息子が被ばくしないか、とても不安でした。そんな経験からどこの原発が事故になっても、私たちの生活は原発から出る放射性物質で簡単に壊されてしまう、と知りました。その後、生協運動、図書館運動、不登校の居場所の運営などに関わり、子どもが健やかに生きていける為の大人の責任を意識するようになったのだと思います。
そして2011年3月11日の福島原発事故が起こってしまいました。
取り返しのつかない災禍を起こす原発は、私たちの生きている間に廃炉にし、跡形もなく片付ける事は出来ない事が分かっています。せめて原発運転停止、廃炉に続く道を作っておかなければ子ども達に申し訳が立たない気持ちで活動を続けています。
2021年水戸地裁は避難計画の実行性がないとして原子力発電所の運転を認めない判決を下しました。2022年12月1日福井県原発7基差止訴訟で、米原市長平尾道雄氏は「避難計画の策定は困難」「避難計画の実行性は、住民を被ばくさせないで避難させることだ」と、住民の命、健康を護る事を考えての証言がありました。片や、佐賀県民を護るはずの山口祥義佐賀県知事は原子力災害避難計画の「県としての最悪のシミュレーション」についてどう考えるかの私たちの質問に、「具体的な想定はありません」と回答しました。最悪の想定もしないままに、原発の稼働を容認しているのです。佐賀県発行の「原子力防災のてびき」では原発30キロ圏内(UPZ)の住民はまずは屋内退避せよ、とあります。屋内退避しても、放射性物質を完全に遮断できないと「てびき」にも書いてあるのにです。避難計画に実行性がなく被ばくありきで、まして具体的な避難計画が考えられないなら、少なくとも実行性のある本当に住民のための避難計画ができるまで原発は止めなければいけないと考えるのが安全優先の考えなのではないでしょうか。
原発の安全性を求める規制目標についても、福島事故時のセシウム137の放出量10000Tbqのたった100分の1の100Tbqが規制委員会審査基準目標値なのです。規制委員長は「審査はしますが、安全だとは絶対に申し上げません」とも公言しています。九州電力は「万が一の事故でも放射性物質の放出量は4.5Tbq/1基である」と説明しましたが、4.5Tbqは覚悟してくださいと言っているのです。その対策の一つが格納容器が損傷し放射性物質が外部に漏れたら「放水砲で打ち落とし」、海に流れ出た汚染水は「シルトフェンス(水中カーテン)」で拡散を防ぐというもので、規制委員会が許可した対策は、愚策としか思えません。
納得のできない原発運転に対して、私たち裁判の会は要請、抗議などをしてきました。不安が解消される回答はありません。
私たちは住み慣れた家から逃げたくありません。被ばくしたくありません。子どもたちに微量な被ばくもさせたくありません。この当たり前の望みは間違っていますか?原発は止めることができます。法律の存在意義は、私たち国民の生命、身体、財産を護ることだと思います。司法は今の、また将来世代の生命、生活、人生にも想いを馳せ、子どもたちの目をしっかり見て、判決を出してください。よろしくお願いいたします。
第5回口頭弁論(2022年11月10日)における意見陳述です。
陳 述 書
2022年11月9日
佐賀県佐賀市
永野浩二
佐賀市にある訪問介護事業所でヘルパー兼管理者をしている永野浩二と申します。
「住み慣れた地域、住み慣れた自宅で最後まで暮らしたい」という人生最後の願いを持つ高齢者や障がい者の日常生活のお手伝いをするのが私達の仕事です。利用者のみなさんの顔を思い浮かべながら、訪問介護の現場から思うことを述べます。
(1)
放射性物質は命を傷つける。だから、原発避難計画では、事故が起きたらできるだけ遠くへ避難する、避難が難しい場合は屋内退避するのが基本となっています。しかし、誰かの介護を必要とする方達は、速やかに安全に避難できるのでしょうか。避難先でそれまでと同じ支援を受けて生活を続けられるのでしょうか。
(2)
ある利用者の日々の生活を振り返ってみます。
一人暮らしの高齢者Aさん。病気や体のあちこちの痛みに耐えながら、何十年と住み慣れた自宅で最後まで暮らしたいと強く望んでいます。医師や看護師の定期訪問も受けながら、ヘルパーが1日2回、毎日交代で調理・食事介助、服薬管理、清拭、掃除・洗濯など生活に必要な様々な支援を行っています。ベッドから数メートル先にあるトイレには、痛みをこらえて立ち上がって、手すりや壁を伝って、なんとかたどり着きます。往復だけで30分かかることもあります。それでも、できることは自分の力に頼って動きたいのです。
身体が思うように動かなくなり、常時ベッド上で暮らすBさん。家族が仕事の合間にお世話をしながら、看護師、リハビリ士、ヘルパーがチームをつくって毎日支援に入っています。ヘルパーは、不安定な体温、血圧、酸素濃度を何度も測定して体調を確認し、ベッドの頭、背中、足の高さを動作ごとに微妙に調整して、食事介助、服薬介助、オムツ交換などを行っています。閑静な住宅街にあるきれいな自宅で、家族と毎日顔をあわせて暮らし続けたいのです。
(3)
もし原発事故が起きて避難となったら、Aさん、Bさんのような要介護者はどのような困難を強いられるでしょうか。
車への移動・乗降はスムーズにできるのか。放射能から逃れるため遠方への避難で道路は大渋滞、揺れる車中、長時間の移動に体は耐えられるのか。床ずれで褥瘡ができてしまわないか。避難先では、自分の体にフィットし、微調整のできるベッドがないと命にかかわる場合もあるのです。体調に合わせた調理や食事介助を誰がしてくれるのか。Aさんは以前、入院時に慣れない環境や食事で、食べ物が喉を通らなくなったこともありました。何種類もある薬を保持し、確実に服薬できるのか。馴染みのヘルパーは避難先に支援に来てくれるのか。ヘルパーにもそれぞれ、子どもや介護の必要な親、家族がいたりするのです。
屋内退避となったら、古い木造家屋で放射性物質を完全に遮断することはできるのか。飲料水や食料品などは、外は放射性物質が漂う中、誰が持ってきてくれるのか。
他にも、認知症を患い5分前のことを忘れてしまう方、視覚障がいのため見知らぬ場所への移動が非常に困難な方など、様々な利用者がいます。一人一人、必要な支援は違うし、日々体調は変化します。そういう人達が玄海周辺30キロ圏内外を問わず、自宅や施設にたくさんいます。東京電力福島原発事故では、避難途中や避難先の過酷な環境下で、多くの高齢者や障がい者が体調を崩したり、命を落としたり、置き去りにされたりしました。悲劇を繰り返してはなりません。
九州電力には、上記の疑問に答えるべく、支援が必要な一人一人の命を守るための具体的な避難計画の説明をしてほしいと思います。数合わせの机上の避難計画の表面的な説明はいりません。
(4)
今日この場にいるみなさんの周りにも、介護や支援が必要な方がいるでしょう。献身的にお世話をされている方もいるでしょう。身近な方の顔を思い浮かべて、原発事故が起きたら…と想像してほしいと思います。
避難した後は自宅に戻れるのでしょうか。放射性物質がまき散らされた土地は、もう帰れない場所になっているかもしれません、終の棲家と決めた我が家が!
Aさんは、毎年お盆に出す盆提灯を今年も飾り、家族一同集まられました。私達が数日ぶりに支援に入ると、盆前よりも元気になっていました。聞けば、「お盆で帰ってきた主人が『お前、しっかりしろよ!』って言ったのよ」 と頬を赤らめて言われました。我が家は、遠くに離れて暮らす家族も、天国にいる愛人も再び帰ってくる、再会の場所でもあります。「この家で最後までずっと過ごしたい」という、人生最後の願いを、原発事故は粉砕するのです。
人間の力ではどうしようもない自然災害と違って、原発事故は人の手で止められます。原発を動かさず、なくせばいいのです。どうか玄海原発を一刻も早く完全停止させてください。
第4回口頭弁論(2022年7月20日)における意見陳述です。
陳述書
2022年7月20日
佐賀県佐賀市
石丸ハツミ
私は石丸ハツミと申します。佐賀で生まれ今も佐賀市に住む71歳の主婦です。今日は意見陳述の機会を頂きありがとうございます。
11年前、福島第一原発事故で突然避難を余儀なくされ、各地へ多くの人々が避難しました。私の住む佐賀県にもおられます。何の落ち度もない人々は、東京電力の原発事故のために突然家族や友と別れ、ふるさとを去ると言う辛い決断だったと思います。放射能からの避難です。住民には被ばくの科学的証明など不可能です。
原子力規制庁は「新基準に適合しただけ、安全とは言わない」と再稼働を許可し、事故が起きたときの原子力避難計画は自治体に押しつけています。理不尽な原発政策と福島原発事故をみて、安心できるくらしを守るために、これまで私たちにできる活動をしてきました。
仲間で「玄海の避難問題を考える連絡会」をつくり、アンケート調査を実施しました。避難は受入先があって初めて成り立つもの、玄海原発で事故が起きれば、避難元と共同作業となる避難受入自治体全てを対象としました(4/8~6/3で実施)。3県39市町のうち37市町(95%)から回答を得る事ができました。(避難先・佐賀県:17市町、福岡県:16市町、長崎県:6市町)。 ※アンケート結果詳細はコチラ
質問は「コロナ禍等での感染症対策を実施した場合」について4つです。①避難所のマッチングはできているのか?②避難所は足りているのか?③濃厚接触者の別室は確保しているのか?④避難者受入のマニュアルは策定しているのか?等です。
①のマッチングについて「神埼市」はできていないと回答。また②の避難所は「足りている」が22市町、「足りない」が13市町です。うち佐賀県は「足りている」が4市町(25%)に止まっています。神埼市は回答欄に「その他」とした理由を「実際に何名が避難してくるかで避難所の対応が変ってくるため」としています。また、基山町は「避難者(3500人)を一定の間隔を開け滞在すると仮定すると、町の避難所全て使用しても困難と考えられ、町営住宅の空き家や民間施設などの活用等状況に応じた対応が必要」と問題点を述べています。そして、約5万人弱を受入れる佐賀市(人口230,334人/2021.12末)は、意見欄に「大規模災害が起こり、佐賀市で被害が発生した場合には、原子力災害による避難者の受け入れは出来ない。その点を踏まえた広域避難について国、県に検討していただきたい」と要望事項を述べています。原子力災害避難計画は未だに整っていません。
アンケート調査は2014年4月にも実施し、佐賀県の避難元3市町と受入自治体17市町の全県下を訪問し要請行動をしました。全自治体から回答を頂き、伊万里市の避難先である太良町は私たちとの面談で、町の人口(9550人、住民基本台帳)の81%(避難者数7774人)を受け入れると知り、担当者は「桁が1つ違っていませんか?」と事実を知って驚いていました。佐賀県や伊万里市との具体的な話し合いがされず、机上の空論で計画がつくられてきたのを目の当たりにしました。その後も、太良町の受け入れ人数はほとんど変わっていません。
政府は玄海の避難計画を「合理的」として了承(2016年12月9日)しましたが、実際現場で仕事に当たる自治体の声が組み込まれているとは思えません。
昨年、唐津市(30キロ圏)とその受入12市町でつくる「唐津市原子力災害時広域避難対策協議会」(2021年4月26日)で、避難先自治体から「最大の避難者数を出して欲しい」と要望が出されました。私たちはこの件について佐賀県へ要請・質問書を提出しました(2022年2月15日提出/同年3月17日県より回答)。佐賀県の回答は「原子力災害の状況はその時々で変化するものであり、最悪の想定を示すことは困難です」と無責任なものでした。ささやかなくらしを犠牲にし、被ばく前提の原子力避難計画なのです。最悪を想定できない原発は止めるべきです。「想定もせず、実効性もない避難計画」では、住民の命は守られません。
私たちが、九州電力と佐賀県にそのことを何度質問しても、原発災害時のリスクを本当に避けようとする誠意ある説明はありませんでした。
国民のせめてもの権利として「命とくらしを守るための訴え」です。
裁判官のみなさま、どうぞ私たちのこの訴えを裁判で受け止めて頂き、「未来」を守ってください。
第1回口頭弁論(2021年11月10日)における意見陳述です。
陳 述 書
2021年11月10日
福岡高等裁判所 御中
佐賀県唐津市
北川浩一
玄海原発から直線12kmの唐津市に居住する74歳の薬剤師です。同じ市内に2人の子供、5人の孫が暮らしています。父の代を含めると70年にもなる唐津との縁です。
玄界灘の青と緑なす大地、豊かな歴史風土に囲まれ、わが家族は育まれてきました。それを当たり前のこととして暮らしてきました。しかし掛け替えのない古里の存在を痛切に認識させられたのは福島原発震災でした。
健康、財産、生活のみならず歴史風土までが根こそぎにされるさまを目の当たりにしました。以来10年、復興努力が見える自然災害と異なり、幾世代にわたるか想像もできない原発災害の過酷な現実を突きつけられています。しかし、国の事故矮小化と棄民政策としか思われない人権無視の冷淡な場当たり的対応に慄然としました。先の大戦で青春を棒に振り、原爆で家を失い、戦後復興に汗した両親、被爆死した叔母、そして300万人を超える無念の戦死者がわれわれに託した、これが日本のありようなのだろうか。暗然たる思いになります。原発事故の脅威と科学技術への不信、政財界への不信、と同時に社会へ関わってこなかった私自身の反省に身がさいなまれる思いです。
今にして思えば、原発に隣接する玄海パ-クの芝生公園にいたいけない孫を連れだしていた日々がくやまれます。本来、米国では絶対に建設できない土地に、唯一の被爆国国民を欺き、世界一の地震火山大国に、高密度で建設された日本の原発。環境アセスメントもヒアリングもパブコメも付け焼刃で、口当たりの良いガス抜きのための外来語にしてしまった政治の責任は重すぎます。同時にそれを許してきた我々国民の責任も問われているのです。
数年前、他の原発立地国で原発に隣接した見学施設や公園を設けている国があれば教えてほしいと、九州電力にたずねましたが未だに返事は帰ってきていません。今では町営の次世代エネルギーパーク・あすぴあを増設。幼児向け遊具をそろえて、週末は家族連れでにぎわっているのです。
建設当初から原発はクリーンで安全である、放射能は閉じ込めているといいながら、多量のトリチウムはじめ多くの放射性物質を基準値以下だから問題ないと強弁し、海に空に大地に、世間に隠して垂れ流してきたのです。46年に及ぶ環境汚染の結果と玄海原発を中心に同心円状に広がる白血病、玄界灘の砂漠化、磯枯れ、不漁は無関係なのでしょうか。そのことさえ我々住民に立証せよと求めるのでしょうか。またアメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、スイスなどにおける原発周辺の疾病多発の研究成果は日本とは無縁な出来事なのでしょうか。
原発建設前の昭和47年以来、92回にもおよぶ佐賀県原子力環境安全連絡協議会が毎年2回開催されます。県主催の唯一の県民説明会です。ここでは県と企業がそれぞれに「これまでの調査では、発電所に起因すると考えられる放射線及び放射能の異常は認められない。」「環境調査においても影響は過去の変動の範囲内である。」「これからも安全を最優先に、取り組みます」と毎年判で押したような報告を続けています。傍聴人にも報道各社にも質問の場はありません。協議会とは名ばかり、周りを多数の行政と企業職員に囲まれた議論無き静かな報告会です。
東京電力は今秋にも、放出予定の汚染水でヒラメ養殖実験を始めるそうです。水俣病解明のための工場廃液を用いた猫実験を彷彿とさせるできごとです。福島と水俣を重ね合わせて見るのは私だけでしょうか。事故原因が検証されない、国・企業の責任が問われない、健康障害が調査されないなど、また同じことが繰り返されているのではないでしょうか。第三者をいれた厳密な実験になることを望みます。
原発から12kmの我が家、放射能漏れから30分後には被曝が始まるのです。声を大にして言いたい。放射能被曝強要は犯罪であり人権侵害である。無事故でも約束違反の放射能を放出している。原発や放射能の安全性について国や企業が虚偽隠蔽をしている。今なお、公での原発説明会を拒否し続け、フェイストゥフェイスと自称し玄海町を中心に二人組の社員が手前みその安全情報を拡散しているのです。知事、市長、報道各社はその内容をご存知ですか?訪問された住民の声を聞いたことがありますか?原発の安全性、危険性について、国・企業が説明する責任を逃れて、逆に国民に危険性の立証責任を求めていることの理不尽さこそ断罪されなければならないでしょう。
また、避難で使われている放射能基準値(避難、労災、医療施設など)が二重基準で整合性がない事実や科学的根拠がしめされないまま使用されている事実の解明なしに避難計画策定や原発稼働は許されません。さらに今年7月14日の広島高裁黒い雨裁判判決で、低線量被曝、内部被曝を考慮せざるを得ないと判断され、国は上告を断念しました。この低線量被曝・内部被曝の考えは当然避難計画に考慮されねばなりません。避難区域解除の年20mSv被曝も安全下限100mSv被曝も根拠を失っているのです。
とあれ、私たちは今夜にも原発事故発生の知らせを聞くかもわかりません。
避難困難者である離島住民の避難に言及しましょう。唐津は7離島(1295人)を抱えていてご多聞にもれず過疎化、高齢化、傾斜地居住、狭小路、高台の避難施設、診療所は夜間休日不在と悪条件下にあります。4島は原発に向かって避難しなければなりません。島内の援助パワーは数少ない消防団にまかされ、老人の避難介助、シェルター組立、避難所運営など多岐にわたり、わが家族のこと以外にどれほど尽力できるでしょうか。訓練時にある漁師がポツンと語った言葉。「今日はでくっばってん、なんかあったら唯一の財産の船にカカァーと家財を積んで逃げるばい」島はすべて原発から5km以遠(UPZ圏)で避難経路は海路と空路。UPZ(30km圏)のためヨウ素剤は避難所でのみ配布。悪天候が続けば避難できず、毎時500μSvの高線量下での一人2㎡のシェルター暮らしを強いられます。杓子定規の行政は高額のシェルターやヘリポートを作り対応策としているが狭小環境や備蓄関連は長期の想定をしていません。島内の避難責任者も不在などの問題点だらけです。離島すべてを準PAZに指定し、ヨウ素剤は全員事前配布し被曝前に余裕をもって避難させるべきと提言するも受け入れられていない現状です。
私は規制線が張られる前に一刻でも早く、できるだけ遠くを目指します。住宅基準以下の耐震性しかない、配管検査も不十分な老朽玄海原発が、広島原発4万発ぶんの使用済み燃料をかかえて、安全である根拠はどこにもありません。「被曝無しの避難計画ではない」と断言する唐津市長。では私の被曝事実と被曝量を証明する管理システムはあるのですか。子や孫の将来にわたる被曝影響の証明はだれが行うのですか。避難退域時検査(スクリーニング)とは避難所汚染防止のためだけではないのです。災害後の個人の将来に及ぶ安心と賠償の唯一の証拠となる不可欠なものです。福島の人々が泣き寝入りさせられている反省がどこにもありません。
福島の人々は今も続く多くの裁判で後世の者に同じ思いをさせないためにも戦っているのです。
原発政策を主権者たる国民の手に取り戻す裁判です。
司法は国民の負託に真摯に答える時期に直面していることを忘れないでください。
陳述の場に立たせていただいた原告の皆様、支援者の皆様、弁護士の皆様、福島被災者の皆様ありがとうございました。
第1回口頭弁論(2021年11月10日)における意見陳述です。
陳 述 書
2021年11月10日
福岡高等裁判所 御中
福岡県久留米市
豊島耕一
私は久留米市に住んでいます豊島耕一と申します。私に意見陳述の機会を設けていただいた裁判所に御礼申し上げます。
8年前に退職するまで、佐賀大学で物理学の研究、教育を行ってきました。専門は原子核物理学です。原発は核分裂や放射能の問題では私の専門と関わりが深く、そのため専門的知見も踏まえながら意見を述べたいと思います。
私は原発問題には以前から関心を持っていましたが、1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、日本でも万一の時の市民レベルでの対処法の知識が不可欠と1989年に同僚と原発事故対策マニュアルを出版しました。福島原発を契機に改訂版を出し、また研究会などを続けてきました。
原子力規制委員会に対する審査請求をめぐって
規制委員会の玄海原発再稼働許可処分に対しては、この「福岡核問題研究会」のメンバー5名で、行政不服審査法に基づいてこれを取り消すよう2017年4月に審査請求を行いました 。その過程で、(1)「弁明書」が極めてずさんである、(2)口頭意見陳述会の開催まで3年近くも経過、(3)許可処分の担当庁と審査請求の担当庁とが同じ規制庁に属し、審査の独立性が担保されないなど、多くの問題点が明らかになりました。最終的な結果は今年3月に「棄却」として送付されてきましたが、請求から実に4年近くも経っており、玄海原発の再稼働からすでに3年も経過、文字通りあとの祭りでした。原発事故を受けて改革されたはずの制度ですが、実はまともに機能していないことが明らかになりました。また審査結果の「裁決書」も内容の乏しい形式的なものでした。
未来の三千世代に負の遺産を残し、再生可能エネルギーの発展を妨害
最近は気候変動問題に絡めて、原発が必要ということが言われます。確かに原発の運転自体ではCO2は出ませんが、燃料であるウラン資源は意外と少ないのです。化石燃料の中ではCO2排出が最も少ないとされる天然ガスと比べて、発熱量でその約60%弱しかありません 。高速増殖炉によるプルトニウム転換を前提とすれば実質的な資源量はずっと増えますが、しかしこの技術に将来性はありません。
このような少ない資源で仮に100年間を凌いだとしても、その運転で生じる核のゴミを生活圏から隔離し続ける期間は実に10万年以上です。私たちの子孫3千世代にもわたる未来の時代です。資源を使い尽くした後の子孫に残されるのは、この膨大な核のゴミだけです。時間を10万年遡れば、日本列島ではまだ縄文時代も始まっていません。私たちの祖先は決してそのような厄介なものを残してはいません。
この核のゴミ、つまり長寿命の放射性核種は、化学毒物と違って燃焼などでは無害化できず、無理やりやろうとすれば原子核反応による他はありません。一部の学者は高速増殖炉を利用する「消滅処理」を主張しますが 、問題の全ての核種が対象になっているわけでもなく、その前提となる高速増殖炉の実用化自体が、すでに述べたように行き詰まっています。
現在、九州電力は玄海原発に乾式貯蔵施設の新設計画を進めていますが、その前提としている将来の運び出し先である青森県の六ヶ所事業所の稼働の目処は立っていません。したがって事実上の永久保管になる可能性がありますが、キャスクと呼ばれる容器がそれに耐えるかどうかは検証されていません。また、青森県に送れば送ったで、再処理が始まれば大量の放射能を環境に放出することになります。「六ヶ所事業所再処理指定申請書」(1989年)によれば、これが本格稼働して計画通り年間800トンの使用済み燃料ウランを処理した場合、例えば、放射性の希ガスであるクリプトン85の年間放出量は、チェルノブイリ事故での同じ核種の放出量の10倍にもなります 。高い煙突から放出されることになっていますが、それでも風下の住民には被ばくを及ぼします。
原発1基が1日稼働すれば広島原爆4個分強の放射能が作られます。この処理不能の危険物を増やさないためには1日も早く原発を止めるしかありません。
原発と気候変動問題との関連では、原発が後者の解決に寄与するどころか、むしろ再生可能エネルギーの発展を阻害しているという事実にも注目すべきです。太陽光発電の導入が目覚ましい九州本土エリアにおいては特に顕著で、2018年10月以降、原発優先のため太陽光発電の出力抑制か?実施され、拡大しています。その日数も2018年度の26日から、2019年度は74日に3倍増、2020年3月には月の半分、15日間も出力抑制か?行われ、この月の出力抑制率はこれまでで最高の12.6%に達したとのことです。風力発電でも同様の傾向があります 。
現実の健康被害の疑いートリチウム放出と白血病の多発
次に、原発の運転が実際に周辺住民の健康被害を起こしている疑いについて述べます。玄海原発の運転時に必ず外部に放出される放射能にトリチウムがあります。九電の発表によれば、福島原発事故を契機に停止する2012年までの11年間で累積826兆ヘ?クレルを環境に放出しています(再稼働後、この放出も再開)。これは全国の原発の中でも最大で、福島原発事故の汚染水タンクにある817兆ヘ?クレル(2014年東電説明)を上回ります。
元純真短期大学講師の森永徹氏による、厚労省「人口動態統計」による佐賀県内20自治体についての調査によると 、白血病死亡率は玄海原発に近いほど、また原発の稼働の前後では稼働後が、いずれも有意に高くなっています。つまり、玄海原発が白血病多発の原因である疑いがあります。玄海町は1973年から2010年の間、原発3キロ圏内の玄海町なと?近隣地域て?住民検診を実施しました。住民らの再三の要求にも関わらず、その結果は秘密にされています。
トリチウムは低いエネルギーのベータ線を出し、ガンマ線は出しませんので、内部被曝が問題になります。化学的には水素と同じなので、水分子になり人体内に入ります。有機物分子との間で水素の入れ替わりが起これば、DNAなどの重要分子に組み込まれるでしょう。ベータ線のエネルギーが低いことから、ベクレルあたりの線量(吸収線量)は小さくなるため軽視されがちですが、実はこのエネルギーが低いことが逆に、生物的効果を高めてしまう可能性があります。欧州放射線リスク委員会(ECRR)の2010年勧告には「元素転換効果」と、(同一細胞内での)「2ヒット効果」についての記述があります。元素転換、つまり化学的には水素であるトリチウムがベータ線を出してヘリウムに変わる、そうするとこれを含んだDNAが傷つきますが、同時に、出たベータ線のエネルギーがまさに低いことによって、同一の細胞内でのダメージがより起こりやすくなります 。まさに2ヒット効果です。主流のICRPのリスク評価はこの効果を取り入れていません。ちなみにECRR勧告に関しては、福島原発事故後の原子力規制委員会設置法制定の際の参議院附帯決議は、放射線の人体影響の評価についてこの勧告の尊重も謳っています。先に述べた玄海町による住民検診結果は、このようなトリチウムのリスクについても重要なデータとなりうるので、1日も早く公表すべきです。
以上、あらゆる点で原発の稼働は不適切、不道徳です。はじめに規制委員会とのやりとりに触れましたが、原発事故を契機に刷新されたはずのこの機関もまともに機能してはいません。住民の、そして私たちの子孫の安全を担保する最後の砦は裁判所です。どうか賢明な判断をお願いします。
※1 意見陳述会の詳細は「福岡核問題研究会」,「さよなら原発佐賀連絡所」のサイトにあります.
http://jsafukuoka.web.fc2.com/Nukes/kikaku/files/b1a1987aa02c664a3427bdca57d1779b-114.html
https://byenukes-saga.blog.ss-blog.jp/2020-02-11
※2 天然ガスは日本ガス協会のデータ.HOME>天然ガスの特徴・種類>天然ガスの資源量
https://www.gas.or.jp/tokucho/shigen/
ウランは日本原子力産業協会によるOECD, NEA, IAEA, 2020年12月発表の引用.
https://www.jaif.or.jp/cms_admin/wp-content/up loads/2021/02/uranium_2020
※3 東工大,千葉敏氏ら,2020年
https://www.titech.ac.jp/news/2020/046068
※4 筆者ブログ2006年4月1日付. https://pegasus1.blog.ss-blog.jp/2006-04-01
※5 九州電力の自然エネルキ?ー出力抑制への9の提言?「抑制のための抑制」から「自然エネルキ?ー拡大のための抑制」へ?2020年10月5日認定NPO法人環境エネルキ?ー政策研究所
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/conference/energy/20210817/210817energy14.pdf
※6 第56回日本社会医学会総会,2015年7月25・26日,於・久留米大学医学部
※7 ベータ線など荷電粒子ではそのエネルギーが低いほど物質中に作るイオンの密度が大きい.つまり「出発点」でのイオンの密度はエネルギーの高いベータ線の場合よりも大きくなる.
第26回口頭弁論公判(2020年8月28日)における意見陳述です。
陳述書
2020年8月28日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀市
氏名 石丸ハツミ
私は佐賀市に住んでいます。69歳です。これまで41名の原告がそれぞれの立場から陳述をしてきましたが、最後に原告を代表して陳述を致します。
1 「プルサーマル安全宣言」が運動の始まり
2006年2月7日、古川元佐賀県知事は「プルサーマル安全宣言」を発表。突然の発表に県内主婦らが運動を立ち上げ、直後の勉強会で「原子炉で大量の放射性物質が作られること、原発は実験なし住民がモルモット、原発も原爆も原理は同じ」と、そもそもの話を聞き衝撃を受けました。
私は、どこまでも平野が続く佐賀が好きで、四季に恵まれ安全な国だと暮らしてきました。しかし、その勉強会で「玄海原発で事故が起きれば佐賀がだめになる」と未来への恐怖を感じた事を忘れません。私は、その日から運動に参加しました。学んで知っていく度に「原発は電気だけの問題ではない。隠された巨大権力構造の下、ふつうのくらしが犠牲になる」と解ってきました。
2 住民投票をめざした
その年「プルサーマル計画受け入れの賛否を問う佐賀県民投票条例制定請求」の署名運動を実施し(06/10.3~06/12.3)、必要署名数(県有権者の1/50以上)の3.5倍49,609筆を県議会へ提出しました。しかし、あっけなく臨時県議会で否決。それを受け古川元県知事は「条例は必要なし、議会制民主主義が機能している以上は、県民からの負託を受けた長と議会とが責任を持って県政を運営していくべき」を理由とし、県民投票は実現しませんでした。運動は続けていきました。
3 住民が力を合わせて闘ってきた10年間
09年12月2日、九州電力は住民の反対の声を無視し、玄海3号機で国内初のプルサーマル発電を強行しました。危険性は現実的になったと思いました。裁判という未知の運動に進むか否か何度も議論を重ね、10年2月「玄海原発プルサーマル裁判の会」を結成、裁判を決意しました。10年8月9日、九電相手にMOX燃料使用差止で提訴。翌3・11は奇しくも第二回口頭弁論当日でした。
私たちは、福島原発事故への国と東電の理不尽な対処と甚大な犠牲から学び、市民が声を上げなければと4つの裁判を闘ってきました。3・11後、「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」と改名し、法廷外では街頭活動・要請行動、戸別訪問、また約200回の座談会など、市民にできる活動を続けてきました。会の名が示す通り「原発を止め、命とくらしを守るために」みんなで力を合わせてきた10年です。
① 玄海3号機MOX燃料使用差止(被告九電)控訴審不当判決:終了
② 玄海3・4号機再稼働差止仮処分(債務者九電)抗告審不当決定:終了
③ 玄海原発全基差止訴訟(被告九電)
④ 玄海3・4号機運転停止命令義務付け訴訟(被告国)
4 住民は蚊帳の外
原発の是非は佐賀県知事と玄海町長の二人だけで決まると知り、要請・質問行動をしてきました。しかし、佐賀県知事、玄海町長は話し合いの場にさえ出てくることはなく、住民は常に蚊帳の外です。また、九電はCSR憲章に「地域の皆さまへ丁寧な説明を行う」と記しているにもかかわらず、九電交渉では、私たちには人数制限・動画撮影禁止、マスコミにも冒頭以外は撮影禁止するなど公開の原則は守られていません。
「原子力災害避難計画」は、責任たらい回し法律で住民を被ばくから守るものには決してなっていません。九電は「避難計画は支援します」と信じられない言葉が返ってきます。私たちは「貴社のために家やふるさとを捨てて逃げていいと、承諾などしていない」と九電に言ってきました。
原発の問題を伝えるため戸別訪問を続けています。玄海町で暮らす住民の声を聞いてきました。その一部です。しっかり受け止めてください。
・町内で原発の話はできん。
・事故が起きても逃げられんから仕方がない。
・息子が原発で働いているから話はできない
・何を言っても無理、偉か人の言う通りにしかならん。
・原発はない方がいいに決まっとる。
・男は漁に出ておらん。家にいるのは年寄りと女ばかり、事故が起きたらどうにもならん(島民)
ほとんど住民の話は同じです。初対面の私たちに、周りを気にしながらも本音を話してくれます。「玄海原発で、もし事故が起きたら・・・」と、地元にしかわからない不安を日ごろから抱えているのがうかがえます。佐賀県知事、玄海町長は住民の不安の心を知ろうとしているようにはみえません。九電は時折玄海町民へ戸別訪問をしていますが、「安全です」というだけで放射性物質の危険性について誠意ある説明に努めていません。なぜなら、私たちの話を聞いて「はじめて聞いた」と住民から返ってくるからです。チラシはほとんど受取ってくれます。
5 原発事故被害者(その切り捨て)
福島第一原発事故により大量の死の灰がくらしに降りました。何百年も昔から受け継いできた人々のくらしや、文化や営みが一瞬にして壊され、9年半経つ今も「原子力緊急事態宣言発令中」です。
東京電力、加えて国策を推し進めてきた政治家、官僚、許可してきた原子力保安院、科学的な助言をしたと思われる専門家たちが引き起こした事故だとも言えます。しかし、3・11後、健康被害や第一次産業への被害が出て司法へ訴えても、因果関係を否定する判決が続いています。目の前に加害者がいても、被害者は泣き寝入りの国です。加害者を救済し、被害者を切り捨てるという信じがたい裁きです。理不尽極まりないことがまかり通るようなことで、私たちは安心して暮らせません。
6 原発稼働による日常的な被害
原発が稼働すれば、燃料を海水で冷やし続けなければなりません。100万kw級の原発1基で1秒間に70㌧の海水を7℃上げて海に戻しています。海の生態系がおかしくなるのは当然です。排気筒からは、放射性気体廃棄物を放出。原発は事故が起こらなくても日常的に放射性物質を海や空に放出しています。玄海原発3キロ圏内で「北部地区住民検診」が実施されましたが(1973?2010年)、結果データを住民には知らせず九電には情報提供するという非道なことが起きています。健康被害が出ても住民は何もできません。「国民の知る権利と子どもたちを守る人権」を奪っています。
私たちは「原発に絡む不公平と理不尽への怒り」を裁判に訴えています。
7 被ばく労働
14年前、写真家・樋口健二氏の「隠された被ばく労働~日本の原発労働者~」という動画を見ました。原発が差別的社会構造となっていることを撮ったドキュメンタリー番組です。労働者の話で「自分たちを品物か工具のように、なりふり構わず使い捨て切り捨て扱いにしてきた。日本の国は先進国だ、豊かだ、民主主義だというが、絵に描いた餅だと思う」とあります。幾重にも重なる下請構造の下、不当な賃金と権利や安全がないがしろにされている人権問題と知りました。私は、この動画を見るまで原発は科学技術の進んだ産業で労働者には模範的な職場環境だと、漠然と想像していました。私がこれまで使ってきた電気も「このような被ばく労働者の上に成り立って作られてきたのだ」とわかり、言葉にならない衝撃を受けました。
8 未来への被害
原発はウラン発掘/精製から、原子炉稼働、廃炉、放射性廃棄物の最終処分に至るまで被ばく労働は避けられません。ウラン輸入先のアメリカやカナダ、インド、オーストラリアなど他国の原住民や鉱山周辺の子どもたちも健康被害で苦しんでいます。廃炉には何十年、何百年、最終処分には何十万年と誰も責任を負えない未来にまで「核=死の灰」の後始末だけを押しつける事になっています。
九電と国ができることは、その「毒物」をこれ以上増やさないことぐらいしかないのです。
今すぐ原発をやめることに取りかかるのが、未来へのせめてもの誠意です。
9 まとめ
私は、子育ての中で「自分が嫌だと思う事はお友達にもしないんだよ」と言ってきました。
全てのいきものを犠牲にしてまで押し通す原発は「暴力」です。
子どもたちを守るのは大人です。
これからも、私たちにできることをしていきます。
「裁判所は、公平な裁判を通じて、憲法で保障されている私たちの権利や自由を守る、大切な役割を
担っている」とあります。(内閣府大臣官房政府広報室・政府広報オンラインより)
裁判所には、子どもたちの人権を守る砦となって、後世の子どもたちへの大人の責任を果たして欲しいと願っています。
第25回口頭弁論公判(2020年2月21日)における意見陳述です。
陳 述 書
2020年2月21日
佐賀地方裁判所 御中
住所 長崎市
氏名 戸田 清
私は1956年生まれで、2010年の提訴以来、玄海原発の裁判の原告の一員です。1997年から長崎大学の教員をしており、環境社会学、環境思想、平和学などを担当しています。獣医師免許と社会学博士の学位があり、所属は文系ですが、理系的な観点も自覚的に取り入れています。妻、2人の息子、3人の孫(男1人、女2人)がおり、次世代の生活環境の行方については深い関心をもっています。私の著書に『環境正義と平和』(法律文化社2009年)、『核発電を問う』(法律文化社2012年)、『核発電の便利神話』(長崎文献社2017年)などがあり、原発問題にはそれなりの見識をもっているつもりです。
原子力発電と核発電
英語では軍事利用でも商業利用でもnuclearという共通の形容詞がつき、仏語や中国語でも同様なのに、日本語では「核兵器」「原子力発電」と使い分けていることに違和感があり、「核発電」という言葉もよく用いています。米国の原爆開発のマンハッタン計画では、ウラン濃縮工場から広島原爆(ウラン原爆)が生まれ、原子炉と再処理工場から長崎原爆(プルトニウム原爆)が生まれました。原子炉が原潜と原発に応用され、それに濃縮ウランが装荷されたので、原発は両原爆(ウラン原爆とプルトニウム原爆)の副産物と言えます。
私の理解によれば、原発には6つの神話があります。「安全神話」「必要神話」「低コスト神話」「クリーン神話」「平和神話」「便利神話」です。
小泉元首相の反省
小泉純一郎元首相は、福島原発事故とフィンランドの核のごみ施設「オンカロ」見学を経て、在職時代の原発推進政策を反省し「安全、低コスト、クリーンはみんな嘘だった」と述べています。「安全神話」、「低コスト神話」、「クリーン神話」に気づいたのでした。2013-2015年には「約700日の原発稼働ゼロ」(それで少しも困らなかった)があったので、「必要神話」も明らかになりました。自由民主党の岸信介氏が1960年の国会答弁で、安倍晋三氏が2002年の早稲田大学講演で「核兵器保有は違憲でない」と述べたことから想像されるように、自由民主党には潜在的核武装への欲求が流れており、核兵器と平和利用は別のもので、無関係であるという「平和神話」の誤りも明らかになりました。彼らは、「原子力ムラ」という言葉に象徴される業界の利権構造の維持だけでなく、「核兵器を作れる」というメッセージも出したいのでしょう。またその業界にしても、「不都合な町長の暗殺計画」まであったというから驚きです(斉藤真『関西電力「反原発町長」暗殺指令』宝島社、2011年)。
便利神話
「便利神話」というのは私の造語でありますが、原発を使うのが約150年(1950年代に始まり、22世紀初頭におおむね終結する)であるのに、核のごみ(高レベル放射性廃棄物)の安全管理に10万年(あるいは100万年)もかかるのが、本当に便利と言えるでしょうか。事故調査が困難であり、高線量のため何十年も事故を起こした炉心に近づけないのが、本当に便利と言えるでしょうか。事故調査ができなければ、技術の改善もありません。過酷事故では、事故炉周辺の市町村が何十年も居住不可能になります。熱効率(熱から電気を取り出す効率)が悪いために、火力発電に比べて、同じ発電電力量に対して2倍程度の排熱(温排水)があるので、工学者の冨塚清博士に「退歩の感あり」と評された原発が、便利と言えるでしょうか。発電時には炭酸ガスを出さないが、「熱汚染」は火力発電よりも大きい原発が、地球温暖化対策に役立つと言えるでしょうか。大型石炭火力発電所が供給する大量の電力に依存するウラン濃縮工場が、地球温暖化対策に役立つでしょうか。1950年代にうたわれた「原子力産業革命」もやっぱり幻でした。自動車、鉄道、飛行機、船舶、工場、家庭などの「原子力化」は不可能で、「実用化」したのは原潜、原子力空母、原発(周辺的に原子力砕氷船)だけです。
10万年のごみと将来世代
「核のごみの管理」に10万年もかかることは、原子力規制委員会が2016年に公式に認めました。『朝日新聞』2016年9月21日付けの「いちからわかる! 原発ゴミを10万年間国が管理するんだって?」という記事がわかりやすく解説しています(戸田2017年、36頁に転載)。放射能レベルの高い最初の300-400年間は九州電力(などの電力会社)が管理し、そのあとの10万年は国が管理するということです。プルサーマル発電の使用済みMOX燃料は発熱量が大きいので、困難が増すでしょう。まぐろ漁業の町大間で建設中の大間原発は、「世界初のフルMOX」という無謀な試みです。デンマークのミカエル・マドセン監督の映像『100,000年後の安全』(2009年)も「10万年」の大変さを描いています。フィンランドは「10万年の管理」で、日本もそれにならっていますが、米国、ドイツは「100万年の管理」を義務づけています。人類とチンパンジーの分岐が700万年前、現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生が20万年ないし30万年前とされています。10万年前の世界といえば、ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人など「複数の人類がいた時代」でした。数万年後には、次の氷河期がやって来ます。10万年というのは、気が遠くなるほど長い年月です。20世紀末から「世界の原発400基あまり」が続いていますが、22世紀初頭に稼働している原発は僅かでしょう。フィンランドほか多くの国が、22世紀初頭の原発稼働終了を想定していると思われます。それからの10万年です。島田虎之介の漫画『ロボ・サピエンス前史』(講談社、2019年)が描いているように、「核のごみの10万年管理」という「退屈だが不可欠な仕事」は、ロボットに任せるとでもいうのでしょうか。
「チェルノブイリ」と「フクシマ」
チェルノブイリのような過酷事故の健康影響は当然深刻です。チェルノブイリで国連などによって公式に因果関係が認められたのは、子どもの甲状腺がん、作業員の急性放射線症、作業員の白血病だけと言われていますが、ウクライナ政府やベラルーシ政府も示唆するように、白血病、心臓病などさまざまな健康影響との関係も考慮すべきではないでしょうか(アレクセイ・ヤブロコフほか『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』星川淳監訳、岩波書店、2013年、など参照)。福島第一原発事故の健康影響の調査も、適切になされるかどうか、心もとない状況です(日野行介『福島原発事故 健康管理調査の闇』岩波新書、2013年、など参照)。
平常運転でも健康影響
欧米先進国では、平常運転でも原発周辺住民への健康影響が示唆されています。有名なのはドイツのKIKK研究(2008年)で、原発10キロメートル圏の小児がん、白血病のリスクの増大が報告されています。米国の故ジェイ・グールド博士らのグループは、米国の多くの原発の80キロメートル圏で乳がんリスクの増大を報告しています(ジェイ・グールド『低線量内部被曝の脅威』肥田舜太郎、斎藤紀、戸田清、竹野内真理訳、緑風出版、2011年)。グールドの共同研究者であるマンガーノ氏も、「原発閉鎖後の40マイル圏(64キロメートル圏)の小児がん発生率の減少」などを報告しています(ジョセフ・マンガーノ『原発閉鎖が子どもを救う』戸田清、竹野内真理訳、緑風出版、2012年)。森永徹博士は、玄海町などで白血病が多いことが、風土病(ウイルス性白血病)や高齢化だけでは説明できず、トリチウム放出(玄海原発はその放出量が全国最多)の影響もあるのではないかと示唆しています。西尾正道医師も泊原発近隣で白血病が多いこととトリチウムの関連を示唆しています。トリチウムは放射性水素なので、体内のさまざまな有機化合物に重大な影響を及ぼすこともありうると西尾医師は指摘します。韓国の一部の原発でもトリチウムの排出量が多いと指摘されていますが、加圧水型およびカナダ式重水炉(CANDU)があるためと思われます。韓国でも健康影響の調査が必要でしょう。
原発再稼働(とくに実効性ある避難計画の欠如とプルサーマルによる危険の増幅のもとで)は疑問であり、玄海原発の廃炉を望んでいます。
※脱原発弁護団全国連絡会「2月の原発裁判」『週刊金曜日』2020年1月31日号10頁参照。
備考 「原発問題の入門書」としてもっともわかりやすいのは、高木仁三郎『原子力神話からの解放』(光文社カッパブックス2000年)である(講談社+α文庫、七つ森書館高木仁三郎著作集第3巻所収)。
陳 述 書
2020年2月21日
佐賀地方裁判所 御中
住所 久留米市
氏名 堤 静雄
久留米の一市民である私に意見陳述の機会を与えて下さった裁判官の皆さんに感謝します。
私は大学の数学科(専攻は位相解析)を卒業し、2007年に高校数学の教員を定年退職しました。
1 福島の宇野さんからのメール
2011年3月11日の福島第一原発事故発生からわずか2,3日後に、私は福島の宇野朗子さんからメールをもらいました。それには「全国のみなさん、私達の原発反対運動が弱かったために全国の皆さんにご迷惑をかけました。すみません。」とありました。東京電力の社長でもなく、経産省の大臣でもなく、それまでずっと福島県庁で原発反対のアピールを続けて来られた宇野さんからの謝罪のメールです。宇野さんは福島第一原発を止めて事故を防ぐということができなかった自分の非力を詫びているのです。私はこれを読んで、驚きと緊張で全身が寒くなりました。そして、ささやかなりとも原発に反対して来て良かった、玄海原発反対の署名を数人集めた程度の些細な運動ですが、していて良かった、もし反対してなかったら、宇野さんに対して生きて行く資格が無くなるところだったと思いました。そして、これからは、原発反対に頑張ろう、孫とゆっくりと遊ぶことも、趣味のピアノの練習をすることもあきらめようと決意しました。(宇野さん:2012年8月17日玄海全基差止裁判第2回口頭弁論
原告意見陳述者)
2 市民運動の組織ができる
福島第一原発事故発生の年の9月に、私が心待ちにしていた「さよなら玄海原発の会・久留米」という市民団体が結成されました。結成したのは井上義昭さんでしたが、翌年に病気で亡くなられたので、以来、会の代表を私が務めています。
3 久留米市内のポスティング
会として、講演会や映写会を時々しています。特徴的なことは、久留米市内の全家庭に原発反対のチラシ配布を計画したことです。当初、人口30万人の久留米市を全部回ることは、自分が生きている間には無理だろうと思っていましたが、多くの会員の協力で昨年の11月に目的は達成できました。今は、久留米に隣接する小郡市や佐賀県のみやき町などにも配布しています。配布の途中、玄関先や庭先で出会う方からは、よく「お疲れさん」とか「お世話でございます。」という言葉をもらい、国民の多くが原発には反対であることが実感できます。つい先日には拍手をもらいました。その間、会員が増えるという良い成果もありましたが、自宅に変な電話もかかってきました。「このチラシ配布は違法行為なので、証拠としてこのチラシを警察に提出する」、「俺の家にこんなチラシを入れるな」とも言われました。今後は入れませんからお名前をと訊くと、「お前に名前なんか教えられん」と言われたので「それでは次回に省くことができません」と言うと、しぶしぶアパートの名前を言われました。「原発が全部止まって電気が足りなくなったらどうする」と恐い声の電話もありました。当時は全部止まっていたので、その旨を言うと、「本当か、お前は全国の原発を回って確かめたか。」と言われたので、確かめてはいませんが、疑われるなら新聞社に電話してください、どの新聞社でもいいですよ、と言いました。そうすると彼は話題を変えました。電気料金のことや温暖化のことも言われたので、長い時間をかけて丁寧に説明しました。そうすると、「匿名の電話をしてすまなかった」と小さな声を最後に電話を切られました。
4 久留米もトリチウムの被害
久留米は玄海原発からおよそ70kmです。元純真短期大学講師の医学博士の森永徹さんが玄海原発と白血病の関係を調査されました。(発表は、2015年7月 日本社会医学会総会)もともと、佐賀県、特に佐賀県の沿岸部は白血病が多い地域でした。それは、原発とは関係ないHTLV-1ウイルスによる成人T細胞白血病が沿岸部に多いからです。森永さんはその影響を差し引いて、玄海原発の稼働開始の10年後から玄海原発の周辺では近いほど白血病が増えていることをつきとめました。それによると、人口30万人の久留米市では玄海原発の稼働で毎年6人が玄海原発が排出するトリチウムで亡くなっていることになります。久留米も決して玄海原発の被害と無縁ではありません。このことを広く久留米市民にも知ってもらいたいので、トリチウムの学習会をしたいと考えています。トリチウムはたまり続ける福島第一原発の汚染水をどうするかを考えるうえでも重要なテーマです。また、この1月に、たんぽぽ舎からもらったメールによると、伊方原発の付近でも白血病が増えているそうです。原発の中でも加圧水型の原発は特に多くのトリチウムを輩出しているので、同じ加圧水型の玄海原発も早く止めて欲しいです。つい先日、北海道電力が泊原発で31年間も排気しているトリチウムの量を半分として報告していたことが露呈して社長以下取締役会が謝罪会見を開いた、と北海道の仲間から連絡がありました。九州電力は大丈夫でしょうか。
5 汚い方法で補償費をけちる東電
原発から避難している福島の人は、東電との補償交渉の席で、東電の社員から「税金から出るお金なのですよ」と言って値切られるそうです。(NHKテレビ「廃炉への道」16年11月6日)これは何ということでしょうか。福島第一原発事故による補償金は東電が工面すべきなのです。それを国に建て替えてしてもらっているのです。それなのに国民の税金から出ることを理由として値切るなんて人間として許されない発言です。しかし、東電の個々の社員の方は悪気はないのかもしれません。東電そのものの姿勢が根本的に誤っているから、自分たちの暴言に気づいてないのでしょう。社員を人間として誤らせていること、これも東電の罪です。東電には3つの誓いというのがあるそうです。(「原子力資料情報室通信」19年3月)①最後の一人まで賠償貫徹 ②迅速かつきめ細やかな賠償の徹底 ③和解仲介案の尊重。私にはどれも守られてないようで、読んでいるこちらが赤面したくなります。企業は利益を追い求めるだけではなく、社会的な責任を果たすことも求められる時代です。この社会的な責任は私達との話し合いの場を、いろいろ難癖をつけて設けようとしない九電にも求めたいと思います。
6 未来への責任
江戸時代から続く久留米市のある酒造屋には「この世は子孫からの借りたもの」と壁に貼ってあります。素晴らしい言葉だと思います。面白いことに、この言葉は、日本から遠く離れたアメリカの先住民にもあるそうです。私達がこの地球に生きていられることは、たくさんの偶然に支えられています。その一つは水が低温になるほど重くなるのではなく、例外的に4℃の水が最も重く、それより下がると逆に軽くなることです。この例外的な性質がなかったら氷は海底から凍り始め、海底での生物は生存ができなくて、人類が地球に誕生することが無かったでしょう。このように偶然に守られている地球環境を人類のエゴで壊していいはずがありません。
7 裁判所は正義の砦
昔、テレビで水戸黄門という番組がありました。その中では毎回のように不正を働いて金儲けする悪人が登場し、藩の要職にある役人とグルになって善良な町人や村民を苦しめていました。しかし、番組の最後には必ず黄門様が登場し、悪人たちを成敗していました。今の日本はどうでしょうか。今の日本は法治国家です。黄門様のようなスーパースターが突然現れて不正を正す時代ではなく、裁判所が事実と科学的な論理によって不正を正すべき時代です。是非、三権分立の1つである裁判所が正義を取り戻してください。
どうぞよろしくお願いします。
第24回口頭弁論公判(2019年12月13日)における意見陳述です。
陳 述 書
2019年12月13日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡市西区
氏名 山中 陽子
1)
今日は意見陳述の機会をありがとうございます。山中陽子と申します。玄海原発、唐津方面からの道路の渋滞を日常的に経験している福岡市西区に住む66歳です。
原発問題に関わったきっかけは1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故です。子どもたちが5歳と7歳でした。8000キロ離れた日本でもヨウ素が検出されて親たちの心配は並々ならぬものでした。事故から2ヶ月経った頃、ヨーロッパの幾つもの箇所でセシウムが集中しているホットスポットがあると報道されました。その時、我が家はドイツ、ミュンヘンへの1年間の留学が決まっていましたが、そこにもホットスポットがあったのです。チェルノブイリから1200キロも離れていたのにです。
それからやったことは福島で途方にくれた親御さんたちと同じです。食べ物は、外遊びは、どんな服なら?今のようにインターネットがあるわけではなく、どうやって見つけたか、京都の反原発グループのパンフレットを頼りに出発したのです。
それは事故から1年経って、当時の穀物が店頭に並ぶ頃でした。情報を求めて市民の集会に行き、環境研究所を知り、そこの放射能測定結果リストがバイブルとなりました。肉、卵、パン、野菜、牛乳。あらゆる食材から放射能が検出されているので、タンパク源として日本から大豆を送ってもらい、五目豆を食べて1年を暮らしました。ハムもソーセージも牛乳もだめ。今も五目豆だけは作る気になれません。
こんな暮らしはあってはいけないと、帰国後は原発の学習会に顔を出しているうちに同じ思いの母親達と出会い、脱原発を目指す「たんぽぽとりで」というグループを作ることになりました。今から30年前のことです。
たんぽぽとりででは学習や、講演会・上映会の開催、年に10回の通信を発行して会員約70名を通してメディアにはなかなか載らない原発の情報を発信してきました。反対を言うだけでなく、原発なしでも困らない暮らしを提案したいと「省エネ」「自然エネルギー」に着目、2000年から太陽光発電の普及に関わることも始めました。出資方式でお寺に1つ、国の補助金受給と寄付集めを代行して4つの幼稚園に太陽光発電を設置しました。その後、311の原発事故が起き、固定価格買取制度が導入されて個人でも無理なく設置できるようになり、この仕事はやめました。私たちが関わる以前、3キロワットの太陽光発電は800万円以上していましたが、それを心ある市民が自腹をきって普及させてきたのです。電力会社の重役は「自然エネルギー?おもちゃみたいなものです」といって憚りませんでした。それがいまでは太陽光からの購入を断らなくては原発が動かせないほどの力を持つまでになったのです。
311の事故後は「放射能市民測定室・九州」の設立運営に関わっています。これまでに1250体の測定を行いました。いまでも福島はもとより、東京の土からも漏れなく放射能が検出されとても辛いです。東京に住んでいる友人、知人、こどもたちに伝える言葉が見つかりません。
2)
原発はこれまでの意見陳述でも語られているように、ウランを取り出すところから、運転中、使用済み燃料、廃炉の後始末のどこを取っても危険と汚染の金太郎飴で、このことは311の事故で誰の目にもはっきりしました。今年の九州電力株主総会で社長は二酸化炭素を増やさないために原発は絶対必要だと述べていましたが、その九州電力が新しく作った70万キロワットの松浦火力発電所は二酸化炭素排出の元凶のひとつの石炭火力なのです。彼らは石炭という言葉を資料には載せていません。
私たちは原発について学んでいたので、311のあの日、送電鉄塔が倒れ、停電になったと聞いてすぐに甚大な被害が出ることを予想しました。移動電源車が派遣されたと聞いて間に合うことを手に汗握って祈りました。地震で交通が遮断され、たどり着かないと知った時のおそろしさ。不安は的中し、炉心の冷却できず、爆発し、放射能は風向き通りに流れ、雪の降っていた地方に大量に落ちました。お友達作戦で太平洋に来たアメリカの軍艦は放射能の雲に直撃されて、兵士が白血病や放射能由来の病気に苦しんでいます。
3)
今年9月の台風16号で千葉県は長期の停電を余儀なくされましたが、もしそこに原発があったら同じような事故になっていたと思います。規制委員会の指導で非常用電源設備は設置されているはずですが、それは1週間以上は持ちこたえません。
津波だけでなく、地震も火山も大きな危険因子です。玄海原発の基準地震動は建設当時370ガルだったものが今回改定されて620ガルになるそうです。実際は大した耐震工事はなされておらず、当初から余裕を見て数字を出していたから大丈夫だと九電では説明されます。しかし、三井ホームは5115ガル、住友林業は3406ガルに耐える家を作っています。620ガルはその5分の1。大丈夫と言えるでしょうか?
火山については言わずもがな。火山学会が予知できないと明言している噴火を一電力会社に過ぎない九州電力は可能と言います。カルデラ噴火のような大規模噴火になったら動物も植物も壊滅しますが、時を経て再びこの地にやってきてミネラル豊富な土地の恩恵を受け、繁栄します。しかしその土壌に長寿命の人工放射能が混ざっていたら、広範囲にわたる死の土地となってしまいます。会社はそこまでの責任は取れない。しかし、今ならまだ未来の被害を小さくできます。
原発格納容器の設計をしていた後藤政志さんが講演会で、原発の根本的危なさを言い表されました。「他の全てのものは壊れても収束へ向かうが、原発だけは違う。核というものはその途方もないエネルギーを抑えて抑えてコントロールしてやっと利用できているものであって、コントロールが解かれたら本来の膨大なエネルギーを開放する方にしか行かないのだ」と。
規制委員会の皆さんにこそ、この重い現実を真剣に受け止めていただきたいと思います。どうして免震重要棟をやめた上に緊急時対策所を「代替」施設で済まさせ、特定重大事故等対処施設の建設に5年もの猶予を与えるのでしょうか?その一点だけでも、あの方々は職務を全うしていると胸を張っておっしゃるのでしょうか。増える一方の自然災害がいつどこでどういう規模で起きるか誰にも予測できない、地球はいま、そう言う段階にきているのに。
4) 9月19日の東京地裁の東電役員の責任を問う裁判で、永淵健一裁判長は「津波についてあらゆる可能性を想定し、必要な措置を義務付ければ、原発の運転はおよそ不可能になる」と述べました。そうです。原発は運転してはいけないのです。
シーメンスというドイツの原発を作っていた会社は原発から撤退し、風力発電に力を入れるようになりました。そこで勤めていた知人の言葉が心を離れません。「日本のように科学の進んだ民主的な国でも原発事故を収束させることができなかった。自然の前に人間は無力で、一度コントロールを外れたら、原発をコントロールすることはできないのだ。だからドイツは原発を止めることにした」と。
人の手に負えない原発を日本も止められますか?決断できるのは、電力会社、政府、設置自治体の長、そして裁判官だけです。
奇跡の宇宙の無類の地球に奇しくも生を受けた人間の一人として、未来の地球の生きとし生けるもののため、コントロールできない原発から手を引く決断をこの裁判にお願いして陳述を終わります。
ありがとうございました。
陳 述 書
2019年12月13日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡県久留米市
氏名 豊島 耕一
私は豊島耕一と申します。福岡県久留米市に住んでいます。九州大学理学部で原子核物理学を専攻し、理学博士の学位を取得しました。久留米大学放射線治療センターに3年勤務した後、佐賀大学で31年余りにわたって、物理学の教育と研究に携わってきました。私自身の専門が原発の技術の中心にある核反応や放射線と直接関わりがあるため、核兵器の問題とともに原発にはこれまで強い関心を持って来ました。ここでは主にその専門の立場から意見を述べます。
チェルノブイリ原発事故と緊急対策マニュアルの出版
1986年のチェルノブイリ原発事故は私にとっても大変な衝撃でした。原発が動いている限り日本でも起こりうるし、そのリスクが存在する以上、万一の時の市民レベルでの対処法の知識が不可欠です。またそれを提供することが科学者の責任でもあると考え、その3年後に仲間と原発事故対策マニュアルを出版しました。とは言え私も、日本の原発はソ連とは原子炉のタイプが違うから、あれほどひどいことにはならないだろうと思っていました。しかし福島原発事故を目の当たりにして、この考えは全く浅はかだったと言わざるを得ません。
その「マニュアル」も数年で絶版となり、そのまま放置していたところに福島原発事故が起こったのです。急遽、出版社の同意を得て、事故の6日後に全部をネット上に公表しました。しかし事故4日後の15日の早朝に放射能プルーム(放射能を含む大気の塊)が関東圏を襲いましたので、これには間に合わなかったことになります。絶版状態で事故を迎えてしまったことと併せ、悔やまれます。このマニュアルは、同じグループで急遽改訂版を作り、事故から2ヶ月後に出版しました。
首都圏を襲った放射能プルームは知らされず
放射能プルームが関東圏を襲った翌日の16日に、福岡のテレビ局のスタジオに招かれ、その前夜にスタッフと長時間の打ち合わせをしましたが、その時に、米軍横須賀基地の周辺の空間線量のデータを見せました。ネット上に公開されているもので、先に述べた、まさに15日朝の線量の急上昇を示すものでした。平常値の毎時15ナノグレイだったのが急上昇し、朝5時20分から1時間半は毎時100ナノグレイの最大目盛りを突き抜けています。スタッフの人たちは衝撃を受けたようでしたが、結局この重大な事実に放送では全く触れませんでした。首都という人口密集地の多数の人々を襲う放射能プルーム、この放射線に被曝するかどうか、放射能の塵を呼吸するかどうかは、後に述べるように、確率的・統計的に、首都圏の人々の健康に大きな影響を及ぼしたはずです。このような事実をメディアが隠さなければならないということに、放射能被害の恐ろしさを感じずにはいられません。
高崎市の観測所が記録した関東圏の大気中の放射能
放射線量だけでなく、空気中の放射能濃度も関東圏で高い値が記録されています。これは、福島原発事故の直後から群馬県高崎市にある核実験監視のための放射能観測所が継続的に発表していたデータに見られます。それによると、ピークを記録した3月15日
の濃度は、セシウム137と134だけで1立方メートル当たり12.6ベクレルです。単位にミリもマイクロも付きません!そしてこれは平常値つまり事故の前の濃度のなんと1億倍にもなります。ひと月ほどで濃度は下がったとはいえ、100ミリベクレルから数十ミリベクレルの状態が何年も続きました。最近でも、福島県では2017年の平均値として、福島市の0.057ミリベクレル、双葉郡大熊町ではその一桁上の0.36ミリベクレルという値が記録されています
。これらは事故前の濃度の100倍から1,000倍で、大気圏内核実験の影響が残る1970年代の値に匹敵します 。呼吸によって体内に取り込まれた放射能は、長期間にわたって内部被曝を引き起こします。体内に仕組まれたミクロの時限爆弾となるのです。
危惧される広範な健康被害
福島原発事故による直接の被害を最も被ったのは、いうまでもなく原発周辺を中心とする福島県民ですが、その放射能被害でさえ、例えば子供の甲状腺ガンのようにメディアから無視されています。しかし関東圏の住民という巨大な被曝集団については、その影響について語られることさえありません。ここで私が関東圏の放射線、放射能の状況を取り上げたのは、これが常識に反する異常なことだからです。
国際放射線防護委員会(ICRP)は「集団線量」、つまり、被曝線量をある人口集団で積算した量を定義しており、集団への放射線による健康への確率的影響の尺度としています。さらに、この確率的影響は「線形・しきい値なしモデル」、つまり低い被曝線量であってもその線量に比例して影響が表れるものと想定しています。
この世界的に権威を持つ機関の想定に従えば、一人一人の線量が低くてもその人数が多ければ、集団線量に応じて確率的に必ず健康被害が表れるということです。これに基づく推定計算がいまだに見られない、公表されないことも、大きな隠蔽の一つだと思います。ガンや突然死など個別の事象と放射線との因果関係を特定することは不可能で、この点が化学物質による公害などと全く異なります。それをいいことに、統計的に必ず表れるであろう、いや、すでに表れているであろう確率的影響に東電や国が目を瞑ることは犯罪に等しいのではないでしょうか。
エネルギー源としての不適格性、有害性
次に、原発事故の問題を離れて、原発そのものの、エネルギー源としての不適格性と、有害性のうち最も深刻な問題ついて述べます。
原発を推進ないし肯定する人たちの最後の拠り所は、地球温暖化問題かも知れません。再生可能エネルギーの開発と導入は爆発的ですが、エネルギー需要の全部を賄うにはまだ至っていません。そこに原発の出番があると言うのでしょう。しかしウランの資源量は、発熱量ベースで比較して石炭や石油に比べて圧倒的に少なく、化石燃料の中ではCO2排出が最も少ない天然ガスと比べても、その半分以下です
。つまり、その程度の時間しか持たないと言うことです。仮に原発を百年程度動かせたとしても、最後に述べるようにその使用済み燃料の管理が10万年以上というのでは、あまりにも世代間倫理に反し、資源としての地位を認めることはできません。
ウランは、その大半を占めるウラン238をプルトニウムに転換する高速増殖炉があって初めてエネルギー資源として大きな地位を占めることができますが、もんじゅの廃炉に見られるように、その見通しは全くないのです。
最後に、使用済み燃料に含まれる大量の放射能は、化学毒物などと違って無害化できません。もし無害化しようとすれば原子核反応による他はなく、たとえ原理的に可能だとしても、これに要するエネルギーも費用も途方もないものとなるでしょう。また、その過程で新しい放射能が副産物として生じるという、モグラ叩き現象も起きるでしょう。したがって、フィンランドのオンカロで行われようとしているように、10万年以上も人間の生活圏から隔離しなければなりません。日本にそれに適した場所は見つかっていませんし、あるとも思えません。つまり、日々新たに放射能を生み出す原発の運転は一刻も早く止めなければならないということです。
あらゆる点で原発の稼働は不適切、不道徳であり、裁判所には、一刻も早く停止すべきであるという判断を、常識に基づいて下していただくようお願いします。
第23回口頭弁論公判(2019年9月27日)における意見陳述です。
陳 述 書
2019年9月27日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡市東区
氏名 池 天平
(1)
私は福岡市に住む池天平と申します。現在、37歳で会社員として働いており、妻と6歳、2歳の2人の娘と暮らしています。
私は1981年に大分県大野郡野津町、現在の臼杵市で生まれました。実家は吉四六劇団造形劇場という家族劇団を生業としており、西日本の小中学校などを中心に全国で公演活動を行っていました。
私が5歳のころにチェルノブイリ原発事故が起こりました。原発の危険性が目に見える形であらわになり、反対の声は強まる中両親も原発反対運動に参加するようになりました。私もそのような中で育ち、1987年、1988年に実施された伊方原発の出力調整実験に反対する集会に参加し、人間の鎖となったことを記憶しています。子どもながらに、大の大人がこんなに大勢集まって反対の声をあげるほど危険なものなのだと感じました。その後も各地で原発反対の集会などに家族で参加し公演を重ねてきました。
(2)
20歳の時に実家を離れ福岡市に転居してきました。それから2年ほどして、父の体調不良などもあり劇団は廃業。それ以来、原発反対運動に触れる機会はほとんどなくなりました。20代の前半は社会問題にも全く興味、関心がなくなり、大量消費社会にどっぷり浸かるような生活を送っていましたが、26歳の時に某生協に就職しました。その生協は脱原発をすすめ、再生可能エネルギーの普及に取り組んでいたので、再び原発との接点ができました。原発のみならず、様々な社会問題についても関心を持つようになりました。
そんな時に福島第一原発事故が起こってしまいました。2011年3月11日。一生忘れることのないこの日。当時私は生協のトラックで福岡市内を配達していました。配達先のご婦人が「今、東北で大きな地震が起こったみたいよ」と教えてくれました。配達のトラックに戻った私は、携帯電話で報道番組を観てみました。するとそこには、およそ映画でしか見たことのないような光景が広がっていました。宮城県名取市を津波が襲うまさにその瞬間でした。高さ10メートル近い真っ黒い津波が次々と街を飲み込んでいく様子をしばらく呆然と観る事しかできませんでした。
仕事を終え帰宅しテレビをつけると、政府が原子力緊急事態宣言を発令したと報道。福島第一原子力発電所が地震、津波に襲われ、全電源喪失という事態に陥り、1、2号機は非常用炉心冷却装置に注水ができず炉心がむき出しの状態だという事でした。まさか、この日本で、チェルノブイリのような原発事故が起こるなどとは思っていなかった私は、とんでもないことが起こったなと思うと同時に、それでもまだ夢か映画でも見ているような感覚でいました。
その後は1号機、3号機、4号機と原子炉建屋が相次いで爆発。
東日本を中心に、広く放射能に汚染されてしまいました。飲み物や食べ物の放射能安全基準は何倍にも何十倍にも引き上げられ、今まで決して口にしてはいけなかったようなものが流通してしまいました。私が当時勤めていた生協では放射能検査を実施し、その結果を機関誌やHPで公表していました。私もこの情報から出来るだけ東日本産のものは口にしないように気を付けていました。この件に関してよく「風評被害」という言葉が聞かれますが、風評被害というのは、なかったことをあったようにされることであり、放射能汚染に関しては実際にあった事なので風評被害という言葉は当たらないと思います。放射能汚染がなかったのなら、食品の安全基準を引き上げる必要もないのです。そして、原発事故に関して加害者は国であり、東京電力であり、消費者も生産者も被害者であるという事ははっきりさせておかなければいけないと思います。
(3)
さて、私が原発に反対する理由ですが、それは「誰かの犠牲の上にしか成り立たない発電方法は必要ない」と思うからです。
原発は事故が起これば汚染や被ばくなど大変な被害をもたらし、そこに住む人々や動物、環境などが犠牲になりますが、実は通常運転を行っている間、さらにそのずっと前の段階からたくさんの犠牲の上に成り立っているのです。
例えば、ニュークリア・レイシズムという言葉があります。これは核による人種差別という意味です。
原発を稼働するには大量のウランが必要です。原子力発電というのはウランを核分裂させて熱エネルギーを得て水を沸かし蒸気の力でタービンを回転させて電気を起こすからです。
日本の原発を稼働させるためにウランをカナダ、カザフスタン、ニジェールなどから輸入しています。
そして、そのような地域で、採掘作業をしているのは現地に生きる私と同じような普通の人々です。その土地で生まれ、育ち、家族とともに普通の暮らしを営んでいる人々です。
採掘の現場では当然被ばくの問題が起こりますし、採掘現場から流れ出た汚染水が川に流入し、その水を生活用水として使っている人々は飲んだり身体を洗ったりして被ばくします。さらに、川に生きる魚が被ばくし、被ばくした魚を食べる人々が被ばくします。土壌にしみ込んだ放射性物質はその土地でとれる作物や、家畜のエサである牧草も汚染し、人々の身体を蝕んでいきます。原発を稼働するための、1番初期の段階ですでに人権侵害や環境汚染を引き起こし、人々の暮らしを犠牲にしてきたウランによって、日本の原発は稼働されているのです。
また、広島と長崎に落とされた原爆に使われていたウランは、カナダのグレート・ベア・レイクという場所で、先住民の人達が採掘したものが主に使われていて、のちにその事実を知った先住民たちはひどく心を痛めたそうです。彼らは健康を害しただけではなく、心にもとてつもなく深く大きな傷を負ったことでしょう。
これだけではありません。原発を建設する際には、地元の人々の賛成反対という二項対立による分断を生み、コミュニティを破壊します。稼働を始めれば、定期点検で作業員の方々は被ばくします。その作業員の方々が着て放射能に汚染された防護服や手袋は敷地内で焼却され、放射性物質は大気中にばら撒かれます。海に大量に流入する温排水により海の中の生態系が壊されます。使用済み核燃料は未だに処分方法が確立されておらず、私たちの子供の世代、孫の世代に責任が丸投げされようとしています。ひとたび事故が起こった場合の避難計画も机上の空論であり、多くの住民の暮らしが犠牲になるでしょう。
(4)
想像してください。私たちが使う電気のためにこれまでどれだけの人々を犠牲にしてきたのでしょうか。そしてこれから先、どれだけそのような犠牲を続けていくのでしょうか。
私が育った大分県臼杵市は愛媛県の伊方原発から直線距離で60㎞ほどです。現在住んでいる福岡市東区は佐賀県の玄海原発から50㎞ほどです。そして日本の国土の半分ほどの地域は原発から半径100㎞圏内に入るそうです。福島第一原発の事故は決して他人事ではないのです。
私には2人の大切な娘がいます。玄海原発で事故が起これば、子どもたちの健康への影響を考え、私たちは海外へ避難することになるでしょう。そして二度と故郷に帰ってこられなくなるかもしれません。原発を稼働させ続けることによって、私たちの故郷を奪わないでください。子どもたちの未来を奪わないでください。あらゆる犠牲を強いて稼働している玄海原発の運転を止める判決を下していただけることを切にお願いし、私の意見陳述を終わります。本日はありがとうございました。
陳 述 書
2019年9月27日
佐賀地方裁判所御中
住所 千葉県船橋市
氏名 阪上 武
(1)原告の阪上といいます。この間、福島第一原発事故の被害者の支援活動と並んで、市民の立場で原子力規制行政を監視する活動を行ってきました。事故後、最初の川内原発の審査で問題となったのが火山でした。専門家と協力しながら、原子力規制庁との意見交換、原子力規制委員会への提言などを行ってきました。こうした経緯から、玄海原発の火山影響評価に関して陳述させていただきます。
(2)「火山ガイド」は立地評価において、事業者に対し「設計対応不可能な火山事象が、原子力発電所の運用期間中に影響を及ぼす可能性が十分に小さいこと」の立証を要求しています。九州電力の場合、阿蘇を含む九州の5つのカルデラ火山において、火砕流が届くような破局的噴火が、原発の運用期間中に発生する可能性が十分に小さいか否かが問題となりました。
(3)川内原発差止仮処分について2015年4月に鹿児島地裁が下した決定は、可能性が十分に小さいことは立証されている、との九電の主張を全面的に認めるものでした。これに対し、専門家から次々と批判の声が上がりました。原告は即時抗告し、2016年4月に福岡高裁宮崎支部が決定を下します。決定は事実認定を丁寧に行ったうえで、専門家に従い「噴火の予測は困難」としたうえで、「相手方がした、5つのカルデラ火山の活動可能性が十分に小さいとした評価には、その過程に不合理な点があるといわざるを得ない」と、九電による立証を否定しました。これで差止のはずでした。
(4)裁判所がここで持ち出したのが社会通念でした。決定には「影響が著しく重大かつ深刻なものではあるが極めて低頻度で少なくとも歴史時代において経験したことがないような規模及び態様の自然災害の危険性(リスク)については、その発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、建築規制を始めとして安全性確保の上で考慮されていないのが実情であり、このことは、この種の危険性(リスク)については無視し得るものとして容認するという社会通念の反映とみることができる」とあります。破局的噴火は被害があまりに甚大であり、リスクを無視しても容認されるのが社会通念であるから、グレーは黒ではなく、黒であることが示されない限りよいというのです。そして火山ガイドの方が不合理だとし、差止の請求を棄却しました。その後、松山地裁、広島地裁などで、この決定が踏襲されます。
(5)また決定は、原告の要求を「絶対的な安全性」だと決めつけ、社会通念はそこまでは求めていないと否定し、要求する安全を一般防災のレベルに落としています。非常にずるいやり方だと思います。日本中が住めなくなるのだから放射能をまき散らしても構わないということにはならないし、何より、原発事故の重大さからして、その安全性を一般建築物より厳しくみるのは当然のことではないでしょうか。決定は、原発の安全を「別異に考える根拠はない」と言いますが、それも違うと思います。
(6)その後、2017年12月の広島高裁の抗告審決定は、伊方原発の差止を認めました。四国電力による阿蘇カルデラの破局的噴火の可能性が十分に小さいとの立証を否定したうえで、火山ガイドも社会通念が考慮されているとし、火山ガイドに従って立地不適としたのです。至極もっともな決定だと思います。
(7)そして規制委はその3か月後に「基本的な考え方」を示します。「巨大噴火は、広域的な地域に重大かつ深刻な災害を引き起こすものである一方、その発生の可能性は低頻度な事象である」「運用期間中に巨大噴火が発生する可能性は全くないとはいえない」としたうえで、「巨大噴火によるリスクは、社会通念上容認される」とし、「運用期間中に巨大噴火が発生する…根拠があるとはいえない場合は、…『可能性が十分に小さい』と判断できる」というものです。
(8)福岡高裁宮崎支部決定にすり寄るものですが、火山ガイドを不合理とはせず、解釈だけで骨抜きにしています。それは、宮崎支部決定が火山ガイドに代えて審査の拠り所とした親条文の基準規則6条ではあまりに無内容であり、稼働中の原発の許認可の前提が崩れるのを恐れたからだと思われます。
(9)そのため「可能性が十分小さいとはいえない」を「可能性が全くないとはいえない」に巧妙に言い換えるなどして体裁を取り繕ったうえで、最後はやはり、グレーは黒ではなく、黒であることが示されない限りはよいとしています。しかし原発の審査は、事業者と規制当局の二者の関係です。黒であることの立証を積極的に行う者は誰もいません。それに、「中・長期的な噴火予測の手法は確立していない」との専門家の共通認識に照らしても、巨大噴火について黒の立証などそもそも不可能なことは明らかです。事業者も規制当局も、実質的には何もしなくても、この問題で審査に落ちることはなくなります。グレーは黒の原則を捨てることは、規制の放棄を意味します。
(10)さらに、リスクを無視する対象を、こっそりと「破局的噴火」より噴火規模が一桁小さい「巨大噴火」にまで広げている点も問題です。破局的噴火の頻度は数万年に1回程度とされていますが、巨大噴火では数千年に1回程度となります。核燃料が存在する運用期間が長期にわたることを考慮すると決して低い頻度ではありません。九電が川内原発の火山影響評価において、運用期間中に発生しうる噴火として想定した約1万年前の「桜島薩摩噴火」も巨大噴火の規模でした。
(11)高松高裁や大分地裁、そして玄海原発仮処分の福岡高裁決定にみられるように、近頃では裁判所の側が、この「基本的な考え方」に寄りかかる姿勢をみせています。
(12)改めて、九電に伺いたいのですが、「原発には特段に厳しい安全が要求される」これは間違っていますか。国はどうでしょうか。そのつもりで、法令を定め、税金を投入して規制機関を設置し、厳格な審査のルールを定め、運用しているのではないですか。そのつもりで新規制基準を定め、耐震審査指針を改定し、火山ガイドを定めたのでないですか。
(13)裁判所はいかがでしょうか。裁判所には、電力会社や国が厳格にルールを守ることを求め、これを破ったり、勝手に緩めたりすることがないよう厳しい目でチェックすることが期待されていると思います。それがどうでしょうか。「絶対的な安全性」という言葉で、「予測できない」を「想定を超えた」と言い換える子どもだましのようなやり方で、安全のレベルを率先して落とすようなことを行うのはなぜでしょうか。
(14)私がこの点を強調するのは、先の東電刑事裁判の判決で、裁判所が同じ言葉を使ったからです。一般防災のための津波の長期予測が出て、日本原電や東北電力は対策して間に合わせた、東電も現場は対策に動いたが、最終段階で経営トップが止めた、結果、取り返しのつかない事故となった、これを裁判所が「絶対的な安全性」までは求めないとして無罪にしたのです。福島のみなさんは泣き崩れ、怒りに震えてます。なぜ裁判所が、安全のレベルを落とすようなことを率先して行うのか、私には全く理解できません。このままでは、裁判所が、次の原発重大事故を引き起こすことになりかねません。
(15)火山防災は遅れており、巨大噴火よりもさらに一桁小さい大規模噴火への対応が迫られています。一般建築物であれば、まずはそれに集中するというのでよいのかもしれません。しかし、原発はそうはいきません。九電が太陽光の電気を拒絶するのを認めてまで、審査基準を骨抜きにしてまで、原発を運転し続ける意味はあるのでしょうか。玄海原発の稼働を止めてください。これは「絶対的な安全性」の要求などではありません。この地で人々が安全に暮らしていくための当たり前の要求です。
第22回口頭弁論公判(2019年7月12日)における意見陳述です。
陳 述 書
2019年7月12日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡市早良区
氏名 本河 知明
(1)
2012年1月から福岡市議会議員の秘書という仕事をしております、本河知明と申します。この仕事に転職することを決意した大きな要因は、まさに福島第一原発事故にありました。
今の仕事に繋がる原点的な体験が2つあります。1つは、5歳から4年間過ごした長崎での平和教育。当時、長崎にある原爆資料館にも行き、原子爆弾の恐ろしさを学びました。もう1つは、11歳のころNHKで放送されていた「地球大紀行」というドキュメンタリーです。当時問題になっていた酸性雨、砂漠化、温暖化、オゾンホールなどの環境問題を知り、衝撃を受けました。特に、「地球の誕生から46億年のうち、人類の歴史はおよそ300万年、さらに人類が文明を築いてきたのはおよそ1万年に過ぎない」という時間スケールでの視点を身につけたことは、今でも生きています。「地球の歴史から見れば人類は小さな存在である」、「人類だけでなく、他の生物に悪影響を及ぼさないようにするにはどうしたらいいか」は、私が常に考える視点であり、政治に携わる者のみならず、人類全体で共有すべき視点だと考えています。
(2)
さて、この法廷で私が述べたいことは、「原子力行政の歪み」についてです。
(2-1)
まず、福島第一原発事故の原因はいまだ究明されていません。政府事故調などでは否定されていますが、国会事故調では地震動による重要機器の損傷の可能性が指摘されています。また「新潟県原子力発電所事故に関する検証総括委員会」でもこの検証を継続中です(2018年2月16日開催の会議資料より)。事故の徹底究明がなされていない中、「福島を繰り返さない」ための対策が立てられるのでしょうか?
2012年6月、原子力規制委員会設置法が成立、2013年7月に新規制基準が施行されました。政府は「世界一厳しい審査基準」と言いますが、新規制基準からは「原子炉立地審査指針」がなくなりました。これは1964年に作られた指針で、どこなら原発を設置してもよいか、どこに建設をしてはならないかを定めた重要な指針でした。政府は、この指針を残したままだと原発の再稼働ができなくなると考え、この指針をなくしてしまったのではないでしょうか。
また、新規制基準では、過去12~13万年間活動がなければ「活断層ではない」として審査していますが、アメリカでは活断層かどうかではなく「地表に影響を及ぼし得る地質構造」かどうか、地震学第四紀(約258万年)よりも古い地質かどうかで審査しています。原発から40キロ圏内に断層が発見された場合は、それが原発1キロ圏内で「地表に影響を及ぼし得る地質構造」として振る舞わないことを証明しなければならない、とされているそうです。
先日6月17日、福岡地裁で川内原発の火山審査をめぐる行政訴訟で、破局的噴火は「低頻度」とし、法令上考慮しなくてよいとして、原告らの請求を棄却する判決がありました。しかし、基準を超える地震や津波が起こる「超過頻度」について、アメリカでは10万年に1回起こりうるケースを想定することを義務づけています。これで本当に「世界一厳しい審査基準」と言っていいのでしょうか?
(2-2)
私が住んでいる福岡市は、玄海原発から最も近いところで37キロ、天神付近だとおよそ50キロに位置します。これは福島第一原発と飯館村との距離に相当します。「事故時は屋内退避」という問題の多い内容ではありますが、UPZ圏外(30キロ圏外)である福岡市もいちおう避難計画をつくっています。
UPZ圏内(30キロ圏内)で行なわれている避難訓練を何度か見学したことがありますが、今の避難計画は机上の空論です。玄海原発で事故が起きた場合、避難に要する時間は短く見積もって20時間、長いものだと40時間という試算もあります。避難計画の責任主体は自治体となっており、国や電力会社の責任は問われません。もちろん、新規制基準の対象にはなっていません。事故が起きたら、私たちは被曝を前提に避難せざるをえないのです。
(2-3)
私にはいま4歳と2歳の娘がいます。娘たちがまだ生まれる前でしたが、2012年に福岡市東区で「放射能市民測定室・九州(Qベク)」を立ち上げ、食品や土壌に含まれる放射線量の測定を行なってきました。
福島第一原発事故の後、水や食品の基準値が大幅に緩められました。放射性セシウムについて、水の場合は、それまでの平均値が0.00004Bq/Lだったものが10Bq/LまでOKに、お米の場合は、0.012Bq/kgだったものが100Bq/kgまでOKになりました。それぞれ25万倍、約8300倍に緩められたのです。今もその基準は変わっておらず、我が家の買い物の際は、産地を気にしながら食品を購入しています。
今回の訴訟の直接的な争点ではありませんが、実は原発事故前から「大気汚染防止法」でも「水質汚濁防止法」でも「土壌汚染対策法」でも放射性物質は適用除外とされてきました。そして、「環境基本法」の第13条で、放射性物質による各種汚染の防止については「原子力基本法その他の関係法律で定める」としながら、国会や政府は何も定めてこないまま、福島第一原発事故が起きてしまったのでした。これらの法律は、事故後どうなったのか。実は、2012年6月、この環境基本法から第13条が丸ごと削除されてしまったのです。
裁判官の皆さんにお願いしたいのは、現時点の法令だけをもって判決を下さないでいただきたいということです。都合の悪い条文を削除してしまったり、審査基準を緩めてしまったりしてきた原子力行政のあり方、歴史を踏まえて、判決を下していただきたいと思っています。
(3)
私が大学および大学院で専攻していたのは物理学でした。26歳で大学院を中退し、まったく違う道に進みましたが、物理を研究してきたからこそ「科学の限界」も感じています。東日本大震災をはじめ、人類の想像を超えた自然災害が次々と起きています。私たちは地球に対して、自然に対して、もっと謙虚になる必要があると思います。
1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「地球サミット」と呼ばれる国際会議(環境と開発に関する国際連合会議)で、当時12歳だったセヴァン・スズキ(日系カナダ人)という女の子が世界のリーダーたちに向かってこんな発言をしました。
「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」
「学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、"争いをしないこと"、"話しあいで解決すること"、"他人を尊重すること"、"ちらかしたら自分でかたづけること"、"ほかの生き物をむやみに傷つけないこと"、"わかちあうこと"、"そして欲ばらないこと"。ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。」 と。
日本国憲法の第11条に「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民へ与へられる」とあります。「今だけ、金だけ、自分だけ」の政治のあり方に対し、司法の役割をぜひ果たしていただきたいと思います。未来へ「負の遺産」を残すことにしかならない原発については、即時停止の判決をお願いします。
陳 述 書
2019年7月12日
佐賀地方裁判所御中
住所 鹿児島県鹿児島市
氏名 井ノ上利恵
本日は、意見陳述の機会をいただき、ありがとうございます。
(1)
私は、鹿児島市で薬剤師として薬局に勤務しています。
2011年3月東日本大震災が発生した時、東京都北区に住んでいました。今まで経験したことのない大きな揺れが長い間続き、勤務していた薬局では棚から落ちた物が散乱し、交通はマヒし、暗い夜道を不安な気持ちで歩いて帰宅しました。帰宅後テレビから流れる信じられないほどの巨大な津波の映像にただ驚くばかりで、その時は原発の事など頭に浮かびませんでした。
翌日起きてしまった原発事故。「日本は終わった」と思いました。ウソであって欲しい。そう何度も思いました。
息子が生まれた年に起きたチェルノブイリ原発事故では、小児甲状線ガンの激増など大きな健康被害を引き起こしましたが、その放射能は国境を越え、海を越え8000km離れた日本にもやってきました。あの時原発事故の恐ろしさを知ったはずなのに、なぜ日本の原発を止める為に私は何もしなかったのだろう。心のどこかに「日本は大丈夫」、そんな気持ちがあったのだと思います。
自分が暮らしている東京の電力を作っていた福島の原発が事故を起こしてしまった。本当にショックでした。
事故の2ヶ月後から下痢が続くなど体調を崩し、6月下旬実家のある鹿児島に帰りました。鹿児島に帰ると下痢は治まりみるみる体調は良くなり、やはり東京にも飛散してきた放射性物質が影響したのではないかと思いました。
(2)
あれほどの事故が起きたのだから、この国の原発が二度と稼働することはないだろうと思っていました。
ところが、鹿児島にある川内原発が事故後最初の再稼働の候補に? 福島から一番遠い原発、県民の関心が低いと思われたのでしょう。反対運動を懸命にやりました。夜中まで続いた県議会の傍聴に行き、原子力規制委・九電・県が開催した住民説明会には3ヶ所行きました。
しかし、再稼働を決めるのは、薩摩川内市長と市議会、県知事と県議会です。川内原発を再稼働させてしまえば、なし崩しに各地で再稼働が始まる。再稼働を止めたい一心で、運転差止めを求めた仮処分申し立ての原告となりました。
鹿児島地裁の審尋で、九電側は「再稼働が遅れれば一日当たり約5億5千万円の損害を被る」と賠償に備えた担保金の積み立てを私たち住民側に求めました。地裁は命じることはありませんでしたが、仮処分申請は却下されました。
福岡高裁宮崎支部に即時抗告しましたが、一年後出された決定は、「どのような事象でも原子炉施設から放射性物質が放出されることのない安全性を確保することは、少なくとも現在の科学技術水準では不可能である。わが国の社会がどの程度の危険性であれば容認するかの社会通念を基準として判断するほかない」という信じられないものでした。
安全性を確保することが不可能な原発がどの程度の危険性であれば稼働を容認するかは社会が決めるしかないという、本当に無責任な決定でした。社会通念を基準とし判断するのであれば、メディア各社の世論調査で常に原発反対が賛成を上回っている事を、裁判所はどう判断するのでしょうか。裁判所にとっての社会通念とは、住民ではなく、政財界の社会通念という事でしょうか。 あの福島の原発事故から何を学んだのだろう。
今も「原子力緊急事態宣言」発令中です。
フクシマ事故は、今生きている人間すべてがいなくなるほどの年数が経っても収束はしないと言われています。原発事故は、人間と自然が共存していた里山・川・海・空、そして生きものたち、その全てを被ばくさせてしまいました。 悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれない。もう二度と、原発事故は起こしてはいけない。
(3)
熊本はこれまで、地震の起こりにくいところだと言われていました。現在の「日本郵便株式会社 九州支店」旧九州郵政局は、熊本市中央区にあります。旧九州郵政局を熊本にもってきた理由は、その為だと聞いたことがあります。しかし、3年前、その熊本で九州地方では初の震度7の大地震が発生しました。世界の大地震の20%は日本で発生しています。地震大国の日本は、いつどこで大地震が起きるかわかりません。熊本地震の震源地がずれていたらと思うと、本当に恐ろしかったです。
(4)
私は、安定ヨウ素剤の学習会を各地で開いています。
緊急の事態が起きた時、原子炉施設から放出される放射性物質による内部被ばくを防ぐことができるのは、安定ヨウ素剤服用による放射性ヨウ素だけです。チェルノブイリ原発事故が起きた時、国民にヨウ素剤を配布したポーランドでは小児甲状線疾患の患者がほとんど出ませんでした。このことをたくさんの方に知ってもらい、安定ヨウ素剤がいかに必要なものかを理解してもらう為です。原発再稼働を容認しているのでも、諦めているからでもありません。原発は稼働していなくても、そこにあるだけで危険だからです。稼働中ならその何倍も危険です。
行き場のない使用済み核燃料は、玄海原発でも2021年度には貯蔵プールの容量の9割を超える試算が示されています。玄海で大地震が起きたら、どうなるでしょう。
(5)
国内に111ある活火山のうち、九州には、17もの活火山が集まっています。阿蘇山、霧島山、桜島、口永良部島は、今も活発に活動しています。九州の火山が活発なのは、それぞれの火山が「日常的な」活動を繰り返しているからだそうです。
巨大噴火を起こすカルデラ火山は、日本列島に10個程度あり、その半数が九州とその近海に位置しています。 阿蘇・姶良・阿多・加久藤・鬼界。この巨大カルデラのどこでいつ噴火が起きてもおかしくない状況にあると言われています。そのどこかが噴火した場合、関西でも50㎝、首都圏で20㎝、東北地方でも10㎝の火山灰が降り積もる。これは決して「脅し」ではないと専門家は語っています。
鹿児島では桜島の日常の噴火で、降灰の厚さ0.5㎜以下でも市電が脱線した事があり、JRも電車の位置情報入手ができず信号の誤作動の可能性がある為、運転を見合わせます。この何百倍、何千倍もの降灰があればどのような事が起こるか、想像はつくと思います。桜島の大正噴火で桜島と大隅半島は陸続きとなり、その際の降灰で3mの鳥居が2mも埋没してしまった神社が「爆発の猛威を語りつぐ鳥居」として桜島には残されています。
地震・火山噴火・台風・豪雨など自然災害がいつ起きるかわからないこの国で、命にかかわる事故となる原発は、一日も早く止め、廃炉作業に取り掛かって欲しいです。
今日、この場にいる全ての方が、「原発は安全ではない」と思っているはずです。
風・太陽・地熱。
この地球の恵みを利用した電気を使って、暮らしていきませんか。原発で働く被ばく労働者のいない社会で、暮らしていきませんか。そんな社会が一日も早く来ることを願っています。
第21回口頭弁論公判(2019年3月22日)における意見陳述です。
陳 述 書
2019年3月22日
佐賀地方裁判所御中
住所 福岡県久留米市
氏名 青野 雄太
1. 自己紹介
青野雄太と申します。久留米工業高等専門学校機械工学科准教授として勤務しています。私は九州大学工学部で機械工学を学び、大学院に進学・修了後、助手として働きながら学位を取得し、6年前に久留米高専に赴任しました。専門分野は材料力学で、材料の強度に関する研究をしています。
2. 学生時代の経験
大学に入学する2年前にチェルノブイリ原発で炉心溶融、爆発事故が起こりました。この頃は原発の危険性は漠然と感じていましたが、特に強い関心はありませんでした。大学3年のとき、日本機械学会学生会主催で、玄海原発3,4号機の建設現場の見学という行事があり、同級生と参加しました。主にエネルギーパークを見学し、期待した実際の建設現場は何故か見ることができませんでした。九州電力の方からは「原発は絶対安全です」と繰返し言われ、帰りに友人と「あの言い方は怪しいね」と話しました。
記憶が正しければ大学4年前期に原子炉工学大要という選択科目を受講しました。沸騰水型や加圧水型の原子炉の基本的な内容でした。いざとなったら圧力容器に水を入れれば大丈夫だ、と先生が話していたことを覚えています。福島原発事故では実際にそうしなければならない事態になりましたが、炉心は圧力容器から漏れています。どうすれば安全な環境にできるのか、いまだ見通しがなく汚染を止められません。同級生に会うと「大丈夫じゃなかったよね」と今でも話題にすることがあります。その後、西尾漠氏の「原発を考える50話」を読み、原発はやめるべきだと考えるようになりました。
3. 玄海原発1号機の脆化問題
原発について自分でも調べるようになったのは玄海原発1号機の脆化問題を知ってからです。福島原発事故が起こる3か月ほど前、市民運動をされている方から「玄海1号機で脆性遷移温度が98℃になっているというがどういうことか、あなたは何かわかるのか」と聞かれました。現代の鉄鋼材料の常識的な脆性遷移温度は-10℃~-20℃です。初めて聞いたときは、この世にそんな鉄鋼材料が存在するのか、と驚きました。その後、東京大学名誉教授・井野博満先生を紹介していただき、原子力資料情報室が主宰する原発老朽化研究会に参加して勉強しました。最近、井野先生と京都大学名誉教授・小岩昌宏先生が共著で「原発はどのように壊れるか 金属の基本から考える」という著書を出版されました。この本に詳しい説明がありますが、ここでも概略を説明させていただきます。
圧力容器の鉄鋼材料は中性子を浴びると、鉄原子がはじき出されて脆くなり、脆性遷移温度が上昇します。無傷であれば強い材料でも、一旦傷が入ると弱くなる場合があります。傷に対する強度が弱いことを「脆い」といいます。逆に傷に強い材料は、粘い、強靭である、または靭性が高いといいます。圧力容器は炉心を囲む重要な構造で、強靭である必要があります。圧力容器には監視試験片という容器自体と同じ材料でできた試験片が入っています。定期検査のときに適宜それを取り出して試験し、圧力容器が脆くなっていないか確認します。玄海1号機圧力容器の脆性遷移温度は運転開始前、-16℃でしたが、第4回監視試験片では98℃になっていました。圧力容器は30年以上中性子を浴び続けて脆くなってしまったのです。
圧力容器の健全性評価は監視試験片のデータを確認するとともに、これから先の数年でどれくらい脆くなるか、という予測も行うことになっています。それにはJEAC4201という規格で示された予測式を使って行います。驚いたことに、第4回監視試験の元々予測されていた脆性遷移温度は56℃でした。実際はそれより42℃も高い98℃で、予測よりも極端に弱くなっていました。
しかし、98℃という脆性遷移温度が得られた当時、九州電力は玄海1号機を運転継続しようとしていました。今回予測ははずれたが、42℃高い98℃の結果が矛盾しないように予測式を「改良」したから大丈夫だというのです。この時点で予測自体が破綻しており、今後の運転で安全と言える理屈はありません。高浜1号機でも同様に当初の予測を大きく超える脆性遷移温度が得られています。中性子照射脆化はまだまだ未解明の現象だということです。
JEAC4201予測式は何度か改訂されていますが、当初は数十年分の中性子照射をわずか数日で照射した加速試験の結果を元につくられました。そして、実際の監視試験結果が増えるにつれて加速試験では予測できないことがわかってきました。最も新しいJEAC4201-2007では中性子照射脆化の物理現象を数式モデルで表現した予測式に改訂されました。しかし、2012年、当時の原子力安全・保安院が開いていた高経年化技術評価に関する意見聴取会で、予測式の求め方が物理的に誤っていることが明らかにされました。前掲著書には、誤りを発見した小岩先生と意見聴取会の委員であった井野先生によって、その詳細が述べられています。原子力規制委員会は、この誤った予測式を作成した日本電気協会に対し規程の再検討を指示しましたが、現在も是認したまま使われています。
4. 原発は今すぐやめるべき
原子力規制委員会は脆化を予測できないのに予測と強弁しています。この脆化問題と同じような話が原子力についてはたくさんあります。福島原発では予測された津波高さより低い防波堤をつくり甚大な被害が生じました。しかし、火山の影響を受ける恐れのある原発でも再稼働が認められました。再稼働した玄海原発3号機は肉眼でも錆びたとわかるパイプから蒸気漏れが起こりました。結局、福島原発事故から何も学んでいません。過酷事故はいつかまた起こるでしょう。
では、事業者が安全をしっかり担保すれば稼働して良いのか、というと、私は原発を今すぐやめるべきと思います。その理由については多くの方が説明していますが、ここでは持続可能でない点について述べます。ウラン燃料は長くて後100年で枯渇すると言われています。プルサーマルを併用すればそれが15%伸びると言われています。一方、使用済み燃料は使用前の1億倍の放射能をもつため、管理期間は数万年から数十万年に及ぶと言われています。危険なゴミの管理にかかる時間の方が圧倒的に長いにも関わらず、原発を運転し、さらにゴミを増やす理由はありません。6年前、ドイツに3か月留学させていただき、風力発電の現状を見る機会がありました。EUは自然エネルギー100%を目指してその利用を劇的に増やしています。自然エネルギーにもまだまだ課題はありますが、枯渇することはありません。また、原子力のようにその土地に住めなくなるような危険は一切ありません。今すぐに原発をやめ、自然エネルギーに舵を切るべきと思います。
陳 述 書
2019年3月22日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀市川副町
氏名 塩山 正孝
(1)
私はNHKドラマ「いだてん」の舞台になっている熊本県玉名郡和水町という田舎の町で生まれ育ちました。緑に囲まれたのんびりした自然環境でした。そして今、佐賀市川副町に移り住んでもう30年近くになります。こちらも同様にのんびりした町ですので、私と相性が合うのでしょう。
社会問題への意識をあまり持たずに生きて来た私の目を突然覚ましてくれたのが、東日本大震災と福島第一原発の大事故でした。
2011年3月11日、私と妻は長女の熊本への引越の手伝いに行った帰りの車の中でした。突然下の娘から「今、日本のどこかで大変なことが起きてるよ!」と電話がかかってきました。すぐにラジオのスイッチを入れ、東北地方で大地震が発生して、巨大津波が海岸に打ち寄せて大災害となっていることを知りました。二人とも非常に不安な気持ちで我が家に帰ってきました。
そして、福島第一原発が全電源喪失したと。その後の政府の対応にはイライラと不安を募らせるばかりでした。原子力の専門家たちがテレビに何度も顔を出して「安全だ」と説明をしていましたが、結局メルトダウンという最悪の事態となったわけです。原子炉を冷却しようと、自衛隊ヘリ隊員たちが空中から数トンの水を決死の覚悟で命中させようとしていましたが、これが日本の原子力技術だったのかと国の無力さに全く呆れてしまいました。
全国の皆さんと同様に私も被災地にペットボトル水を送ったり、寄付金を送ったりしました。被害に遭われた方々が家族や友達や家までも流されたり、まさに地獄に突き落とされた状況にある時、この自分も現地に行って少しでも役に立つことをしなくてはと考えていました。そんなある朝、妻が「原発反対の人たちが県の図書館前の公園でテントを張ってるって、新聞に書いてあるよ。読んでみんね」と教えてくれました。私はその記事を読んだ後、自転車でテントまで飛んで行きました。
その日から自分の国の不条理さを少しずつ知るようになりました。そして、一社会人としてそれまでなんの問題意識も持たずに退職生活に突入したばかりの自分に転機がやってきました。玄海原発を止めるための行動に加わったのです。
(2)
3.11から丸8年が過ぎました。しかし福島原発事故は今もそのまま続いています。今、オリンピックの話題で賑やかですが、この今も"原子力緊急事態宣言発令中"なのです。帰還困難区域の人達は故郷を追われて、今なお帰りたくても戻れない。自主避難した人達はとうとう住宅支援も打ち切られました。さらには離婚に至るケースも数多く聞かれます。原発事故が多くの人々の人生を狂わせてしまいました。お金では取り戻せないのが原発事故です。
私は若い頃、福島に2~3度旅行で行ったことがあります。福島の自然はとても素晴らしいものでした。安達太良山に登ったり、スキーをしたり、夜には宿で友人と美味しい酒を飲んだり、あの緑豊かな山々の美しい姿は今も私の青春の思い出の中に生き生きと残っています。その大自然に放射能が降り注ぎ、山々は人間が犯した罪に無言で泣き叫んでいると思うととても悲しくなります。
玄海原発でもあのような或いはあれ以上の原発事故は絶対に起きないと誰が断言できるでしょうか。国の原子力規制委員会でさえ事故は100%起きないとは言えないと"断言"しているではないですか。
福島原発事故の時は太平洋側に大半の放射能が風に流されて行ったから、東京など大被害に会わずにすみました。あの時、風向きが反対だったらどうなっていたでしょう。もし、玄海原発で同じような事故が起きたら、九州はもちろん西日本あるいはそれ以上の広範囲に被害が及び、日本が破滅状態となるのではないでしょうか。
2016年の熊本地震では熊本市内にある妻の実家もかなりの被害を受けました。庭のブロック塀は将棋倒しで倒れ、家の中では台所の床が割れたお茶碗などで足の踏み場もなく、床の間では仏壇が倒れてめちゃめちゃになりました。隣の家の庭では断層が走っていたようで地面が直線状に段違いになっていました。あんな激しい地震が1度ならず2度も発生したら原発も絶対に大丈夫とはいえないでしょう。日本列島のどこで大地震が起きても不思議ではないことがもう一般常識となった現在、玄海原発を直撃する可能性も大いにあります。しかし、玄海原発だけは人の手で止めることができるのです。命にかかわることだから、原発は何として止めなければなりません。
(3)
しかし、私達が原発をもう止めて欲しいと心から願っても、どうしても立ちはだかるものがあります。それは"司法の壁"です。
2015年3月20日、この法廷でMOX燃料使用差止裁判の判決言い渡しを傍聴しました。裁判長が法廷に現れ、「訴えを全部棄却いたします」とさっさと言い渡すや否や、後ろの部屋へ戻って行きました。判決を待っていた私達は「えーっ」と力がなくなりました。
その時私はつくづく思いました。日本は遅れていると。この原発問題では理不尽なことが如何に明白であっても、今の日本では裁判所に棄却されることがほとんどです。いくら裁判に訴えても期待できないというのが正直な気持ちです。3.11福島事故で日本人は何も学ばなかったのでしょうか。安心安全な普通の生活を守るために、あのような危険なものをなくす努力が日本人一人一人に必要なのではないでしょうか。特に裁判官のみなさんは私達市民の生活を左右する強い決定権をお持ちです。
昨年9月の伊方原発再稼働差止についての広島高裁仮処分異議審決定は「社会通念」という言葉を使って、住民の訴えを退けました。「社会観念」という文言を初めて使って女川原発差止請求を棄却した元裁判官は、「原発事故なんてめったに起こらないだろうと私自身が考えていた。理論上は『世の中の人がどう考えているか』という点で判断するが、無意識に裁判官個人の考え方が影響する」「裁判官は原発などの政治的問題の場合、よほど世論が明確にならない限り、現状維持を選びやすい」と語っています。(2018年11月22日付毎日新聞)そうなのでしょうか。
最近街頭などで反対のチラシを配る時に感じるのは、町行く人たちの反応が以前とは非常に違って来たということです。以前は「原発が止まると電気が止まるから困る」とか「経済に悪影響を与えるから」などの容認の声をちょくちょく耳にしていました。しかし、今そのような声が聞かれなくなりました。「原発はもう要らない」という社会通念にはっきりと変化したといえます。
福島の事故で日本のみならず世界中の多くの人々が何かを学んだと信じています。この日本が安全で安心な国となりますよう、是非、フェアなジャッジメントを期待いたします。
第20回口頭弁論公判(2018年12月21日)における意見陳述です。
陳 述 書
2018年12月21日
住所 福岡県飯塚市
氏名 山口 明美
自己紹介
私は1951年に原爆の投下された広島県で生まれ、現在67歳です。3人の子どもに恵まれ3人の孫がおり、来年5月にはもう一人孫が生まれる予定です。
私に一人目の子ども(娘)が生まれたのは1980年。当時様々な環境汚染が表面化し、それによる健康被害が出てきていました。私が農薬や食品添加物などの化学物質による体への影響を心配し、不安を抱くようになったのもこの頃です。
その不安から情報を集め学んでゆく中で、夫と私は娘のためにも体をつくる元になる食べ物は自給したいと、住まいを東京から夫の実家のある飯塚市へと移しました。
畑を耕し、鶏を飼い、味噌やパンを作るという私達が思い描いていた生活が始まりました。
私達の野菜作りには農薬はもちろん化学肥料も使いません。枯れ木などを集めて燃やした後の草木灰、私達の出した排泄物、鶏糞、枯れ草、枯れ葉を畑に入れ、後は自然にお任せする、というのが農業経験のない私たちの野菜作りでした。
5〜6年が過ぎ、我が家流の野菜づくりと言えるものが定着しかけた頃、1986年4月26日、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起こりました。この事故を知ることで、私達は原発を止めたい!と強く思うようになったのです。
チェルノブイリ原発事故から学ぶ
チェルノブイリ原発事故で放出された放射能はジェット気流に乗って地球規模の汚染をもたらしました。
後で知って大変な衝撃を受けたのですが、当時1300km以上離れた旧西ドイツのミュンヘンでは、子どもが砂場で遊ぶのにも放射線防護服を着なければならない程の放射能(ヨウ素131)汚染があったのです。1300kmといえば福岡から北海道までの距離で、日本列島のどこかで原発事故が起これば、風向き次第で自分の住む町が汚染地域になりかねないということです。
私達の住む日本はチェルノブイリから8000km離れていますが、各地でチェルノブイリからの放射性ヨウ素131が観測されました。その中でも千葉市では雨水1リットル中13300ピコキュリーが観測されたのです。日本政府は「原子力発電所周辺の防災対策について」の中で、1リットル当たり3000ピコキュリー以上汚染された水を飲んではならないと定めています。この時千葉市に降った雨はこの規制値の4倍以上、まさに非常事態だったのです。この事を一体どれだけの人が認識できていたでしょうか?
放射能の雨は畑や田んぼを汚染し、野菜も汚染しました。
放射能の影響は幼いものほど大きいと言われています。だから大人よりも子ども、子どもよりも幼児、胎児のほうが影響は大きい、そんな大事なことを私は知りませんでした。
当時私には3番目の子どもがお腹にいました。原発事故が遠くで起こり、朧気ながらの不安はあっても、放射能に関する知識はありませんでした。政府からの「野菜は念のためよく洗ったほうが望ましい」と言う発表があった時も、それ以外の情報はあまりなく、「大丈夫かな?」と疑いながらも、とりあえず普段よりは丁寧に洗ったのを覚えています。食卓の上に並ぶのはそれまで通り野菜中心でした。よく洗ってもヨウ素131の落ちるのはせいぜい2割と知ったのは、半減期の短い(8日)ヨウ素131の毒性を気にしなくても良くなった10月末の頃でした。
物理学者だった故藤田祐幸さんの著書を読むと、そこには次のような言葉が並んでいました。打ちのめされました。「僕は5月4日から6月22日まで野菜を食べなかったんです。政府の出した6月6日の安全宣言までに放射能は10分の1に落ちました。それでも僕は我慢して100分の1に落ちるのを待ちました。大人にとってはこの放射能による被曝はたいしたものではなかったのですが、乳児や胎児にとっては無視できる状況ではなかったと今でも確信しています。」この藤田さんの確信を、3番目の子どもが生まれた9月29日の後に知りました。藤田さんが1ヶ月半食べなかった野菜を、5歳と2歳の子ども達に食べさせ、妊娠中の私が食べたことによって胎児にも食べさせたのです。子ども達を“被曝させた”のです。
福島原発事故に学ぶ
2011年3月11日、その日私はこの法廷にいました。プルサーマル裁判が始まるのを待っている時、東京にいる臨月を迎えた娘からメールが入りました。「お母さん、今大きな地震があったけど、私もお腹の赤ちゃんも大丈夫だから」と。「ああそうなんだ」と普通に受け止めただけで、原発事故、メルトダウンがこれから始まろうとしているとは予想もしていませんでした。
裁判が終わって次の集会が始まる頃、情報は次々に入ってきました。全電源喪失、燃料棒むき出し、メルトダウンの可能性・・・。集会の終わるのも待ちきれず会場を後にし、佐賀から自宅のある飯塚市へ帰りつくまでの3時間半はすべてが上の空。頭の中は娘とお腹の赤ちゃんを被曝させたくない、ということばかり。
福島から東京までは約200km。その距離は何の安心材料にもならないことはチェルノブイリの教訓です。自宅に着くなり娘に電話。「避難したほうがいいよ!」。娘にとっては唐突で現実感の薄い話だったかもしれません。でも私も必死でした。福島がチェルノブイリ事故のようになるかも・・・と。
結果的に、娘夫婦は原発の爆発を見て飯塚への避難を決めました。
避難はしましたがそれで安心ではありません。福島から飯塚までの距離は約1000km、放射能がやって来ないとは限りません。私達は飯塚の放射能汚染の可能性を考え準備しました。まず食料です。大量の玄米を買い、畑の野菜は(まだ放射能が来る前だったので)全て収穫して冷凍、水はヨウ素131の毒性が落ちるまでを考えて汲み置きするなどです。娘たちを被曝から守るためです。避難時の被曝を防ぐための装備として雨合羽、ゴム手袋、防塵マスクなどを買い揃えました。早朝から夜遅くまでテレビにかじり付き、娘の夫はインターネットから情報を集める、原発事故を中心にすべてが回る異常な日々でした。
私達が守るべきもの
原発事故は一瞬で食べ物を食べられないものに変えてしまいます。食べ物は人にとって最も大事なエネルギー、このエネルギーをダメにしてしまうのです。
原発が動く限り放射能は生み出され続けるのです。その量は1日に広島原爆3〜4発分。出てくる放射能のゴミは10万年の安全管理が必要です。その技術は未だできていません。この事実は事故があろうとなかろうと、いずれは私達の、そして未来の子ども達の暮らす環境中に出てくるだろうということです。
だからこそ、放射能を増やすこと、それ自体を止めなければなりません。
最後に
私達は明日につながる今日であって欲しいのです。
子や孫に野菜を届ける時この上ない幸せを感じます。
だから放射能の心配など必要のない暮らしがしたいのです。
裁判長、私達の今の暮らしを続けられるよう、どうか公正な判断をお願いします。
陳 述 書
2018年12月21日
住所 鹿児島県いちき串木野市
氏名 高木 章次
1、はじめに
私はイラスト、デザインなどの仕事をしてきた一市民です。1951年の東京生まれ東京育ちの67歳ですが、2014年から川内原発から約15キロの鹿児島県いちき串木野市に住んでいます。1988年に原発そして再処理工場の事故の影響と範囲、そして高レベル放射性廃棄物の処分問題の深刻さを知り、傍観者でいられる時代は終わったと思い、原発と再処理を終わらせる取り組みを一市民として続けています。「核のゴミキャンペーン」をつくり、2007年まで3回の全国知事アンケートの実施や申し入れ、経済産業省主催のシンポジウムへの参加などの取り組みをしてきました。
今日は、現在進められている高レベル放射性廃棄物の地層処分計画の問題点を述べさせていただきます。
2、使用済み核燃料の毒性の広報がされていません。
電力会社は高さ幅約1cm、約10グラムの核燃料のペレット1個で、一家庭の半年分の電気をまかなえると宣伝してきました。しかし、その毒性は住民に知らせてきませんでした。
原発の核燃料は3~5年間燃やすと使用済みになりますが、放射能量は約1億倍に増え、ペレット1個で少なくとも約60兆ベクレルの放射性物質となり、一般人の約1億7000万人分の摂取限度量の猛毒物質です。
1トンあたりだと、燃料取り出し時には放射能は100億ギガベクレルに増えます。ウラン鉱石レベル(1トンあたり約1兆ベクレル)まで放射能が減衰するのでも約10万年、100万年後でも約500ギガベクレルあります。100万kwの原発は1年間で約21トンの使用済み核燃料が発生しますが、日本では2013年10月末現在約17000トンもの使用済み核燃料が存在しています(ガラス固化体を除く)。
原発はたった数年運転して、その後の人間が100万年以上廃棄物の心配をしなければならないという異常な発電施設です。これほど危険なものを原発は生み出すことを広報すべきです。 ※ギガは10億。
3、九州電力には発生者責任の自覚がありません。
2018年6月28日の朝日新聞紙面において、池辺社長は最終処分場について「直接的な関わりは難しいかもしれない。いろんなところで機会があれば最終処分場についても話していくべきだろう」と発言しています。しかし、再処理工場へ使用済み核燃料を搬出して再処理した場合の高レベル放射性廃棄物ガラス固化体も九電の所有物であり、原子力発電環境整備機構(NUMO)は処分を請け負うという形です。
池辺社長は続けて「国民みんなで場所を探し~みんなで力を合わせて処分場ができるように努力することが大事」と発言していますが、国民に責任を押しつける暴言です。資源エネルギー庁でさえこんなことは言いません。
もともと使用済み核燃料は株式会社九州電力が作った産業廃棄物です。世代責任と言って国民に責任転嫁し、経済的利益は九電が得るということは許されません。
玄海原発3号機でのプルサーマル運転後の使用済みMOX燃料は発熱量が高く、その扱いは2010年頃から検討するとなっていましたが、いまだに目処が立っていません。
廃棄物発生者としての自覚が持てないのですから、原発を運転する資格はありません。
4、地層処分に関する科学的特性マップの公表は、原発再稼働のバックアップが目的のひとつと感じています。文献調査の公募を凍結しなければ、国民との冷静な議論は難しいと思います。
資源エネルギー庁が2017年7月に発表した地層処分に関する「科学的特性マップ」は、長年言い続けてきた「日本には処分場の適地が広くある」というものから基本はさほど進んでいないと思います。
処分場の文献調査への自治体からの応募を求める公募制度は2002年からスタートしました。唯一高知県東洋町長が議会や住民の同意を得ず独断で応募し、住民の猛反対の末の町長選挙で反対派が当選し応募は撤回されました。以来、応募はありません。
マップ公開は原発再稼働に反対する理由の一つである高レベル放射性廃棄物処分問題が、解決に向かって進んでいると思わせるイメージ作りと考えています。
5、現在の地層処分計画は課題が山積みで、埋めたことになっていません。処分場の場所を探せる段階ではありません。拒否、反対が国民の責務と考えています。
エネルギー庁でも、平成 30 年度~平成 34 年度までの「地層処分研究開発に関する全体計画」が始まっています。NUMOが2018年11月に発表した、「包括的技術報告書レビュー:わが国における安全な地層処分の実現 -適切なサイトの選定に向けたセーフティケースの構築-
」の結語の中で「また,設計に基づいて処分場を建設し,操業・閉鎖するために必要な個別技術の実証が着実に進められていることから,既存あるいは今後の技術開発によって近い将来に実用化できる見通しを得ている。」と書いています。
しかし、現状を考えれば実用化できる見通しはまだ得られていないと書くべきです。現状での応募は、政治判断で場所を決めることになりかねず、それは原発の立地場所決定のようになるのではないかと危惧します。
まだまだ多くの課題を克服しなければ埋めたことにならない例の一つとして、坑道の埋め戻し問題があります。
NUMOの「包括的技術報告書レビュー版-4.5 地下施設の設計」に以下の記載があります。
「埋め戻し材は周辺岩盤と坑道周囲のEDZなどの透水性を考慮して,坑道内が卓越した地下水の流動経路にならない低透水性を確保できるものとする。」
つまり、処分坑道が岩盤より透水性が高くなれば、廃棄物容器から漏れ出た放射能は岩盤でなく坑道を伝って急速に地上へ出現し、埋めたことになりません。処分区画と地上から地下300m以深へのアクセス坑道の接続部に止水プラグ(栓)を設置するとしていますが、機能するのか課題となっていて、実証も必要です。実験もなされていますが不十分で、このままでは坑道が確実に水みちになると思わざるを得ません。
NUMOは、坑道が水みちになった場合、何が起きるのかを発表しようとしません。発表すれば、今までの処分計画の破綻を示すものだからと考えています。
6、原発の運転をやめ、使用済み核燃料を増やさないことが、世代責任です。
原発の運転をやめれば、やっかいな使用済みMOX燃料を生み出さずに済み、100年かかるとしている処分事業を延長せずに済み、処分のための経費を減らすことができ、地下の処分場の面積・処分坑道の長さが少なくなるため、断層や地下水脈にぶつかるなどのさまざまな安全上のリスクがより少なくなるなど、不安と不信に満ちた状況にブレーキをかけることができます。
今、この瞬間も死の灰が作られています。世代責任としても、原発を止める判決を1日も早くと心から期待します。
第19回口頭弁論公判(2018年9月28日)における意見陳述です。
意 見 陳 述 書
2018年9月28日
原告:荒 川 謙 一
1. はじめに
私は、玄海原発から直線距離にして約77kmに位置します福岡県宗像市に住む 荒川謙一と申します。
私は、学業を修めてから機械専門商社の勤務で23年間、整体師として個人開業し23年間、「心身ともに自然体」をモットーに、人々に「今日を生きるための役に立ちたい」と思って従事してきました。
2. 私と原発
私が5歳の頃、母から「放射能の雨が降るよ!頭を濡らしたら禿げになるから・・」と脅され、雨が降り出すと頭を庇って必死に走るという緊張体験を覚えています。後で知ったのですが、1954年3月はビキニ環礁水爆実験による被ばく事故で、静岡県焼津のマグロ漁船・第五福竜丸のことが日本中を騒がせていた頃でした。
時が流れて、放射能の怖さのイメージは薄れ、‘70年大阪万博(日本万国博覧会)の頃には、九州電力に勤めていた叔父から「これからは原発の時代だ」と自慢話を聞かされ原発の平和利用は人類の進歩と理解したように思います。
その後、東京で機械専門商社に就職。‘73年オイルショックを経験する中、自分の仕事も、マシン・テクノロジーの進歩で「便利快適」な世の中に貢献すると自負していました。
‘84年伊豆大島の三原山が活発化、静岡県で地震が頻発していた頃、私は東芝の担当者と一緒に浜岡原子力発電所に行く機会を得ました。初めてサイトバンカー建屋という所まで入ったのですが、砂丘の中に異様に建つ原発は、東海地震に襲われて耐えられるのか言葉にできない不安を感じました。そして、‘86年4月チェルノブリ原発の爆発事故が世界を震撼させたのです。日本の政府も原発従事者も「ロシアの原発は旧式(ボロ)だから、日本では事故など絶対起こらない」と発言しましたが、私が真に原発の科学と政策を疑い出したのはこの頃からです。それを裏付けるように90年代になると、「もんじゅ」の冷却材ナトリウム漏洩火災「JCO」の臨界事故など、あわやチェルノブリ寸前状態が発生し、これら事件を学べば学ぶほど不安はさらに深まり、原発の安全性技術は殆ど躍進してないと分かってきました。
原発で働く大工さんを父に持った私の友人はこう言いました。「親父は、定期検査時の仕事を終えて帰って来ると、『あんなことをやっていたら、原発はいつか必ず事故を起こす』と言うのが、晩酌時の口癖でした」と。安全に関わる工事内容さえ予算の都合で簡単にランクダウンさせ、責任持てませんよと申し出ても「下請けはいくらでも居る」と脅され、指示通りやるしかなかったそうです。他の孫請け業者からもオフレコの話「配管の劣化隠し」「不良溶接」「報告書データ改ざん」等々、安全性無視の不正や真実の隠ぺい、例示に苦労しないくらい聞きました。
裏付けるように、玄海原発でも配管類トラブルが続きます。今年3月、3号機の配管穴あき蒸気漏れ、5月には4号機の一次系冷却材循環ポンプ事故も再稼働の前後に起こったばかりです。神戸製鋼グループの組織ぐるみの製品や部材のデータ改ざんは、全国の原発の関わりを調査しなければならない不祥事でした。
「耐震をはじめ安全余裕をしっかりと守って堅固な設計で作られている」という推進者側の言葉は、やっぱり安全神話だったと思います。
3. 原告適格ということについて
私は、この行政訴訟の原告として4年10ヶ月になります。被告・国は、答弁書で最初に「原告適格」を問題にしながら、「もんじゅ」「六ケ所」「東海第二」「柏崎刈羽」原発訴訟の例を挙げ、北海道のような遠隔地に居住する者は、其々が生命・身体に重大な被害を受け得ることを自ら主張立証できなければ、原告資格がないと述べています。しかし、原発や核燃料施設からの距離と事故被害について、裁判所が判じたのは、いずれも‘11年の3.11フクシマの事故前でした。国が、電力会社が、「日本の原発は安全です。絶対にチェルノブイリのような事故は起こしません」と言い切っていた頃の判断です。全く想定外だった、超大な自然力の前に我々は無力であったと認めた時から、すべてが変わっているのです。
福島原発が10m以上の津波に襲われると全電源喪失の指摘を受けた国会が‘09年度、それを無視した国と電力会社。その為に起きてしまった二年後の福島の反省から、想定外の原発過酷事故を全く無くそうと考えれば、PAZ(5km圏内)とかUPZ(30km圏内)で囲うような過小評価はできない筈です。しかし今でも、40km超えの飯舘村農家・酪農家の悲劇は完全無視されています。
大地震が起き、その後大津波が襲う、風がどのように吹いているか、台風や豪雨や竜巻が重なるかもしれない、もっと歴史を紐解けば、大地震の連動、阿蘇山カルデラ破局的噴火、誰が明日起こらないと断言できるのでしょうか!
福島は、国際原子力事故評価尺度で「レベル7」の史上最悪の原発事故となりました。しかし一方で、非常にラッキーだった面がありました。4号機での炉心シュラウドという支持構造物の交換工事が予定通り3月9日に終わっていたなら、11日は原子炉ウェルやDSピットに存在した水は既に抜かれゼロ、この水が補給されて冷やされることは全く無かったのです。使用済み燃料プールの水は完全に干上がり、燃料露出しメルトダウン。作業者は誰も現場に近付けない状態になったという推論があります。当時、原子力委員会の委員長だった近藤駿介氏が試算した最悪のシナリオもありました。このケースでは、少なくとも170km圏内の人々の全員避難、250km離れた東京も被曝地となり「東日本」が壊滅状態になるのでした。 今日、飛行機を使うなどすれば、私たちは4時間もすれば九州から北海道に居ます。瞬く間に起こる最悪のシナリオでは、私たちが日本のどこに住んでいようと「生命・身体に重大な被害を受け得る」ことは明らか、距離を理由に「被害を受けるかどうか」「訴える資格あるかどうか」など主張立証を要求するなど全く無意味だと思います。
4. 2011年福島第一原発事故による教訓は・・・
今月(9月)6日未明の北海道胆振(いぶり)地方を最大震度7の巨大地震が襲いました。直ちにその影響で、北海道内全域が大停電(ブラックアウト)に陥りました。厚真町の震源地から約120kmに位置する泊原発はわずか震度2でしたが、停止中の3基は地震発生後より復旧まで約10時間も電源を失いました。この間、非常用発電機6台をフル稼働させて使用済み燃料プールの冷却を続けるしかない、正に綱渡り状態だったのです。
福島第一原発事故による大きな教訓の1つは、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずです。しかし、今回の地震で、揺れが小さくても全電源喪失が起きる可能性があることを実証してしまいました。経済産業省や北海道電力の対応は、『お粗末』と言うしかありません。再稼働に至らせた玄海原発は本当に大丈夫でしょうか。どんな事態でも電源喪失しない対策が本当にできているのでしょうか。調べ直す必要がある筈です。3.11教訓を踏まえれば、極限的最悪なシナリオの試算を想定しつつ、全てを絶対にクリアできることが証明されない限り、原発は絶対動かしてはならないと思います。
どうか、裁判官のみなさま、原発は国策、故に、人権さえ政治的な判断に委ねるなどと放棄しないで下さい。私たちが要求してきたすべての証拠を被告に開示させ、充分に調べ尽し、聡明な判決をして下さるように、切にお願い申し上げまして、私の意見陳述と致します。
陳述書
2018年9月28日
住所 唐津市
氏名 進藤輝幸
1 自己紹介
私は1949年6月唐津市生まれの69才です。3人の子どもと4人の孫がいます。
政治家を志して1968年九州大学法学部に入学しましたが、その直後大学構内に米軍戦闘機が墜落し、疾風怒涛の学生時代を過ごしました。中途退学や再入学など紆余曲折を経て、29才で福岡市公立中学校教諭(社会科)になりました。考えるところがあり、在職25年で早期退職し、現在は唐津市で不登校生のためのフリースクール「啓輝館」を細々と続け、14年目になりました。
人生の岐路に立った時、その都度、損か得かよりも、自分自身が納得できるかどうかを判断の基準にしてきたというのが、私のささやかな誇りです。
2 私と原発
大学に進学後、福岡市に住んだせいもあり、玄海原発の動きには無知・無関心でした。しかし、1986年のチェルノブイリ原発事故を知ってからは、社会科の授業の中で、原発の問題点を考え、「チェルノブイリは日本でも起こりうる」と伝え始めました。当時の板書内容は以下のようなものでした。
早期退職後、唐津市へUターンを決める時「玄海原発」に近くなることが一瞬不安になりましたが、「五十歩百歩」だとも考え、転居しました。2004年5月、玄海原発からおよそ14kmの地点です。
転居後はフリースクールの活動を中心に読書や散歩、スポーツを楽しむ悠々自適の生活を送る予定でした。ところが、プルサーマル計画が持ち上がり、黙認できなくなりました。
本来は、首長や議会から「全住民の命とくらしに関わる大事なことだから、民意を問いたい。」と住民投票の提案があって当然なのに、住民からの要求署名が法定必要数を上回っても、「議会軽視につながる。」という本末転倒の発想で却下されました。佐賀県でも唐津市でも同じでした。
最後の砦、司法の判断を!とMOX燃料差止訴訟の原告になりました。2回目の公判の日が2011年3月11日!
私達の声を届かせきれなかったことがフクシマの悲劇を生んだと思えてなりません。ひとりひとりの反原発、脱原発の思いが、個々バラバラになったまま、力になりきれず、フクシマの教訓もおざなりにされていく。居ても立ってもおられぬ思いで「玄海原発反対からつ事務所」の立ち上げに加わりました。2016年8月のことです。
同年10月以来、私はほぼ平日の毎朝、唐津市役所前で、玄海原発反対の「のぼり」を持って、1時間ほど辻立ちをしています。同じ場所、同じ時間帯なので、顔なじみの方も増えてきます。「安全神話の九電 運転資格なし」「命のことだから 廃炉あきらめません」「玄海・唐津ガン多発 経済優先を許すな」などと書いたのぼりを見て、車で通過する際、賛同のクラクションを鳴らされる方、心なしか好意的な眼差しで挨拶される方、時には「本当ですよね。」とか「頑張ってください。」「ご苦労様です。」などの声かけに勇気づけられています。
また「玄海原発反対からつ事務所」の重点活動として、玄海町や唐津市全域へのチラシ配りを、繰り返し計画的に進めています。1年目の配布枚数6万枚を、2年目は上回りそうな勢いです。
今年7月に開設された九電・玄海原子力総合事務所が9月20日から原発5キロ圏に戸別訪問して説明活動をするということを前日に知り、私たちも住民に「原発の危険性」を知らせるために、ただちにこの日から5キロ圏での戸別訪問・チラシ配布を開始しました。「チラシに原発反対の理由を書いています。ちょうど説明に来られる九電の方に是非聞いてください」と言って渡しています。
3 私が原発に反対する主な理由
①「安い、安全、クリーンすべて嘘」
元首相小泉純一郎氏の言でもありますが、全くその通りです。ごまかしの計算は、賠償や復興の費用無視。「五重の安全」も「想定外」の一言で吹っ飛び、汚染水垂れ流しも止められず、「除染」も有名無実。
②最低限、「フクシマ」の後始末を済ませてからの再稼働ではないのか?
「フクシマ」の原因究明、実は想定されていた津波への無策を含め、事故の原因を明らかにし、責任をとるべき人が責任をとり、避難者が事故前の安全基準で故郷に戻り安心して生活できる条件を整えて、初めて再稼働を口にできるのではないでしょうか?「原子力緊急事態宣言」発令中のままの再稼働はありえません。
③命がけの電気はいらない。
たかが水を沸騰させるために、未だ人間の制御不能なウランやプルトニウムを使う必要がどこにありますか?放射線を即座に無効化する中和剤あるいは解毒剤を発明、実用化してから出直して欲しい。そもそも「避難計画」が必要な危険な発電はお断りです。安全ならば高圧送電の不要な大消費地に作ってください。
④地元玄海町長と佐賀県知事が同意したから問題無い?
玄海原発再稼働に同意するということは、玄海町や佐賀県はおろか、西日本一帯の人々に原発事故との無理心中を強制することに外なりません。場合によっては、日本中あるいは世界中に被害を与えます。しかも、それは、その時に生きている人々だけでなく、何世代にもわたって続きます。
玄海町長と山口祥義・佐賀県知事に、そんな権限がありえますか?
4 終わりに
何度も空しい努力と思いつつも、原発反対を諦めきれないのは、何と言っても「次世代に核のツケを回すわけにはいかない。」という一念です。私自身は年齢から言って、放射能がどうあれ、さほど余命に影響はありません。けれども、今の子ども達、今から生まれてくるはずの子ども達にとんでもない影響を与え続けることは何としても阻止しなくてはと思うのです。
もうひとつ、原発反対にこだわる理由があります。私は学生時代、父母に向って、「何故、戦争に反対しなかったのか?」「本気でみんなが反対していたら戦争は無かったはず。」と追及したことがあります。立場が逆転し、「何故フクシマの後も、原発を容認したのか?」「本気で反対したのか?」と子や孫に追及されたくないからです。
裁判長、原発は憲法25条の「生存権」を根底から覆すものです。再稼働を認めることは、広瀬隆氏言う所の「未必の故意殺人罪」を犯すことにもなります。
そのことをしっかり念頭に置いて公正な判決を下されることを、切にお願いして、私の陳述を終わります。
第18回口頭弁論公判(2018年6月1日)における意見陳述です。
本日は意見陳述の機会をくださってありがとうございます。
私は北九州市に住む37歳の主婦です。夫と2歳になる息子の3人で暮らしています。特別な経歴や経験も無く、ごくごく普通の主婦である私ですが、だからこそ3.11東京電力福島第一原子力発電所での事故により放射能汚染された日本での私たちの暮らしや育児について、皆さんに知ってほしいと思い今日この場に立っています。
事故当時、私は銀行で働いていました。経済成長や便利さなどが豊かさの物差しとなっていて、それを疑いもしませんでしたし、自分が使う電力がどのように作られているのか、そして原発のことなど無関心でいました。しかし、あの日、事故のニュースを知ったとき、すぐに幼い頃の記憶が鮮明に思い出されました。それは母と一緒に見たチェルノブイリの子どもたちの写真展のこと、そして、「スノーマン」など絵本作家として著名なレイモンド・ブリッグズが核戦争の恐怖を描いた「風が吹くとき」というアニメーションの「こわい」記憶でした。写真展もアニメも「核の恐怖」というものが描かれ、私の心にしっかりと刻まれていたからです。
事故から毎日ハラハラした気持ちが止まらず、しばらくはtwitterやネットでひたすらに情報を集めました。自分のため、そして関東に住む大切な友人たちのために必死でした。チェルノブイリ原発事故についても改めて勉強し、それらの情報を元に友人たちに一時的にでも避難してほしいことや、水や食べ物に気を付けてほしいことを何度も伝えました。しかし残念ながら、ほとんどの友人たちへ想いは届きませんでした。
情報を迅速に開示しないこの国に対し、疑問と不信感が大きくなっていく中、福岡市内で原発に反対するデモがはじまり、私もひとりで参加するようになりました。そこで仲間が増えひとりひとりと話すうちに、「みんな同じ想い(疑問)を持っている」と、ほっとして救われたのを覚えています。特に避難者や小さな子どもを連れて懸命に声をあげる母親たちの言葉は切実で、まだ独身だった私も「子どもたちを守りたい」という想いに突き動かされていました。それは私の中で希望にもなっていました。
私が街で声をあげてきたのは、怒りを発散したかったからでも、デモをすれば原発が止まるなどと考えていたからでもありません。動かずにはいられなかったという衝動と、何より原発に対して「NO」と言いたくても言えない人たちに「あなたにも仲間がいる」ということを伝えたかったのです。そして祈りや願いだけでは何も変わらないこと、小さくても行動することから社会を変えられることを自らの行動で示したかったのです。
私は2014年に結婚を決めたときに、夫にお願いをしました。それは、3.11以降、日本で暮らすには原発問題、そして放射能汚染の問題に向き合わなければならないこと、もし子どもを授かれば特に日本で安心して暮らすことが困難になるかもしれないこと、もしそのように判断したときにいつでも逃げられるよう準備をしておきたいこと。同じように危機感を抱いていた夫は共感しすぐに了承してくれました。
こうした考えに対し、世間では「大袈裟だ」「考えすぎだ」という人がいます。しかし、それは、3.11原発事故前迄には、水・米・野菜・魚など食品の(セシウムなど)放射能含有量などごく微量だったものが、2012年の事故後には、厚生労働省規制基準値を何千倍も何万倍も跳ね上げねばどうにもならなかったことで分かりますし、環境省指定の特定廃棄物という放射能が混じったゴミなどは、一般的に棄て燃やしてもよい基準値は、100bq/kg~8000bq/kgというように80倍にしないと成り立たない世界に変わってしまっていることからもよく分かるのです。福島の事故は、それまでの暮らし方や人生設計を根底から変えるほどに私たちに大きな影響を与えたのです。
日本全国にある原発どこででも事故が起きれば、この小さな島国に安全な場所などなくなります。現在暮らしている北九州市は玄海原発からおよそ100kmの場所にあり、30kmよりはるかに圏外ですが、それでももし玄海原発で福島の事故のような過酷事故が起こった場合は、偏西風に乗って我が家にも高い値で放射性物質は降り注ぎます。チェルノブイリ事故では、爆心地から西側には300kmも飛散し、その地域は立ち入り禁止区域となっていました。更には1,200km離れたドイツにまで飛散していたそうです。放射能には県境も国境もありません。
玄海原発3号機再稼働後は安定ヨウ素剤をいつも持ち歩いています。近所の公園に行くときも、買い物に行くときも息子のおむつと一緒に持ち歩く、日頃からこんな用心をしている母親が私だけでなく日本中にたくさんいることをご存知でしょうか。どうして電気のために国民がこのような不安やリスクを負わなければならないのでしょうか。
育児のなかで私が一番気を遣うのは「食事」です。子どもたちは大人の何倍も放射能の影響を受けやすく、3.11以降の育児では「被ばく回避」の意識と知識が不可欠です。微量でも内部被ばくする可能性はあり、汚染が疑わしい食材は避けるしかありません。これは決して「風評被害」などではなく、実際に内部被ばくの恐れがあるものを体内に入れないという当然の危険回避策です。海洋の汚染は現在進行形で続いており、海産物については特に深刻に感じています。もしも玄海原発で過酷事故がおきれば、当然九州の食品が「汚染」されます。
3月23日に玄海原発3号機が再稼働し、そしてそのたった1週間後に蒸気漏れ事故、その後玄海4号機一次冷却系ポンプ事故が起きました。九電は原子炉を止めず、私たち市民の不安にもきちんと向き合った説明をしないまま、今日に至ります。市民が不安な毎日を送っていることを、九電は理解しているのでしょうか。
完璧な人間などおらず、ヒューマンエラーは必ず発生しています。原発も、不具合や故障、そして老朽化や劣化も起こっています。「絶対に事故が起きない」とは、国も電力会社も言えず、もし過酷事故が起きても誰も責任をとれないことは、福島の事故で実証済です。
息子がもう少し成長したら、わたしはこの理不尽な事実を少しずつ教えていかなければいけません。その頃、行き場のない核のゴミで全国各地が埋まっていないでしょうか。プルトニウムの危険な黄色い看板が乱立し「立ち入り禁止区域」が拡がってないでしょうか。第二のフクシマ大事故が起きてないでしょうか。その時、「大人はこんなに危険な原発をなぜ止めなかったのか」「無責任に僕たちに核のゴミをなぜ押し付けたのか」と息子が怒ってないでしょうか。そんな未来など想像したくありません。私は息子に胸を張って「お母さんはあなたのためにがんばって反対したよ、みんなで原発を止めることができたよ」と言いたい。
被ばく労働や環境問題、ウラン採掘の問題や核のゴミ問題に差別問題など、原発に関わるあらゆる問題を後世に残してはならないと思います。すべてが「負の遺産」です。
「負の遺産」は一日も早く無くしたいのです。すべての原発を廃炉にすること、子どもたちの健康を守ること、これは大人たちの責任です。
今日この場にいらっしゃる裁判長、裁判官、裁判所のみなさんをはじめ、すべての人たちが例外なく未来への責任に真摯に向き合うことで、どうか、玄海原発を勇気を持って止めてください。子どもたちに誇れる判決をしてくださるよう強く願っています。
ありがとうございました。
第17回口頭弁論公判(2018年3月23日)における意見陳述です。
陳 述 書
2018年3月23日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀県唐津市
氏名 北川浩一
(1)
この場を与えていただきました皆様に感謝申し上げます。
玄海原発から車で30分、直線距離約13kmの唐津市(人口12万)に居住する71歳の北川浩一と申します。福岡市から移住し36年、薬剤師としての業務の傍ら、学校環境の管理、薬物乱用防止、看護学校講師などの職責に携わってきました。
一刻も早く原発のない国になることを願い意見陳述をいたします。
国民多数の意に反し、根拠なき自称"世界一レベル"の規制基準のもとに玄海原発再稼働は秒読み態勢に入りました。3月某日の再稼働直後に原子力過酷事故が発生したと想定したとき、私達夫婦と、同じくUPZ30km圏内に暮らす子どもたち2家族8人にどういう事態が待ち受けているのか、私の不安と危惧と怒りをお話ししたいと思います。わが身のこととしてお聞きくだされば幸いです。
(2)
私達3家族、それぞれ玄海原発から12km、15km、17kmに居住しています。いずれも、原発から東南の方角に位置しています。唐津では4月から6月の南寄りの風を除き、年間平均時速8km弱の風が原発方向から吹いています。放射能が漏れれば私たち3家族は2時間以内に被曝を余儀なくされます。
本来なら原子炉の冷却不能情報と同時にできるだけ早く遠くに避難すべきでしょう。しかしながら島国日本には被曝を避けられる場所などどこにもないのです。
(3)
佐賀県策定の避難計画に従ってみましょう。
警戒事態発生の発令をPAZ(5km圏)と同時に入手。私達夫婦は薬局の職務上、緊急調剤応需体制をとり屋内退避準備。
子ども家族は次の施設敷地緊急事態(放射能放出の可能性)発令前に孫4人(各家族2名)を保育園、幼稚園、小学校から引き取る。これには大混雑が予想され数時間要すると思われます。道路では勤務先から帰宅を急ぐ親の車、子を引き取る車だけでも渋滞。さらに、PAZ5km圏8000人の一部が避難開始。それに自主避難者の車が加わる混雑状態。この時点でヨウ素剤入手のため備蓄センターに走る。私の家族たちは首尾よく全員が揃いヨウ素剤の準備ができたでしょうか。
次は施設敷地緊急事態発令に進展。屋内退避の準備。この時点でヨウ素剤入手に動き出す家庭が多いと思われます。事前に入手した家庭は数パーセントにすぎません。ヨウ素剤は水・食糧3日分と同様に用意する必要があるが、備蓄センターに医師、薬剤師は派遣されているのでしょうか。未だにヨウ素剤の学習も事前配布も確立していません。ヨウ素剤入手が不首尾で甲状腺がんを発症すれば、その責任は自己責任を問われることになるのでしょう。
次の段階、燃料棒損傷などの全面緊急事態発令。
新規制基準にあるフィルター付きベントも事故対策指令室である耐震重要棟も数年後に完成の予定です。施設完成時までは事故は起きないという想定なのでしょう。かくも安全をないがしろにした人権無視の基準があるのでしょうか。これでは事故の進展は福島より早い可能性が高く、屋内退避開始どころか直ちに避難を始めねばなりません。
計画では屋内退避の安全性を強調していますが、たかだか10%の被曝量の軽減にしか過ぎません。わずか2~3日分の水食糧をかかえ、当てもない救援を、放射能の低下を、待てというのでしょうか。
(4)
我々3家族は毎時20マイクロシーベルト超への情報を受けた時点でそれぞれ決められた避難所に向かうことにします。予定避難場所が風下であっても指示は変わらないのでしょうか。県の試算によると30Km圏外への避難時間は14時間~19時間を要しています。その間の4人の孫の被曝量は一体どれくらいになるのでしょうか。
これが、もし夜なら、大雨なら、台風の時期なら、雪なら、余震下なら・・・またこれらの複合事態だったらどうなるのでしょうか。
たどり着いた予定避難所は基本的に原発風下に位置し再避難の不安もぬぐえないでしょう。
避難所生活以後の私たち家族は福島の人々が置かれ続けている過酷な状況を再現することになるのでしょう。当然年間線量20ミリシーベルトの唐津に住めといわれるのでしょう。労働基準法に定められた放射線管理区域の約4倍の汚染地域に住まわされるのです。この値を公表した時の内閣参与の東大教授が「これで私の学者生命は終わった」と記者会見の席で落涙したことは忘れ去られたのでしょうか。
(5)
福島震災の反省を踏まえて避難計画が策定されました。本来、被曝からの避難は被曝ゼロを目指すべきでしょう。5~30Km圏の人々は放射能が毎時20マイクロシーベルト以上になるまで屋内退避を指示されました。だれも容認していない被曝を強要されるということは補償体制が整っているのでしょうか、被曝証明、被曝線量の測定、公的治療、将来にわたる健診制度が用意されているのでしょうか。
一企業の、代替技術がいくらでもあるたかが発電のために、私の子や孫は放射能に起因するガンをはじめとする多くの疾患に怯えながら生きていかねばならないのです。その影響は世代を超えて伝わることは、広島、長崎、チェリノブイリが証明しているのではないでしょうか。これを人権侵害と言わず何というのでしょう。いまだ正しい放射能学習も避難計画学習もやらず、納得のいく原発の必要性すらも説明できず、責任の所在も明確にせず、被曝前提の避難が強要されている。この国に私達の生命、財産、国土を守る意思があるのでしょうか。そのために設置された原子力規制庁ではなかったのですか。
毎日、街角で畳大の原発反対の幟2枚を掲げて立っています。車列が途絶えたほんの一瞬、ふっと真空状態のような静寂が訪れることがあります。人っ子一人いない唐津の町に、世界文化遺産に登録されたばかりの曳山14台が、潮風に吹かれ打ち捨てられている幻影が脳裏に浮かびます。
原発事故の取り返しのつかない影響は、福島を起点にまさに現在進行中ではありませんか。私だけは、私の家族だけは、私の地域だけは、災厄から免れるとでも皆さんはお思いでしょうか。単なる科学論争や経済論争に矮小化することなく、社会科学、倫理学、医学、哲学、環境学、宗教学などを踏まえた観点で原発の是非は論議されなければ将来に取り返しのつかない禍根を残すことになるでしょう。
直近(2018年2月共同通信社他)の世論調査によれば原発事故懸念83%、今すぐ稼働ゼロ・将来ゼロ合わせて75%、避難計画不可65%の民意が示されています。
主権在民、三権分立…小学校生でも諳んじるこの言葉が死語になっていないでしょうか。
人権の最後の砦である憲法、その解釈を任された司法の責任は重い。
ポスティングで出会った多くの人から、怒りをこめた諦めの言葉を聞いた。「何回反対の署名ばしたね、なーも変わらん。どげんしたらよかと。金のまわっとっとやろう。国策やけん、どうしよんなか。国民がばかたいね!原発が国難たい!」
明るい未来を信じ、国民がともに前に歩き出すきっかけになる判決を期待して陳述を終えます。有り難うございました。
陳 述 書
2018年3月23日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡市西区
氏名 えとう真実
福岡市西区在住の江藤真実です。
中学校1年生の息子と小学校5年生の娘がいます。息子が1歳になったころ、今の家を建てて引っ越しました。その頃は福岡市内では玄海原発に近い場所であるということは全く考えませんでした。
東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故が起きたのは、息子が小学校に上がる直前です。長崎出身の私は周りの友人たちよりも「放射能」や「被ばく」ということに敏感だったと思います。
原発事故に関するテレビのニュースに違和感を覚えてTwitterを始め、パソコンにしがみつくように、子どもがいない間、子どもが寝てしまってから、情報を集めました。その頃のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなります。
私の家族は人間だけでなく、9匹の猫も一緒に暮らしています。福島で避難した人たちは、すぐに自宅に帰れると思って、犬や猫を置いたまま避難しました。その後におきた酷い出来事をここで話すことはできませんが、人間が作った原発の事故で何の罪もない生き物が数限りなく犠牲になったという事です。2016年1月に汚染地帯で発見された狐の死骸の大腿筋を測定したところ18000Bq/Kgであったという記事をみたときは人間の罪深さに体が震えました。
2011年の5月、このまま情報を集めて自分だけが対策をするだけではどうにもならないと考えて、生まれて初めてデモに参加しました。
当時6歳と4歳だった子どもたちを連れていくにあたり、上の子にだけでも「なぜデモに参加するのか」を伝えたくて、原発のことと福島で起きていることを話しました。息子は「まだ6年しか生きとらんとに、そんなの(原発)がたくさんあって、どうやって生きていったらいいとよ」と私にききました。あの時の衝撃は忘れられません。
まさかそんな言葉が返ってくるとは思ってもいなかった自分の傲慢さ。ただ被害者であるだけの大人はいないのです。初めてこれまで何もしてこなかった自分の無責任さを思い知り、心底後悔しました。そこが私の活動の原点です。そして息子のその言葉は、すべての生き物たちの言葉でもあるのだと感じています。
疑問をもって情報を集めれば集めるほど、信じられないことばかりが起きていることがわかってきました。事故直後、内部被ばくを避けるために、国策として食品の流通が変わるだろうと考え、それも仕方がないと覚悟しました。しかし流通はほとんど変わりませんでした。その代わり、飲食物の放射能安全基準値がありえないくらいに緩く定められました。
九電交渉にもできる範囲で参加してきました。申入れに参加して、具体的な返事を聞いたことも、誠意を感じたことも一度もありません。福島の原発事故でも国や電力会社は十分な補償を行っていません。チェルノブイリでは義務的に移住しなくてはならない線量のゾーンであっても福島では人が住んでいます。更に避難指示の解除にともない、この3月で家賃や慰謝料も打ち切られることになっています。
Twitterを通じて、福岡に自主避難してきた皆さんから連絡をいただくことも多く、そこからお付き合いが始まった友人たちが多数います。みなそれぞれ違う時期に福岡に移住してきましたが、皆さんその費用は自身で負担しています。経済的に逃げたくても逃げられない人たちがどのくらいいるのか予想もつきません。
移住の理由は、既に健康被害がみられた人、将来的な健康不安を考えた人など様々ですが、健康被害を感じていた人においてもばらつきがあり、家族間でも違います。そこに因果関係をみつけることは難しいのです。因果関係がはっきりしなければ企業が責任を問われることはありません。
福島の原発事故は、電力会社に、事故が起きても補償はそこそこで打ち切ることができるという不条理な前例を作ってしまいました。だから各電力会社は平気で再稼働をしようとしています。責任を取る必要がないのだから目先の利益の為に原発を動かすのです。
そもそも電力不足はありえません。脱原発を決めて自然エネルギーへと舵をとっている国はもう日本のだいぶ先をいっています。日本が脱原発を目指さなかったからいまだに原発をとめたら電力が足りないと言わなければならないのです。
また電気やエネルギーは命や環境と天秤にかけられるものではありません。重大事故が起きればいかに多くの命が犠牲になるのか、健康を失うのか、私たちは思い知ったはずです。それは立地自治体だけでなく、県を超え、国を超え、地球規模の環境汚染となってそこに生きるすべての命を脅かしています。そのことがほとんど知らされていない事実に憤りを覚えます。
原発は安全だという言葉はTVや新聞やあらゆる媒体に流されていて、私もどこかでそれを信じてきました。浅はかでした。事故はおきる、そして事故がおきても、人間にはなんの手立てもないのです。私が住んでいる福岡市は西風の時は玄海原発の風下になります。福島原発事故のときの飯館村と同じ位置です。目に見えず臭いもしない放射性物質が気づかないうちに襲ってくるかもしれません。汚染を完全に除去することは不可能に近く、私たちはただ黙って被ばくするだけです。そして他の生き物も被ばくさせ、未来の子どもたちも被ばくさせます
避難計画もあってないようなものです。30kmを超える地域は自宅待機。これ一つとってもどれだけいい加減かがわかります。真夏だったらどうするのですか?エアコンも使えない、風を通すこともできない環境で家に閉じこもったら、熱中症になるでしょう。家族で自宅待機できるまでにどれだけ被ばくすることか。考えただけで恐ろしく、身震いがします。事故がおきる時間帯も季節も、なにも想定されていないかのような避難訓練を視察するたびにうんざりします。動物を連れた避難訓練も腹立たしいほどにお粗末でした。とても家族を守ることなどできないと絶望的な気持ちです。また電力会社の事故を想定した避難訓練を、なぜ自治体が税金を使ってやるのだろうと、別の疑問も湧いてきます。自然災害は避けられないから避難計画が必要です。でも原発は人間が作ったもの、人間がやめることをきめれば原子力災害はおきません。避難計画を立てることもなくなります。
もしも玄海原発で事故がおきたら、私たちの暮らしは一変するでしょう。
命を失うことがなくても、家族の健康を守るために、福岡に移住してきた友人たちのようにこの地を離れることを余儀なくされるかもしれません。住宅ローンを払い続けながら、仕事もやめざるを得ない、親しい友人たちとも離れてしまうという状況を家族全員で受け入れることができるでしょうか。今の暮らしは根こそぎなくなってしまうのです。
それだけではありません。いったん事故をおこしてしまうと、廃炉にすることもままならないのは福島の現状をみると明らかです。誰がその作業をするのでしょうか。燃料を掘り起こすところから始まる被ばくの問題は、永遠につきまといます。それは差別の問題でもあり、人権の問題でもあります。安全な再生可能なエネルギーが他にもあることを私たちは知っています。電気をつくるために誰かが犠牲になるべきではありません。
再稼働はやめてください、再稼働している原発は止めてください、そして原発を廃炉にすると決めてください。もう選択肢はありません。
第16回口頭弁論公判(2017年12月1日)における意見陳述です。
陳 述 書
2017年12月1日
佐賀地方裁判所御中
住所 福岡県糸島市
氏名 亀山ののこ
(1)
私は写真家をしています。東京で生まれ育ち、33歳まで東京を離れたことがありませんでした。
写真とは18歳で出会い、自分が生きている意味を実感しました。大学卒業後、プロカメラマンとしてキャリアをスタートさせ、20代は雑誌や広告などの仕事に無我夢中で邁進していました。31歳で結婚をし、33歳、双子の息子を授かりました。
私の実家は東京の東大和市という自然豊かな場所にあり、家の周りは雑木林に囲まれていました。
双子が生後4ヶ月の時、これからは私の父や兄家族の側で、自然の中で息子たちを育てていこうと、故郷の家に移り住むことにしました。母はすでに亡くなっており、一人暮らしだった父が孫たちの世話を手伝ってくれました。そしてその2ヶ月後に3.11が起こりました。
(2)
私はそれまで原発というものに無関心に生きてきました。原発の原料となるウランが採掘される時も、運搬する時も、発電所で作業がなされる時も、どこかの土地やそこで働く誰かが被曝しているということを知りませんでした。捨て場のない核のゴミが増え続けていることも知りませんでした。
双子たちにおっぱいを飲ませながら、ノートパソコンを膝に乗せ、懸命に調べました。チェルノブイル事故の時、1600キロ離れたドイツでも放射能汚染が問題となったと知り、約200キロの東京は危ないんじゃないかと考えるようになりました。ガイガーカウンターを買って、庭の雨どいの下を計測しました。0.4マイクロシーベルトを検知しました。東京の水道水からも放射性物質が検出されました。
それでも政府や報道、テレビは、影響ない、食べて応援、絆と言い続けました。私は、政府のことも報道も鵜呑みにしてはいけないのだと、人生で初めて痛烈に感じました。
自宅窓から見える、私が育ってきた森、子どもたちもここを自由に駆け回って育つだろうと思っていた森。
その森にも等しく放射性物質は降り注いだのだと思うと、見た目はそのままに美しい森がまるで違って見えました。取り返しのつかない汚してしまったものの大きさ、一人ひとりの大人の責任の重さを遅ればせながらやっと感じたのです。
(3)
原発事故から1ヶ月、双子の赤ん坊を抱え、仕事にも復帰をし、だけどこの原発の問題に向き合うと決心をしました。当時、放射能を心配する母親たちのことを、神経質だとか、放射能ノイローゼだとか、証拠を示せだとか、様々な批判の言葉が飛び交いました。
自分の子どもを守るという生き物としての本能を否定される社会は恐ろしいと思いました。
どんな状況にあっても、子どもを守りたい。それが母親たちの共通の願いです。そしてそのためには、もう原発はいらない、これ以上核の汚染を繰り返してはいけない。このシンプルな道こそ、私たち一人ひとりが声を上げていかねばならぬものだと強く思いました。
そして私はその思いに共感してくれる母たちを募り、母子の写真を撮り始めました。2011年、4月のことです。ブログで思いを綴ると会ったこともないたくさんのお母さんからメッセージが来ました。どう声をあげていいか分からなかったという、普通のお母さんたちです。一人ひとり会いに行って撮影をし、この声が一部のものではないと知らせるために、100人は絶対に撮ろうと決心しました。
そして2012年、原発はもういらないと声をあげた母たちの写真集「100人の母たち」を出版しました。
新聞、雑誌、テレビ、多くのメディアに取り上げられ、全国の有志の方たちによって、100カ所以上で写真展が行われました。お隣の国韓国でもソウル市庁のロビーを始め、50会場で開催されました。
それはひとえに、もうこの世界のどこでも原発の事故を起こしてはならないという、どこまでもまっとうな願いによるものです。
(4)
2011年8月、私たちは家族会議を重ね、東京から福岡へ移住することにしました。安心して食べ物を買える。窓を思いっきり開けられる。海で泳げる。山を歩ける。水道の水を飲める。雨にも濡れられる。洗濯物や布団を思う存分干せる。子どもに泥遊びさせられる。そうした当たり前に思えた、だけど何より大切な日常の喜びを味わいました。
今暮らす糸島は海に山に川に農作物に恵まれた、本当に愛すべき土地です。この土地は、私たち世代だけのものではありません。これから先の子どもたちにも残していかなければなりません。人間だけでなく、様々な動植物の生態系が織り合わさって生きています。
しかし、糸島市は玄海原発から30キロ地点にあります。
(5)
今年の3月23日、玄海原発の再稼働に向け、糸島で住民説明会が行われました。到底受け入れることの出来ない説明ばかりされていました。その中でも、九州電力取締役山元春義さんは「どうして原発を再稼働しなくてはいけないのか?」という問いに
「2011年に玄海が止まり、厳しい電力需給の中、火力発電も動かした。他電力から買ってお届けするという悔しい思いもした。今後は福島の経験を九州電力としてしっかり捉えて、川内そして玄海原発を復帰させて安定した電気をお届けしたいのでご理解頂きたい」
と述べたのです。福島の事故が起きて、本当に悔しい思いをしたのは誰でしょうか。
今も増え続ける、小児甲状腺癌という病を患ってしまった子どもたちへ思いを馳せることはないのでしょうか。
「原発さえなければ」と遺言を残し自ら命を経った酪農家さんへの一雫の申し訳なさも感じないのでしょうか。
(6)
私たちはまっとうに生きたいのです。
福島の事故で、原発はどんなに安全対策をしたとしても事故は起こってしまうものだということがはっきりしました。玄海原発で事故が起きれば、偏西風に乗って九州はもちろん四国、中国、近畿、関東、東北、北海道まで放射性物質が飛散し、夥しい数の市民が被曝します。そして世界中の海や土地も汚染します。
福島原発の2号機では今も650シーベルトという数十秒で人が死に、ロボットさえも数時間ももたないような前代未聞の状況が続いているのです。 汚染物の入ったフレコンバックは増え続けています。原発の事故は分断や貧困、いじめを引き起こします。いつでも何の罪のない子どもたちが被害者となります。
どうか私たちの道徳心を歪ませないでください。子どもたちに、間違った道は正せるんだよという、当たり前のことを教えさせてください。
(7)
糸島で暮らして4年。3.11のとき生後6ヶ月だった双子の息子は今、小学一年生になり、地域の人に見守られながら学校生活を満喫しています。放課後には海、川、山で駆け回って遊んでいます。糸島で生まれた3番目の息子も健やかに育っています。
私の願いは、この日常を守りたいということ。ただ安心して暮らしたい、その憲法でも認められている権利がこのままずっとこの土地で守られていくことです。そしてそれを守る国であってほしい。
皆んなが考えを新たに、安心して信頼しあえる未来を築いていくために、玄海原発の再稼働をどうか許さないでください。
今日はお話を聞いてくださりありがとうございました。感謝致します。
陳 述 書
2017年12月1日
佐賀地方裁判所御中
住所 福岡県福岡市
氏名 野口 春夫
(1)
私は大分県津久見市で牧師をしている野口春夫と申します。津久見市と福岡市を行ったり来たりする生活をしています。今日はこの機会をお与え下さった事に感謝致します。
私は1941年日本が無謀なアメリカ合衆国との戦争を始めた年に、日本が侵略して作った国旧満州、現在の中国東北部の大連で生まれました。4歳の時、日本の敗戦を迎えるのですが、日本に引き揚げるまでに外地での人間同士の見苦しい争い、女性を守るために女性たちを男装させる苦労、私を買いに来た(「預けなさい」と言う)中国人を追い返すまでの母親の苦労、日本に帰る順番を早くするため他人を騙すこと、等々を成長して母から聞きました。今でも思い出すのは大陸からの引き揚船上で亡くなった人のことです。本土を見ないで亡くなった方は、布切れに包まれて板の上を滑らされ、海に落とされ、魚の餌食となり終わりという、人間の尊厳は何も無い儀式を見たことです。
(2)
引き揚げて来て福岡市に住みました。1982年に九州電力が福岡市内に「九州エネルギ-館」を造りました。ここには、市内外の多くの学校の生徒や一般の社会人が見学に来ていました。館内では模型でしたが、本物と同じ大きさの玄海原子力発電所原子炉の発電機能が見せられたものです。「これからの発電エネルギ-は、石炭でも石油でもなくコストが安い原子力である」という「原子力信仰」が見学者に刷り込まれました。当時は原子力発電が一歩間違えば、広島・長崎に落とされた原爆と同じで、大変危険なものだとはつゆ程も知りませんでした。それどころか未来の電力はこれだと思い込まされました。
大学を卒業し、佐賀県と福岡県の県立高校に奉職しました。福岡で最初に勤めたのが現在の糸島市にある農業高校でした。学校の前の国道202号線を「放射能のマ-ク」を付けた車、その前後には厳重に守る警備の車列が定期的に通っていました。それは勿論玄海原発にウラン燃料その他を運ぶ危険なものでしたが、いつからか船で運ぶようになり、見られなくなりました。この高校は当時、佐賀県の高校の学区も特別に引き受けており、玄海原発から20キロ付近の佐賀県浜玉町(今の唐津市)のミカン農家の子弟も県境を超えて通学していました。
二番目に勤めた高校は工業高校でした。この高校の電気科・工業化学科では、卒業して九州電力や電源開発に入ることが大きな目標の一つであり、生徒たちは就職試験の受験先推薦を受けるため勉学を競ったものです。ですから電力会社に就職が決まると他の科の職員も喜んだものです。電気科ではカリキュラムに工場見学があり、生徒は3年間の内一度は玄海原発を見学に行きました。工業高校に通った生徒たちは、小学校か中学校で「エネルギ-館」を見学し、工業高校の電気科等に入ると今度は模型でなく、本物の原子力発電所を案内され、「夢のエネルギー」という「原子力信仰」を二重に「教え込まれた」のです。
定年退職後、私は神学部に入り直し牧師になりました。そして今住んでいる津久見市にある教会の牧師になって15年になります。津久見は「セメントの町」です。セメントの原料がとれる所は地盤が固いので、かつて原子力発電所の候補地に挙げられましたが、住民の建設反対運動もあり、建ちませんでした。
(3)
2011年3月11日、「東日本大震災」が起こったあの日、ここ佐賀地方裁判所では「プルサ-マル裁判」の第二回口頭弁論が開かれており、私も傍聴に駆けつけていました。入廷直前に、東日本で大地震が発生したとの速報が入りました。地震と津波に襲われた原子力発電所も大事故になるかもしれないと、みな口々に心配していました。そして、東京電力福島第一原発では、専門家も指摘していた甚大な大事故へと発展してしまいました。今も避難して故郷に帰れない人が10万人近くもいるのです。
ところでセメントを生産するには、石灰石だけではなく、必ずその他の原材料も混ぜなければなりませんが、大震災の後、震災で発生したガレキを津久見に持って来てセメントの原料に使おうという動きがありました。しかし、放射能汚染を心配した子育て中のお母さん方が中心になり、署名を集めたり、新聞にチラシを入れたり、「ガレキ受け入れ反対」の運動が起こりました。大分県主催の「説明会」でも、放射能による健康被害を心配して、受け入れ反対の声が続出しました。私が「放射能被害が出たら責任を持てるのか」と質問すると、説明者の一人は「放射能は身体に入っても、トイレで排泄するから、大丈夫」などと回答しました。本当に驚きました。結局、大分県は「ガレキの津久見への受け入れ」を諦めざるを得ませんでした。
今は、福島の石炭火力発電所で使ったオ-ストラリア産の石炭の燃えカスをセメント材料としてセメント会社は使っているようですが、市民団体では常時「放射能」の測定を行って監視しています。
この放射能こそが問題なのです。
(4)
かつて大分県では、四国電力の伊方原子力発電所が事故を起こせばそこから放射能が海上を直線距離でやってくるというので、伊方原発設置反対運動が繰り広げられてきました。そして今、東京電力福島原発事故、及び事故処理の様子を見て、これではいけないと「伊方原発の廃炉を求める裁判」も起きています。
津久見市には玄海原発の事故の時には山越えで放射能が、伊方原発からは海上を60キロ真っ直ぐに放射能等がやってきます。両方が同時に事故を起こすと、放射能が「ステレオ」でやってくるのです。リアス式海岸と山に囲まれ、マグロやミカンなど海の幸、山の幸の豊かなこの津久見の町に住めなくなってしまうのではないかと、私たちは戦々恐々としているのです。
(5)
私には辛い出来事があります。あこがれの九州電力に就職した教え子が卒業して数年で自ら命を絶ってしまったのです。理由は分かりませんが、この教え子の死は忘れることはできません。
そして、私には心配なことがあります。もしも、玄海原発が事故を起こしたら、佐賀や福岡の教え子たち、それに元同僚の教師たちを含む多大な人々が一番に放射能の被害を受けるかもしれないと。勿論私自身は「ステレオ」で原発事故による放射能の被害を受ける危険の中にあるということから解放してもらいたい願いがあります。
原子力発電所の広報宣伝を行い、「原子力信仰」を植え付けていた「九州エネルギ-館」も東京電力福島原発事故を機に、2014年3月、約700万人の方々に「原子力信仰」を宣教して閉館になりました。今はマンションの用地になっているようです。
敗戦の引き揚げの混乱の中で、人間の醜い争いを見て来て育った者として、原発事故後の混乱等が重なって見える時、その様な心配が無いところに日本を変えて貰いたい、そのためにエネルギ-館と同じように原子力発電所が静かに消えていただくことが-宗教者の願いであります。
第15回口頭弁論公判(2017年9月15日)における意見陳述です。
陳 述 書
2017年9月8日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀県唐津市厳木町
氏名 田口 弘子
(1)
私は唐津市内、玄海原子力発電所からは32kmほどの距離にあるところに住んでいます。標高410m、いわゆる山間僻地といわれるところです。
私は、今年3月まで唐津市と多久市の小学校で教諭として子どもたちとかかわりを持ってきました。私が教員になったのは中学校の教員をしていた父の影響もあったと思いますが、子どもたちの成長に関わり見守ることのできる教員という職業に魅力を感じたからです。しかし、実際、学校に勤務するようになってからは、被差別部落や解放運動と出会ったことで、それまで自分の見てきた世界とは違う厳しい社会の現実と出会い、自分の認識の甘さ・視野の狭さを感じました。そして、市民運動・社会運動に関心をもつようになりました。それまでの私は、国や県は私たち市民にとって悪いことはするはずがない、と信じていましたから、何でも鵜呑みに受け入れていたように思います。また、そうするものだと思い込んでいたように思います。
原子力発電についてもそうです。巷にあふれている原子力発電についての情報は、どれもいいことばかりですから、なぜ、反対するのか逆に反対の理由がわかりませんでした。まさか、そんな危ないものを作るわけないでしょう、とか。現に、原子力発電で潤ってるでしょう、とか・・・。そんな私にとって、プルサーマル実施に関しての県民投票を求める署名活動が、私の原子力発電についての認識を変える大きな契機となりました。そのころ、署名を集めるために県内のあちこちで学習会が開かれ、そこでいろいろな情報を得るなかで原子力発電と放射能被害について自分や命との関わりを意識するようになりました。そして「原子力発電所」はそこにあるだけで、もう凶器ではないかと思い始めたのです。そのころ、「安全なら、東京に原発を作るべき」という科学的データに裏付けされた劇映画「東京原発」を観たのも大きかったと思います。
また、学校では8月6日・9日を平和教育の節目のひとつとして、いろいろな取り組みをしていますが、子どもたちと学習する中で、広島原爆のウランと長崎原爆のプルトニウムがどちらも原子力発電所の燃料として使われているということを改めて認識し、「原爆」「原子力発電所」「放射能」が私の中でつながり、「原子力発電は怖い」と思うようになったのです。北朝鮮がテポドンを打ったとニュースが流れたとき、あれが原子力発電所に落ちてきたらどうなるのだろうと本気でどきどきしていました。
そして福島での事故が起きたとき、私はインターネットの画像で事故が起きる様子が流れるのを見ていました。よそ事のように。にわかには信じられませんでした。でも、本当に大変な事故が起きていました。そのとき、アメリカから即座に救助に駆けつけた軍隊がすぐには福島には行かず、日本海のほうに回り道をしたというニュースを見ていて、なぜだろうと思っていたところ、それが被ばくを恐れてのものだったという情報がとても衝撃的でした。一方で、そのとき、事故が起こった報道はあっても、放射能についてはあまり公にされていなかったような気がします。また、ここで避難している人たちはこの情報をどうやって得るのだろう?我が家みたいにテレビも持たず、携帯も圏外になるような場所だったら、どうやってこの情報を得たらいいのか?など、わが身と考えたら、なす術がないことにも身が縮む思いをしました。また、うちのように積雪や土砂崩れで山から下りることがままならぬ事もある地域で、うまく避難ができるかどうかも不安です。
(2)
小学校では、2ヶ月に一度避難訓練を行なっています。火災、地震、風水害、不審者対応、原子力防災など、安全教育の一環として非常時の避難の仕方を学ぶものです。学校ごとに避難計画が作られそれに基づいて、実施しています。
原子力災害についてはここ数年で行うようになりました。最初は学校ごとに作った計画で進めていましたが、昨年は教育委員会からマニュアルが届きそれに準じた計画が求められ、今年はそれに基づいて避難訓練が行われるでしょう。これまで、原子力災害といえば、とにかく屋内退避(目には見えない放射性物質を払い落として立てこもる)を行なっていましたが、熊本での地震をきっかけに職員間で問題になったことがあります。それは、地震の際は屋外に退避するのが基本ですが、同時に原子力災害が起こった場合どのように避難すべきなのでしょうか。福島の事故はまさに複合災害となり、甚大な被害をもたらしたのです。
また、原子力災害に関わらず、災害時に子どもたちを保護者に引き渡しをする場合も想定して引き渡し訓練も行うようになりました。ここでまた、疑問。引き渡しをする体育館の出口から保護者の車まで放射能で汚染された空気の中を移動することになるけど、大丈夫なの?車を誘導する職員は汚染された空気の中で誘導可能なの?「今だったら移動してもいいよ」と誰が判断するの?学校に線量計があるわけでもなく、委員会からの報告待ちということになるのでしょうが、現場で子どもを預かる職員にとっては不安の種ばかりです。
学校の職員は原子力災害の実際や放射能汚染について、あまり詳しく知りません。特別に意識のある職員以外は、文科省から配布された「原子力読本」による情報ぐらいしか持たないと言っていいと思います。当然、子どもたちの持つ原子力災害や放射能に関する知識もその程度です。その「原子力読本」は、福島での事故後に出されていますが、放射能は事故がなくても一定量自然界にあることや、医療現場で放射線を浴びていることなどを引き合いに出して危険ではないということをアピールしています。でも、実際には福島は高濃度で汚染され、事故の際の放射能が原因と思われる疾患が現れていることを小児科の医者たちが報告していました。
学校の現場は、学力向上の掛け声のもと、職員は休憩も取れないほどの忙しさの中で児童の安全を確保しつつ教育活動を展開しています。天災は避けようがありませんから、そこから身を守ること、また、身を守る術を学ぶことは生きる力を学ぶことでもありますが、原子力災害は、原発が無ければ起こりようがないのでそれを取り除くことで、避けられるのではないでしょうか。多忙な教育の現場に、さらにこのように煩雑で先の見えない原子力災害避難訓練の計画や実施に時間を割くのは本末転倒している気がします。
(3)
国と県が行った原子力災害避難訓練を昨年と今年と見学しましたが、原子力災害であっても、自然災害であっても危険から遠ざかる・逃げるよりほかに術がないのは明白です。ただ、原子力災害において最も危険な要因が放射能であることを考えると、どんなに綿密な避難計画・防災計画を立てたところで住民や地域の安全確保は難しいのだと感じました。一番の防災は危険要因である放射能を取り除くこと、すなわち原子力発電所の撤去しかありません。原子力発電所を稼動するということは、事故が起ころうと起こるまいと悪魔の物質プルトニウムを生産し続け、放射能汚染の危険を抱え続けるということを忘れてはいけません。
放射能は、目に見えません。音も臭いもありません。触ることもできません。日常の生活の中で汚染が起きたとしても、それを知ることは難しいし、自分の体に変調をきたして初めて汚染されていたのだなと気づくことになることを考えるとき、放射能と切っても切れない原子力発電所の近くで子や孫を育てることは、大きな不安を伴います。自然の中でのびのびと育てたいのにそれができない環境にしてはいけません。
(4)
私たちの子どもや孫の命のためにも、一刻も早く原発を止めてください。いえ、先に書いたように、原子力発電所は稼動していなくてもあるだけで凶器である、と私は思っていますので、一刻も早く撤去されることを願っています。
以上
陳 述 書
2017年7月28日
佐賀地方裁判所御中
住所 福岡市
氏名 松 尾 邦 子
(1)
本日は意見陳述の機会を与えていただきありがとうございます。私の住まいは玄海原発からおよそ40キロ地点で福岡市早良区の南西部です。30キロ圏外ではありますが、福島の事故のような過酷事故が起きれば放射能は空気や水、風にのって、周囲の都市をも汚染し続けるのは想像に難くありません。福島の事故でいまだにふる里に戻れない人々の悲しみや苦しみを思うにつけ、日本は2年以上も原発なしで暮らすことができた今、この玄海原発はもちろん、過酷事故を起こしかねないすべての原発とたまり続ける核のゴミを未来ある子供たちに残してはいけないと思って原告になりました。
私は長年教職についていました。退職後まもなくして、2011年3月のあの東日本大震災と福島原発事故起きたのです。それからずっとずっと心を痛めて生活をしてきました。そのような中、たまたま2014年の3月から約3年間、地域の「民生児童委員」になりました。私は教職の経験や長年独り暮らしだった母への想いを生かして活動しました。その中で感じたことを中心に原子力災害に対する不安を意見として述べたいと思います。
(2)
はじめに、「民生児童委員」の仕事の一つに「要援護者」の対象となる方の把握と高齢者の現状の確認があります。「要援護者」とは要支援、要介護認定を受けている方で、まったく身寄りがない、もしくは近くに身寄りがなく、災害時には周りの助けが必要な方です。私の地域は前年度からの引継ぎで、65歳高齢者の夫婦2人だけの世帯は31世帯、一人住まいの高齢者は25名。その中で、要援護者は7名でした。そこでまず、65歳以上のいる約170世帯にあいさつ回りをしました。その結果、引き継いだ要援護者7名のほかにも心配な方が次々にみつかりました。この方たちは、自分の事情を近所に知られたくない、あるいは迷惑をかけたくないという理由から公的名簿に登録したくないと同意書を提出されていません。同意されないと、プライバシー保護のため地域における協力は依頼できない仕組みになっています。私の担当地区では次のような方々がいました。
40代で脳卒中の病気で歩けなくなった車いす生活のAさん、足が痛くて時々何日も家から出られなくなるBさん、お酒を飲み続け近所との付き合いが希薄なCさん、心臓病や糖尿病を持ち足にしびれや痛みがあるDさん、被曝者手帳を持ち腰痛がひどく数か所の病院に通うEさん、夫婦二人住まいでも、どちらか片方が脳梗塞の後遺症で歩行困難であったりアルツハイマー病が進行中であったりのFさんとGさん、又よそのうちに上がり込んだり、町内を一日中ぐるぐる回ったりの認知症を患うHさんIさん、ご主人は癌の手術後体調悪く、奥さんはパーキンソン病のJさんご夫婦、そして、姉、兄、弟3人とも精神障害で、別な意味でさらに厳しいKさんご一家など・・・です。どなたも薬を複数服用されていて緊急時の避難と避難生活は耐えられないだろうと思われました。こういう我が家も高齢者の2人暮らしです。連れ合いは心筋梗塞、脳梗塞経験者で薬が欠かせません。名簿に載ろうが載るまいが、詳しい事情が分かるのは民生委員ですが、災害時、私一人では助けられません。計20名を超える方々の避難は誰のどんな協力の下でどうやって助けるかと考えれば考えるほど不安になりました。一応町内防災組織というものは存在しますが形式的なもので、誰が誰をどのように助けるかまでは話し合われていないのが実状でした。これまでそれで済んだのは、幸いにも大きな災害はなかったからでしょう。しかし、年々風水害、土砂災害、地震の災害はひどくなりそうな日本です。福島の原発事故があった今、これからは原子力災害も考えていかなければならない時代になったのです。
しかし、私の知る限り早良区ではこの3年間、原子力災害について町内会で具体的に話し合われている所はないと思います。福岡市では年一回夏に市長と代表民生委員との懇談会がありますので、私は話し合いのテーマに「原子力災害時の要援護者避難について話し合ってほしい」と毎年提案しましたが、「懇談会のテーマにふさわしくない」となぜか却下されてきました。それでも気になる「要援護者の避難」について学ぼうと、私は昨年秋に糸島での避難訓練を見に行きました。高齢者や障がい者施設では、ほんの一部の職員が数人の入居者の代わりをしての簡単な避難訓練でした。一町内の訓練でも健常者が補助具を付けたりしただけの訓練で、福岡市の避難所に向けてわずか1台のバスでの避難でしたから、実際に起こったときに役立つとは言えないものでした。さらに今年の春、知り合いの小中学校の管理職に尋ねたときは、「子供たちの避難については教育委員会からは何の指示も降りてきていない。」と話していました。もし在校中に原発事故が起きたらどうするのでしょうか?二週間プルームが通り過ぎるのを、学校で窓を閉めて待つのでしょうか?必要なヨウ素剤の保管場所や服用の仕方を知っている人はいるのでしょうか?そもそも福岡市では防災危機管理課の避難計画案はまだ暫定版のままです。緊急時の対応が住民に周知徹底されていない中での玄海原発再稼働はどう考えても許されないと思います。
(3)
次に福島の事故後の話で感じたことです。避難の途中で、あるいは避難の長期化で心身共に状態が悪化し、亡くなったり生きる希望をなくした高齢者が孤立死されたり、農業や畜産業の方の自殺など多く聞きました。厚生労働省自殺対策推進室の調査では(東日本震災に関連する自殺者数平成23年4月~29年4月分)、福島県が一番多く90名、次が宮城の52名、そして岩手の44名です。(ちなみに茨城1、埼玉1、東京2、大阪1、京都1)又家族がバラバラになることが長期化して子供たちにも親にも悪影響が出てきていることを耳にするにつけ、心が痛みます。一番悲しくて震える思いで怒りがこみ上げたのは、避難先の学校で、原発事故が理由の「いじめ」に遭った子供たちがいたことでした。想像してください、自分の子供が、自分の孫がそんなつらい立場にいたらと。いじめられた子供たちは何の落ち度もないのに事故のせいでいじめられるのです。地元に住めず、離れざるを得ないことだけでも傷ついているのに…電力会社は少しでも責任を感じているでしょうか。
今年も九電の株主総会では「事故が起きないように固い決意を持って取り組むから安全です。」と九電経営陣側は言いました。原子力規制委員長は「安全とは言わない。」と公言しているのに、いつの間にか「絶対安全」と置き換えられているのです。事故というものは、いつも想定外が重なって起こるものです。絶対はないのではないですか?それに安全と言いながら一方で瓜生社長はアメリカの遺伝学者の説を取り上げてこう述べられました。「どんなに少ない放射能でも体に害はあるそうです、放射能は自然界にもいろいろなところに存在する、その中で、それらを体に受け止めながら生き延びていく人類、種が出てくるのだそうです。」と。私は耳を疑いました。今生きている人間が、そしてすべての生き物が原子力の災害にあわないように質問しお願いしている場で、このような話を披露する社長の感性を疑います。社員を含めてひとり一人の命、家族の営みに目を向けることなく、放射能に負けない人類や生き物の出現を夢見ながら会社の経営を考えておられるのでしょうか。
(4)
民生委員や地域の役員は、避難が困難な人たちの顔を思い浮かべながら日々見回っています。30キロ圏外であっても約156万人が住む福岡市、全体では510万人が住む福岡県も、重大な原発事故の発生でその暮らしが影響を受ける「地元」なのです。人間だけではありません。福岡動物園の動物たち、ペットや野生の生き物たち、避難者の通学、仕事、通院、食料、薬は?などなど私たちには具体的に何も知らされていません。住民への情報周知を含めての避難計画は完成されていない現状です。九電がよく口にされる「フェイス・トウ・フェイスの丁寧な説明」が福岡の人間にはなされないまま、また自治体の避難計画や避難後の生活補償計画の完成がないままの玄海原発再稼働は、子供たちや社会的弱者の生存権を脅かすものです。
原子力災害は、人災です。動かさなければ危険度は格段に下がります。やめていただくよう心から訴えまして私の意見陳述とさせていただきます。