玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会 永野浩二
2015.12.4記
11月28日に行われた玄海原発原子力防災・避難訓練。
「玄海原発4号機が全交流電源喪失により、冷却機能がすべて喪失し、全面緊急事態となる想定」のもと、佐賀県、福岡県、長崎県合同で訓練が行われました。
私達の仲間は佐賀県と福岡県と、二手に分かれて見学に行きました。
私は、これまで佐賀県の避難訓練を見学してきましたが、今年は初めて福岡県糸島市民の病院避難、住民避難、スクリーニング・除染訓練を見学してきました。そこでは――
病院避難訓練では避難するのはたった一人の患者役。
スクリーニング・除染会場では“放射能汚染水“が、ビニールシートから漏出。
放射能をふき取ったウェットティッシュは「普通のゴミと一緒に燃やします」
でも「放射能は怖くありません。安全です」と締めくくりの放射能安全洗脳。
――想定どおり、いや、想定以上の酷さでした。
避難訓練は避難計画の問題点が凝縮されています。その現実を多くのみなさんに知ってもらえればと思い、訓練全体のごく一部に過ぎませんが、報告を書きました。今後、仲間と報告を出し合い、住民の声を聞き、報道も参考にしながら、避難計画の問題点を総ざらいし、市町村や県、国、九電に1つ1つ要請、要求していきたいと思います。
【1】糸島市・小富士病院の患者避難訓練
★職員1人だけが患者役の避難訓練
★視察にきていた市長「スムーズにいったね」
小富士病院は糸島市志摩にある医療45床、介護30床の病院。市長や県職員もその場に来ていました。マスコミも複数社来ていました。市民見学者は私達3人だけ。
●AM10:20サイレンが鳴る。
20μSv/h以上となり、避難指示が出される。
院長と5人の職員が1階ロビーに集合。点呼して、それぞれの役割へ一斉に動き出す。
入口の自動ドアを手動に切り替え、遮蔽。
数分後、職員がそれぞれロビーに戻って、順に院長に報告。
「食糧備蓄3日分確認しました」
「1号棟の患者さんに説明しました」
「2号棟の患者さんに説明しました」
「家族への連絡をしました」
「患者の引き渡し書類の作成を完了しました」
「患者総数66名、避難搬送者50名となります」
●AM 10:30 「移送準備完了しました」
患者役1人(職員)がストレッチャーで運び出されてくる。
手動になっている自動ドアをこじあけて、玄関出たところにいる病院所有の福祉車両へストレッチャーごと乗せられる。
後部座席はストレッチャー1台分のスペースしかない。
10:35、糸島医師会病院(中継病院)へ向けて出発。
市長「スムーズにいったね」と一言。
病院長「去年は乗せる時に大変でしたけどね」
訓練終了。
職員に「今日は患者役1人ですが、いざ事故が起きた時は、他の方の搬送はどうするのですか」と聞いてみました。
職員「30キロ圏外から応援に来てもらいます」
「車両は足りるのですか」
「ええ。1週間のうちに避難させればいいですから」
避難基準は“実測値で放射線量率20μSv/h以上500μSv/h未満”で1週間以内の避難(OIL2)。
その場にとどまる限り、どんどん被ばくさせられます。
避難しても、そこでの治療、薬剤は保証されるのでしょうか。
【2】糸島市・御床行政区住民の避難集合場所(西林寺)
★糸島市の30キロ圏15000人のうち、住民避難訓練はたった2地区の一部の住民。
★避難バスの出発予定時刻まで、放射能が漂っている中を、ただただ待つ。
●AM 10:55 西林寺に集合
小富士病院見学後、私達は御床地区の一時集合場所になっている西林寺に駆けつけました。
御床地区の108世帯329名の住民のうち、この日は38人がここに集合し、バスで避難することになっていました。
私達が現地に着いた時には、住民がバスに乗り込み終えようとしていたタイミングでした。要援護者役2人や、小さなお子さんもいて、世代や男女のバランスは考慮されていました。
住民避難の基本はマイカー。マイカーがない人については県がバスを手配することになっていて、糸島市が2年前にアンケートしたところ、糸島市の30キロ圏では50人乗りバスが25台必要という結果になったそうです。
事故時にこの地区に何台来ることになるのか職員に聞いてもはっきり答えませんでしたが、「アンケートに基づいているから足りる」とのことでした。
バスは通報を受けてから、放射能の中をここにやってくるわけですが、車のないすべての住民を乗せて、いち早く避難することはできるのでしょうか。
●出発予定時刻
さて、出発予定時刻になっても、なかなか出発しません。
バスの横にはパトカーが先導車として待機しているのですが、パトカーの出発時刻が連携ミスで10分ずれていたそうです。いちはやく避難すればいいのに、あくまでスケジュール通りの訓練です。
パトカーはいざという時にはおそらく来ないでしょうが、今日は特別でしょうか。
出発までの間、送り出す側の職員は「20μ超の線量の中」を、外でただただ時間が来るのを待っていました。
11時過ぎ、中継所の糸島リサーチパークへ向けて、バスは出発しました。
【3】糸島リサーチパーク(中継所=スクリーニング・除染会場)
★スクリーニング・除染会場では“放射能汚染水“が、ビニールシートから漏出。
★放射能をふき取ったウェットティッシュは「普通のゴミと一緒に燃やします」
★避難バスと除染バスは別
●AM 11:20 御床区民到着
住民を降ろしたバスを、春日市から1時間半かけて出動してきた自衛隊がスクリーニング。自衛隊の検査・除染班9人が防御服を来て作業にあたりましたが、視察のためか、制服組も多数来ていました。
タイヤ、屋根に近いところなど、念入りに検査した結果、バスは「汚染なし」ということでした。
●人のスクリーニング・除染
38人の住民は半分ずつ分かれて、建物の中のスクリーニング会場へ。
建物に入る前にやった方がいいのでは?
一人ひとりに検査器をあてて、頭、胸、背中、手のひら、足と順に検査。40,000cpmという高い基準値で、除染必要と判断されることに。 ※この時は38人のうち1人だけが80,000cpm検出されたという想定でした。
「80,000cpm」役の人はなぜか順番が最後でした。
福岡県知事やマスコミが多数視察している中、県保健所の担当者がマイクで「これから除染訓練をやります」とアナウンス。まさにデモンストレーションでした。
住民は手のひらが汚染されたという想定で、放射性物質が付着しているのが分かるように、赤いマジックで印をつけていました。本当の放射能も目に見えたらいいのですが…。
職員がウェットティッシュを住民の手のひらの上にポトッと落とし、本人がゴシゴシ拭きます。拭いたティッシュは横に置いてあるゴミ箱へポイッと。これを4回繰り返しました。
数値は40,000cpm以下に下がったようで、除染は終了。
さて、40,000cpm以上あった放射性物質は、手のひらからウェットティッシュに移っただけです。どう処理するのか?
職員「他のゴミと一緒にそのまま捨てて燃やします。福島もそうでしたから。そんなに高くないから大丈夫です」
私「えっ、放射性物質でしょ?」
職員「たくさん出てきたらきりがないじゃないですか。」
私「放射線管理区域から持ち出す基準の30倍に相当しますよね。ここできちんと除染しないと、汚染が拡大してしまうじゃないですか」
職員「...確かにそうですね、高いですね。そこが問題ですよね。でもそれをどうしたらいいかは私では分からないので…」
※福島原発事故直後のスクリーニング基準値は13,000cpmだったが、対応しきれないとして100,000cpmに大幅に緩和された。そして現在は40,000cpmに。これは表面汚染密度で120ベクレル/㎠となり、放射線管理区域の基準値4ベクレル/㎠という、非常に高い数値。
●身元確認ICカード
スクリーニング受付では、住民に災害時の身元確認用ICカード、「いとごんカード」が配布されていました。糸島市が九州大学と共同して事業を行っていて、住民に一部配布されているそうです。この日は仮カードが渡されていました。
ここでの検査結果は、検査所の端末に入力され、カードにもデータがインプットされるそうです。GPS機能が埋め込まれて、家族とバラバラになってしまった時はこれが役に立つということだそうです。確かに便利なようですが、情報管理上の問題がないのか、マイナンバーとの関係はどうなるのか、よく分かりません。調べてみたいと思います。
●バスの除染
11:55、御床区民は避難先の宗像市へ出発しました。
12:30、吉井下行政区住民(40名)が到着。住民はスクリーニング会場へ。
吉井区民を運んできたバスは、タイヤが放射能に汚染されたという想定で、除染をされることに。
まず、ウェットティッシュで拭き取り、次にスポンジでゴシゴシ、そして水の高圧洗浄で、なんとか基準値以下になったようです。
しかし、バスの下にはビニールシートが敷かれていたのですが、水がたまってしまいました。放射能汚染水ですからきちんと管理しなければなりません。
実は、水を貯めやすくするためにシートの下に置いていたゴムのパレットが、バスが動いた時に割れて、シートが破れてしまっていました。自衛隊員は必死に止めようとしましたが、汚染水の流れは止められず、破れた箇所から地面に直接漏れ出てしまいました。
自衛隊車両は汚染水回収用の新品のタンクを1つ持ってきていたので、そこに吸引して回収するのかと思ったら、今日は訓練なので、回収はしないとのことでした。結局、汚染水はそのまま放置されました。
実際に出てきた汚染水をどう処理するのかを聞いたら、「九電と県にわたす」とだけ言いました。具体的には決まっていないようでした。(佐賀県と九電にこれまでも質問していますが、具体的な方法について、いまだに回答なし)。
●避難バスと除染バスは別
さて、そのバスは住民を乗せて避難先に出発かと思っていたら、なんと誰も乗せずに去ってしまいました。
職員「除染訓練したバスは、住民を乗せてきたバスと違う車両で、除染のために用意した車です」と。
私「なぜか」
職員「住民の出発が遅れて、訓練の予定が狂うとよくないので」。
実際にはいろんなことが起こりうるものです。だからこそ、「スケジュール通りにこなせるかどうか」を確認するのではなく、臨機応変に対処できるかどうかこそ訓練すべきだと思います。
そして、住民を乗せてきたバスは、スクリーニング・除染「訓練」を受けないまま、住民を再び乗せて、避難先の福岡工業高へ出発しました。
【4】福岡工業高校=避難先
★「放射能はこわくありません」避難先では放射能安全洗脳
●福岡工業高校は原発から48キロにある、糸島市吉井下区民の避難先。
今回は要支援者2人を含めて、住民40人が避難。
自家用車10台とバス1台。ここでスクリーニング訓練は行い、除染訓練はなしとのことでした。
しばらくそこで避難生活を強いられるわけですが、トイレとか布団等の生活整備のチェックも何もありませんでした。
どのくらいの避難期間を想定しているか聞きました。
職員「想定はなかったと思います。避難ははじめが混乱するので、初動の訓練だけです。数日もすれば、だんだん整っていきますから」
私「福島の実際を見てください。危機はどんどん進行していったでしょう!」
●放射線技師会の技師の講話
放射線技師会が「身近な放射線検査のコンシェルジュ」などの冊子を配布の上、5分間の講話をしました。
「放射能物質は“洗い流す”、“拭き取る”で、取ればいいんです。放射線は日常の中、自然の中にあるし、体内に取り込んでいる。放射能は怖くありません。安全です」。
内部被曝については一切触れず、放射能は危険だという話をまったくしない。まさに放射避難の健康上の注意についての話も市職員から5分ありました。
「避難所では感染症、エコノミー症候群に注意してください。日ごろの近所付き合いが大事です」
自然災害と同じような話ぶりでした。
そして、学校食堂であたたかいお昼ご飯を提供されて、訓練は終わりました。
足を悪くして歩きにくそうにしている年配の女性「動くのが大変だけど、やっぱり訓練はやらんばね...」
バスに最後にたどりついて、乗り込みました。
そして、バスは糸島へ向けて出発しました。
今日は予定通りの日帰りでしたが、本当に原発事故が起きたら、もう帰れなくなるかもしれない...ふるさとを根こそぎ奪われてしまうのが原発。そうしたリスクと覚悟を住民に強制する原発はいりません!
【5】最後に
被ばく前提の本当にバカバカしい訓練です。
でも、推進派はこんな酷い訓練でも「スムーズにいった」「徐々に改善していく」と宣伝します。
避難訓練についてのマスコミ報道も限定的です。
だからこそ、私達自身がこの目で見て確かめて、伝えていくしかないのです。この酷い現場を内側から見て、具体的に問題点を指摘していくことは、原発、放射能の怖さをまだわかっていない人達に知らせていく機会にもなります。
今回、ちょうど福岡県知事と糸島市長にも出くわしましたが、佐賀県知事や玄海町長のような「同意権」がないとしても、彼らには住民の命を守る使命と義務があるはずです。福岡県などに対して避難計画の問題でもっともっと行動を強めることができると思いました。
私達は被害地元に住んでいます。自治体が住民の命を最優先にして、住民の側に立って国や県や九電に対しても働きかけていくよう、私達からどんどん声を挙げ、行動していきましょう。
そして、住民の命を守る避難計画もできないのなら、原発はそもそも動かすなという世論をつくっていきましょう!
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