【控訴審判決は来年1月20日!~7/15福岡高裁報告】

7月15日、福岡高裁(久留島群一裁判長)にて、玄海原発控訴審口頭弁論(全基差止第15回と行政訴訟第14回)が開かれ、判決が来年1月20日(火)と決まりました。

猛暑の続く中、今回も各地から多くの仲間が傍聴に駆けつけてくれました。

 

行政訴訟では、被控訴人・国は最終準備書面、控訴人側も火山問題をのぞく最終準備書面をそれぞれ提出しました。前回4月の期日後、国が火山に関する書証をたくさん出してきたので、控訴人からの反論は持ち越しとなり、9月4日に最終書面を提出、結審することとなりました。

そして意見陳述を福島原発告訴団長などを務めた武藤類子さんが行いました。武藤さんは放射性物質が降り注いだために自然環境や暮らしが壊され、住民には不安や心配、分断が強いられてきたこと、東電幹部らが人の人生を破壊しておきながら誰も責任をとらないことへの憤りを、優しい語り口の中でも時折語気を強めながら、語られました。

 

全基差止では、控訴人と被控訴人・九州電力がそれぞれ最終準備書面を提出し、結審しました。

そして意見陳述を、2011年6月に福島市から佐賀県鳥栖市に避難された木村雄一さんが行いました。木村さんは2012年4月、全基差止の佐賀地裁の第1回弁論以来、再度の陳述です。木村さんは、生まれたばかりのわが子を放射能から守るために避難を決断した時の様子を克明に振り返りながら、これから生まれてくる子ども達のために「二度と被ばくをさせてはならない」と訴えました。

裁判官の一人は陳述者をじっと見つめて聞き入っていました。福島原発事故の被害者であり当事者として声をあげ、行動されてきた武藤さん、木村さんの切なる訴えをどう受け止めたでしょうか。

 

そして、判決日は来年2026年1月20日(火)と決まりました。

14:30 行政控訴審 判決

14:45 全基控訴審 判決 です。

 

 

 ※2025年9月4日は行政結審です。

  14:30 行政訴訟第15回弁論(結審)

        意見陳述:石丸初美・控訴人団長

 

裁判終了後は、記者会見、続けて、久しぶりに交流会の場を持ち、一人ひとりがこの裁判に関わった経緯や思いを語り合うことができました。

冠木弁護団長は「地震のばらつき問題、地震は平均値で起きるわけではないということ。国の言い分はごまかしだらけだ。原発裁判では全国的に勝てない流れがあるが、理屈では勝っている。ぜひ書面を読んでいただきたい」と話されました。

弁護団が心血注いでつくられた最終準備書面には、原告適格、地震、火山、重大事故対策、配管、避難計画という争点を総ざらいされています。原告団としてもしっかり読み込んで、マスコミや世論にもアピールしていきたいと思います。

 

石丸初美団長は「福島原発事故が起きてしまった。司法がまっとうであるなら、即勝訴だと思うが、情勢をみるとそうでもない方向に行っている。しかし、間違っているのは国、九電、エネルギー政策だ。私たちには守るべきものがあるから、声に出して言い続けていく」と、勝訴へ向けての決意を表明しました。

 

2010年2月21日の裁判決起集会、同8月9日の提訴、翌2011年3月11日の第二回口頭弁論の日に起きた東日本大震災・福島原発事故。

MOX差止、仮処分、全基差止・行政訴訟、これまで4つの裁判で6つの不当判決。

 

この長きにわたる命を守るための裁判闘争を、一緒に闘ってきた原告・控訴人仲間のみなさん、全国の支援者のみなさんとともに、判決の日を迎えたいと思います。

引き続きの連帯、ご支援をお願いします。


◆裁判書面(行政)

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20250709玄海行訴控訴人最終準備書面.pdf
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20250708行政被控訴人最終準備書面1.pdf
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◆裁判書面(全基)

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20250708全基被控訴人九電最終準備書面.pdf
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◆控訴人意見陳述

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20250715意見陳述行政武藤類子●.pdf
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20250715意見陳述全基木村雄一●.pdf
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陳 述 書

2025年7月15日

福島県田村郡三春町

武藤類子

 陳述の機会を頂き感謝いたします。

 私は、2011年3月11日に、東日本大震災にともなって事故を起こした東電福島第一原発から45㎞に位置する、福島県田村郡三春町に住む武藤類子と申します。

原 発事故以前は、里山の豊かな自然の中で小さな喫茶店を経営していました。店の周囲の森からは山菜、きのこ、どんぐりなどを採集し、木を伐って暖房の薪にし、畑では野菜作りをしていました。しかし、放射性物質が降り注いだためこれらは使えなくなってしまいました。常連のお客さんたちが避難をしたこともあり、店は廃業せざるを得ませんでした。その時拡散された放射性物質は今も存在し、森の山菜もキノコも、庭のミョウガや青紫蘇も一切口にはしていません。あれから14年、事故前の懐かしい暮らしが不意によみがえり、胸がえぐられる瞬間があります。

 

 多くの人々が、家、生業、地域社会、伝統行事や文化、楽しみなどを失いました。そして、避難や放射能への考え方を巡り深刻な分断を生み、離婚や、家族の離散、職場や近所付き合いの悪化が起きました。先の見えない避難生活に絶望し、避難先や一時帰宅時での自殺者も多く出ました。原発事故の被害は広範で、長期間にわたり、多くの人の人生を狂わせます。

 原発事故は、今も収束せず、空に海に放射性物質は漏れ出ています。事故を起こした原子炉には大量の核燃料デブリが存在し、1、2号機の燃料プールには、危険な使用済み燃料が残されたままです。大きな地震などで、また何かが起きるかもしれないという恐怖が今もあります。

 福島県の7つの市町村には、放射線量が高く人が立ち入ることができない帰還困難区域が現在もあります。昨年、許可を得て立ち入る機会がありました。寝たきりの高齢の患者たちを無理にバスの座席に座らせ、治療も飲食もおむつの交換もできずに10時間に渡る過酷な避難の途中で、50人の入院患者が亡くなった双葉病院は鬱蒼とした木々と草に飲み込まれていました。熊町小学校には、ランドセルや靴、絵の具の筆を洗う黄色いバケツ、通学用の自転車などが避難したその日のままに、置き去りにされていました。この区域の放射線量が元に戻るには、あと何百年かかるのでしょうか。

 避難解除がされた地域でも、年間被ばく限度が事故前の20倍の20ミリシーベルトという基準で解除がされているために、空間線量が0.4μ?/hあるような地区で、子どもも暮らしています。

 重い病気などのやむを得ない理由で提供された避難住宅を出ることができない避難者が、福島県などの自治体から2倍の家賃を請求されたり、裁判に訴えられ追い出しの強制執行も行われる状況も起きています。漁業者の反対を押し切って強行した ALPS 処理汚染水の海洋投棄、除染で集めた汚染土を公共事業で使う再利用計画など、せっかく集めた放射性物質の再拡散が行われています。

 事故当時18歳以下の子どもたちの小児甲状腺がんとその疑いは、38万人中400人を超えています。子どもたちや若者、親たちは言葉には出さずとも常に放射能の影響を心配しないではいられません。

 このような現状の一方で、津波や原発事故の避難で一旦誰もいなくなった海岸線の土地には、ロボットやドローン、水素エネルギーなど、今までになかった最先端技術の企業や研究所が立ち並んでいます。元の暮らしを取り戻したい、かつてのふるさとに帰りたいという被害者の思いとは大きく乖離し、莫大な復興予算を投じて福島の復興がされていると大々的に宣伝されています。

 福島に暮らす住民は、復興宣伝が醸し出す空気感の中で被害回復や放射線防護を蔑ろにされているにも関わらず、意見や価値観の違いから起こる住民同士のこれ以上の分断を恐れ、不安や不満の声をのみ込まざるを得ません。原発事故とは、人権も人の尊厳をも踏みにじるものです。

 

 私は事故直後、この途方もなく甚大な事故を起こした東京電力への強制捜査や起訴が当然行われると思いましたが、そのようなことは一向になく、責任の追及が幕引きされるのではないかという危機感に襲われました。そこで、2012年、私たちと同じ悲劇を二度と繰り返すことが無いようにとの思いで、仲間とともに東電や国を刑事告訴するに至りました。今まで全く経験のなかった告訴や裁判について、戸惑う事ばかりで生活は一変し、時間のほとんどを費やしてきたと言っても過言ではありません。告訴は、検察の不起訴、検察審査会を経て強制起訴となりましたが、裁判では傍聴人の大半が事故の被害者であるにも関わらず、公判の度に非常に厳しい身体検査などまるで犯罪者のような差別的な扱いを受けました。多くの仲間が道半ばで亡くなっていきました。多くの証言や証拠が、東電の旧経営陣の事故の責任を明らかにしたにもかかわらず、最高裁では無罪が確定しました。「私たちの人生を破壊して、誰も責任を取らないのか!」という、憤りと失望を感じています。

 原発事故後、反省のもとに「可能な限り原発依存度を軽減する」としていた国のエネルギー基本計画を、今年から「原発の最大限活用」という方針に転換してしまったことは、原発事故被害者としては耐え難い思いです。あまりにも愚かな選択です。

 

 玄海原発も大地震や火山の噴火の危険という過酷な立地条件にあります。福島と同じ悲劇が起きないように、手遅れになる前に運転を差止めて欲しいと心から願います。

 私たちは、原発事故を反省し、被害者の犠牲と事故の教訓を受けとめ、安全で美しい地球を未来世代に残さなければなりません。

 私は福島原発事故被害者のひとりとして、玄海原子力発電所3・4号機を決して動かすべきではないと思います。


陳 述 書

2025年7月15日

長崎県長崎市高島町

木村雄一

 

 私は木村雄一と申します。東日本大震災により福島県の東京電力福島第一原発事故で生命(いのち)の危険を感じ佐賀県へ福島市から避難し現在長崎市で生活しています。

 私は2011年3月11日福島市で、東京電力福島第一原発の事故に遭い被ばくしました。

 震災の翌日、ラジオで原発の爆発の知らせを聞きました。私は「一体何が起きているのか」と戸惑いました。原発についての知識もなく、ただ言いようのない不安に襲われました。

 繰り返される報道、専門家の説明も難しく理解できず、さらにインターネットで目にした海外メディアの深刻な情報が、不安を一層大きくしました。屋内待避の家の中にいても空気さえ怖くなっていたのを覚えています。

 家族の命を守るには、ここにいてはいけない「逃げなければ」と判断し計画をすることでした。 

 生まれたばかりの娘を守るためでしたが、原発に無知な私は時間を有し、3か月後の6月17日、ようやく佐賀県鳥栖市へ避難出来ました。

 車の窓を閉め切り外部の空気ができるだけ入らないように移動に気をつけていました。

 福島から新潟経由で佐賀を目指し、数百キロ遠く離れた山間部の高速道路のサービスエリアで、私たちは休憩のために車を降りました。

 私たち家族は青空の下、大きく深呼吸、生後5か月の娘は笑顔で微笑んでいました。

 あの瞬間、「これから向かう佐賀の地で、私たちはきっとやっていける」娘の笑顔が、私たちの避難の道に、希望の光を灯してくれました。

 

 しかし、私たちがようやくたどり着いたその地には、玄海原発がありました。

 「もう安心だ」と思いたかった、その避難先でも原発のいろいろな問題を抱える現実に直面したのです。「日本には、もう安全に暮らせる場所はないのか」と。

 避難生活は、苦しいものでした。友人も知人もいない土地での生活、仕事や住まいの確保、娘の健康、そして避難者・被ばく者であることへの社会の偏見。「風評を広げるな」と責められることもありました。

 でも私は、逃げたことを後悔しておりません、逃げたことで家族の健康を維持する事ができているからです。

 私は現在、鳥栖市を離れ、妻と娘とともに長崎の島で暮らしています。娘は中学3年生大病を患うことなく、妻が健康に気遣った食生活を行ない、育ってくれています。

 この14年間「被ばくさせられた」という不安を抱えながら生きています。

 娘の検診のたびに胸がざわつき、些細な家族の健康の変化にも敏感になる日々。その不安は、今も家族全体を覆っています。

 誰にも見えない被ばくだからこそ、誰にも理解されにくい。しかし私たち避難者は、見えない放射能と、見えにくい差別の中で生きているのです。

 

 そして、福島の原発事故は、復興という言葉で塗り替えられ、終わった話ではありません。福島は今も「放射能の中」に生きています。

 玄海原発避難計画の実効性は極めて疑わしい。佐賀市や鳥栖市に避難する計画があっても、事故の時、放射能の流れがどうなるかは誰にもわかりません。

 福島市は原発から60km離れていましたが、それでも放射能は届きました。佐賀県も隣接圏も例外ではありません。複合災害の地震・津波からの避難の際の渋滞、高齢者や障がい者の移動、病院や施設の対応は「マニュアル通りに行かない」ということを私たちは福島の事故で学んだはずです。

 にもかかわらず、「新規制基準に適合している」「安全対策はできている」と言い張る九州電力。 その姿勢には、憤りを感じざるを得ません。

 

 さらに追い打ちをかけるように、最高裁は「国の責任はない」と判断しました。事故を防げなかった行政の責任を否定し、被害者を切り捨てたその姿勢に、私は怒りを覚えます。無責任な国と電力会社に、原発を動かす資格はありません。

  

 私はこの場を借りて、裁判官の皆さんに訴えます。

 これは単に「再稼働が正しいかどうか」を問う裁判ではありません。

 人間の命をどう守るか。福島の教訓から何を学ぶか。私たちの未来をどうつくるか。

 そうした問いに、真正面から向き合う裁判です。

 福島原発事故の国の対応、電力会社の対応、この十四年の時間の流れとともに、真実と現実を知っていただきたい。

 どうか二度と、誰の命も、放射能で傷つけないでほしい。

 その願いを込めて、私はこの場に立っています。

 福島で原発事故を経験した一市民として、再稼働を止める判断を強く求めます。

 佐賀や九州に暮らす方々、そしてこれから生まれる子どもたちに「二度と被ばくさせてはならない」この言葉を、私は何度でも繰り返します。

 

 どうか、私たちの声を聞き入れ、再稼働を止めるという勇気ある判断を、心からお願い申し上げます。 


◆報道